第1話
文字数 1,961文字
少し酔っているなと水沢唯は自覚した。
賑やかな居酒屋の一角。
座敷の一部を占領して、唯たちのグループは盛んに飲み食いをしていた。アルバイト先のメンバーを集めて飲み会が行われているのだ。
水沢唯はこういった席があまり得意ではない。はっきりいうと苦手だ。もともと社交的な性格ではないし、アルコールにも強くはない。すぐに顔が熱くなり、意識が朦朧としてくる。つまり酔うのが早いのだ。
兄からも、外で飲むときは気を付けるよう忠告を受けている。
そういうわけで、唯は隅のほうでおとなしくしていることにした。
「大丈夫?酔いましたか」
隣に座っている木島が尋ねてきた。唯はそちらを見る。
木島は中性的な顔立ちをした青年で、長めの髪を明るい茶色に染めている。ひと月ほどまえにアルバイトとして入ってきた。
「あ、ううん、平気」
唯は首を振る。木島は少し目を細めた。
「煙草吸っていいですか」
唯は驚いて、顎を引くようにして小さくうなずく。
「いいよ。どうしてわたしに聞くの」
「水沢さん、吸わないでしょう?」
煙草をくわえながら木島はいう。
「席、隣だし」
唯は笑顔を見せる。
「気にしなくていいよ。みんなもうばんばん吸っているし。でも、ありがとう」
ウェットティッシュを取り出そうとバッグを開けて、携帯電話に着信があることに気付く。ディスプレイを確認すると、兄の薫からだ。珍しい。
「電話ですか?」
煙を吐いて木島が尋ねる。
「メール。ちょっとごめん」
そう断って、メールを開く。
『今どこにいるんだ? おれはアパートの駐車場にいる』
唯は返事を打つ。
『飲み会で居酒屋にいます。どうしたの?』
まだ携帯に慣れていないので打ち込みに手間取る。すぐに返事が届いた。
『チーズケーキを買ってきた。飲み会って店の連中とか? おまえ弱いんだからあんまり飲むなよ』
『もう少ししたら帰るよ。合鍵あるよね? あがっていていいよ。それとも急ぎ?』
『時間はある。帰るときには連絡しろ。迎えにいく。以上』
『了解。ありがとう。じゃああとで』
唯はバッグに電話を戻して木島を見た。彼は煙草を指に挟み、唯のほうに顔を向けている。
「兄からだった」
問われたわけではないが、そう告げて、唯はウェットティッシュで手を拭う。
「お兄さんがいるんですか、水沢さん」
「うん」
「ひとりっ子かと思っていました」
唯は顔をあげる。
「どうして?」
「おとなしいから」
そういって木島は煙草を灰皿に捨てる。
「帰ってくるようにいわれたんですか?」
「あ、ううん。部屋に来ているみたい。あとで迎えに来るって」
「へえ。仲が良いんですね」
目を細めて木島は微かに笑う。
「どうかな、よくわからないけど」
唯は自分のグラスに手を伸ばし、半分ほど残っている液体に口を付ける。
唯と兄の薫は八歳年が離れている。
もともと二人は従兄妹だった。唯は養女なのだ。唯の母親と薫の父親が兄妹で、唯は妹の忘れ形見として水沢家に迎えられた。
「木島くんは兄弟は?」
「弟がひとりいますけど。小さいころにけっこういじめたから、たぶん恨まれていますね」
新しい煙草に火を点けて彼は答える。
「え、いじめたの」
「かなり。ぼく、わりとひどい人間らしいので」
思わず唯は身を退く。
「そう、なの?」
ゆっくりと煙を吐きながら木島はうなずく。
「ときどきね、へんなスイッチが入るんですよ」
「へんなスイッチ?」
「そう」
木島は下を向いて少し笑った。
彼とこんなに話をするのははじめてだった。仕事中に口をきくことはほとんどないし、木島はあまり他人と馴染まないタイプに見えた。唯にもその傾向があるが、適度に離れた場所から周囲を観察している。そういう感じの人物だった。
木島がいう「ひどい人間」というのがどういうことを表すのかはわからない。そういった本人は、まるで他人ごとのように淡々としている。
たしか十九歳だと店長がいっていたが、歳のわりに妙に落ち着き払ったところがある。
少し気になった。
「あ」
ふと気付いて唯は声を出す。それから周囲を見回し、声をひそめてささやいた。
「もしかして、まだ未成年じゃあ」
木島は唇の端に煙草をくわえたままきょとんとした表情になる。そしておかしそうに笑った。
「なんかすごい新鮮な言葉。水沢さん、まじめなんだ」
「そうでもないけど」
唯は少し首を傾げる。
「木島くん、いつもと感じがちがうみたい」
「そうですか? まあ、ふだんは仮面をかぶっていますから」
「仮面?」
聞き返してから、ああ、と思う。
「ひどいところを隠すため?」
木島は楽しそうににっこりと笑う。
「水沢さん、おもしろい人ですね」
賑やかな居酒屋の一角。
座敷の一部を占領して、唯たちのグループは盛んに飲み食いをしていた。アルバイト先のメンバーを集めて飲み会が行われているのだ。
水沢唯はこういった席があまり得意ではない。はっきりいうと苦手だ。もともと社交的な性格ではないし、アルコールにも強くはない。すぐに顔が熱くなり、意識が朦朧としてくる。つまり酔うのが早いのだ。
兄からも、外で飲むときは気を付けるよう忠告を受けている。
そういうわけで、唯は隅のほうでおとなしくしていることにした。
「大丈夫?酔いましたか」
隣に座っている木島が尋ねてきた。唯はそちらを見る。
木島は中性的な顔立ちをした青年で、長めの髪を明るい茶色に染めている。ひと月ほどまえにアルバイトとして入ってきた。
「あ、ううん、平気」
唯は首を振る。木島は少し目を細めた。
「煙草吸っていいですか」
唯は驚いて、顎を引くようにして小さくうなずく。
「いいよ。どうしてわたしに聞くの」
「水沢さん、吸わないでしょう?」
煙草をくわえながら木島はいう。
「席、隣だし」
唯は笑顔を見せる。
「気にしなくていいよ。みんなもうばんばん吸っているし。でも、ありがとう」
ウェットティッシュを取り出そうとバッグを開けて、携帯電話に着信があることに気付く。ディスプレイを確認すると、兄の薫からだ。珍しい。
「電話ですか?」
煙を吐いて木島が尋ねる。
「メール。ちょっとごめん」
そう断って、メールを開く。
『今どこにいるんだ? おれはアパートの駐車場にいる』
唯は返事を打つ。
『飲み会で居酒屋にいます。どうしたの?』
まだ携帯に慣れていないので打ち込みに手間取る。すぐに返事が届いた。
『チーズケーキを買ってきた。飲み会って店の連中とか? おまえ弱いんだからあんまり飲むなよ』
『もう少ししたら帰るよ。合鍵あるよね? あがっていていいよ。それとも急ぎ?』
『時間はある。帰るときには連絡しろ。迎えにいく。以上』
『了解。ありがとう。じゃああとで』
唯はバッグに電話を戻して木島を見た。彼は煙草を指に挟み、唯のほうに顔を向けている。
「兄からだった」
問われたわけではないが、そう告げて、唯はウェットティッシュで手を拭う。
「お兄さんがいるんですか、水沢さん」
「うん」
「ひとりっ子かと思っていました」
唯は顔をあげる。
「どうして?」
「おとなしいから」
そういって木島は煙草を灰皿に捨てる。
「帰ってくるようにいわれたんですか?」
「あ、ううん。部屋に来ているみたい。あとで迎えに来るって」
「へえ。仲が良いんですね」
目を細めて木島は微かに笑う。
「どうかな、よくわからないけど」
唯は自分のグラスに手を伸ばし、半分ほど残っている液体に口を付ける。
唯と兄の薫は八歳年が離れている。
もともと二人は従兄妹だった。唯は養女なのだ。唯の母親と薫の父親が兄妹で、唯は妹の忘れ形見として水沢家に迎えられた。
「木島くんは兄弟は?」
「弟がひとりいますけど。小さいころにけっこういじめたから、たぶん恨まれていますね」
新しい煙草に火を点けて彼は答える。
「え、いじめたの」
「かなり。ぼく、わりとひどい人間らしいので」
思わず唯は身を退く。
「そう、なの?」
ゆっくりと煙を吐きながら木島はうなずく。
「ときどきね、へんなスイッチが入るんですよ」
「へんなスイッチ?」
「そう」
木島は下を向いて少し笑った。
彼とこんなに話をするのははじめてだった。仕事中に口をきくことはほとんどないし、木島はあまり他人と馴染まないタイプに見えた。唯にもその傾向があるが、適度に離れた場所から周囲を観察している。そういう感じの人物だった。
木島がいう「ひどい人間」というのがどういうことを表すのかはわからない。そういった本人は、まるで他人ごとのように淡々としている。
たしか十九歳だと店長がいっていたが、歳のわりに妙に落ち着き払ったところがある。
少し気になった。
「あ」
ふと気付いて唯は声を出す。それから周囲を見回し、声をひそめてささやいた。
「もしかして、まだ未成年じゃあ」
木島は唇の端に煙草をくわえたままきょとんとした表情になる。そしておかしそうに笑った。
「なんかすごい新鮮な言葉。水沢さん、まじめなんだ」
「そうでもないけど」
唯は少し首を傾げる。
「木島くん、いつもと感じがちがうみたい」
「そうですか? まあ、ふだんは仮面をかぶっていますから」
「仮面?」
聞き返してから、ああ、と思う。
「ひどいところを隠すため?」
木島は楽しそうににっこりと笑う。
「水沢さん、おもしろい人ですね」