第6話

文字数 3,682文字

 窓から春の日差しが刑務課の一室へ注ぎ込んでいる。電源が落ちたパソコンと上に載っているディスプレイが机の大部分を占め、残ったスペースは所狭しと書類の山が散らばっている。人は机の数に対して4人程しかいない。
 一夫は眠そうに新人警察官のリストを眺めては書類に押捺し、整理していた。高度経済成長期に比べて犯罪の件数は減少している。当時採用した警察官は余り気味となった。更に体力と根気が基本の業種なので、年齢による衰えが他の仕事より重い。一夫も例外ではなく、外回りより新人の教育や書類整理に当たる業務が多くなっていた。
 同年齢の警察官が訪ねてきた。「霧崎、相変わらずだな」
「最近の若い奴は駄目だ、沢山来るのはいいが、目が死んじまってる」霧崎は机の隅に置いてあるゴールデンバットの箱を手に取り、煙草を取り出して咥え、火をつけた。甘い味が口に広がり、紫煙が天井に向かって伸びていく。
 同年齢の警察官は笑った。「今時、千葉真一ごっこなんて流行らんよ。最近は藤田まことがトレンドだってな」
 霧崎は煙草を手に取り煙を吐いた。「ひ弱な刑事がか。警察ってのは威厳を失ったら終わりだ。タフさがねえとやってらんねえよ」煙草を咥えた。先が赤く光った。
 電話が鳴った。別の席にいる若い警察官が手元にある受話器を取った。「もしもし、はい」
 若い警察官は耳から受話器を離した。「霧崎さん、霧崎刹那って人から電話です」
 一夫は渋い表情をした。私用で警察署の回線を使うとは、不埒な奴だ。「内線を繋げてくれ」咥えている煙草を手元にある灰皿に押し付けてこすった。煙草の火が消えた。
「もしもし、霧崎一夫だ。私用で電話するな」
『一大事だ、森で骨が見つかったんだ』
「骨だと」
『桜が一本だけある、八想神社の移転元だった森だ。調査したら頭蓋骨が出た』
 一夫は唸った。頭の中にあるファイルを辿れば、刹那の言う森が何に該当するかすぐに分かった。「横乃瀬村の森か」
「今は町だ」
 一夫は不快さを覚えた。「揚げ足取りはいい。現場は発見してからほったらかしか」
『発見した状態のままにしてある』
「地元の警察には」
『まだ連絡してない』
「懸命な判断だ」一夫は壁にかけてある時計を見た。1時半を示している。「1時間以内にすっ飛んでいく。俺が来るまで地元の警察が来ても現場に案内するな。いいな」一夫は電話を切った。
「何があった」同年齢の警察官は、一夫に尋ねた。
「発掘で骨を見つけたってよ。事情を聞いてくる」一夫は煙草の箱を持ってロッカーに向かい、開けた。中に入っているジャケットを取って着込み煙草の箱を胸ポケットに突っ込んだ。
「おい、勝手に行くな」
「作文なら、いくらでも書いてやる」一夫はドアに向かい、出ていこうとした。何かを思い出して立ち止まり、部屋の方を向いた。警察官達は皆、一夫を見ている。「父符警察に伝えてくれ。俺が来るまで土地から外からも中からも、何も出し入れするなってな」
「出し入れって」
「中にいる人を外に、外の奴らを中に入れんなって意味だ。勝手に荒らした奴は、ケツの穴に銃弾ぶっ放してやる」一夫はドアを開けて出ていった。
「おお怖い」若い警察官はドアを見てぼやいた。ドアが閉まった。「だから外勤に出せなくなるんだよな」
 同年齢の警察官はドアを閉めた。「丸くなった方だ。昔は捜査課に殴りかかった位だからな」
 若い警察官は呆れた。血気盛んにも程がある。「霧崎さんって、同姓ですよね。親戚か何かですか」
「せがれだ」同年齢の警察官はデスクに戻った。
 若い警察官は納得した。息子が事件の発見者となれば、冷静になれないのは当然だ。「仕方ないですね」
 同年齢の警察官は頷いた。「霧崎の言葉通り、父符警察に応援を回してくれ」
「警視庁には」
「やめとけ、動物の骨だったら笑い者だ」
 若い警察官は受話器を取り、父符警察の電話番号を打ち込んだ。
 パトカーは土地の脇にある道路に止まり、警察官はバリケードを張り周辺を規制していた。地元の人達はバリケードの先に集まり、野次馬と化している。刹那達に吠えていた地元の人間は、警察の前では大人しく様子を見ていた。犬は自らより立場が下の者にしか吠えない。自己主張をしたがる人間程、威厳の前では羊になり優等生を演じるのだ。
 大塵と刹那、警備員は土地の中にある一軒家で座っていた。警察から土地から外に出るなと指示があったからだ。
 刹那と大塵は比較的リラックスした状態で、差し入れの缶ジュースを飲んでいた。人である以上は喉が渇くし腹も減る。
 警備員は緊張していた。骨が見つかり警察を呼んだとなれば重大事件だ。事情聴取と称して取調室に運ばれ、容疑者となるのかと妄想した。我に返って大塵の方を見た。缶ジュースの残りを飲んでいた。「よく、余裕でいますね」
「日常茶飯事だからな」
 警備員は驚いた。
「試掘で埋蔵物を見つけたら、警察に報告する義務があるんだ。法規通りに対処しているんだから問題ない」
「でも、骨ですよ」
「昨日今日で殺した人間じゃない。年季は相当だ。大体俺達は許可貰って調べたんだ。地主だって殺人をしたとなれば、調査の許可を降ろさない。俺達は仕事をしただけなんだから、何も怪しむ理由はない。堂々としてればいい」大塵は笑みを浮かべた。
「でも、警察に捕まったら」
「後先考えずに逮捕すれば、逆に警察が捕まる」大塵は警察の動きを見た。森の入り口で立ったまま監視している。「何故、森に入らないんだ」
 大塵の言葉が3人を監視している警察官の耳に入った。「関係者が来るまで、立ち入るなと言わてるんだ」
「科学捜査でもやるのか」
「よく分からない」
 間もなく縁側に一夫が歩いてきた。インスタントカメラを持っている。「よお、話は聞けてるか」
 警察官は一夫の方を向いた。
 一夫は訝しげな表情をした。「剃り残しでもあるか」
「いえ」
「ならいい」一夫は警察官の方を向いた。「お前は行っていいぞ」
 警察官は困惑した。突然登場して退場を命じるとは何様だ。
 一夫は胸ポケットから警察手帳を取り出し、警察官に見せた。「警察だ」
「見れば分かる」
「理解出来るなら話が早い。続きは俺が代わりにやる、安心して出ていきな」
「突然出てきて何を」
 一夫は警察官の胸倉を掴み、睨みつけた。50代で体力が落ちているとは言え、睨みの威圧感は増している。「責任取ってやるから、黙って下がれ」
 警察官は恐れを覚えた。「わ、分かりました」
 一夫は胸倉を離した。「分かればいい」
 警察官は慄いて引き下がった。
 大塵は一夫をじっと見ていた。一夫は警察手帳をしまっていた。警察官らしからぬ行動をする男だ。
 刹那は和夫の姿を見るなり、顔をそらした。父とは言え、仕事中なのでプライベートは挨拶はない。場所の分別は弁えている。
「おい」一夫は大塵の方を向いた。
 大塵は一夫の声に驚いた。自分も脅迫を受けるのではないか「お前は」
「俺は」
「大塵だ、同僚で考古学者をしている」刹那は大塵を遮った。
 一夫はため息を付いた。「外で騒いでいる連中は、何者だ」
「忌まわしき森だと嫌っているんだ」
「怨念でもあるのか」
「いや、別の理由だ」
 一夫は刹那の言葉に唸り、質問を切り上げた。深く突っ込んでも『忌まわしき森だから』以外の回答は出ないと推測した。「骨が見つかった場所は」
「桜の木の下だ」大塵は平然と答えた。
「予測通りか」一夫はぼやいた。
 大塵は一夫の言葉に驚いた。「知っているのか」
「大体な。1本だけ桜の木が残ってるって、あからさますぎる。何か隠していると推測するのは当然だ」
 大塵は一夫の言葉に更に驚いた。桜の木が森の中にあるのを知っている。「状況ではなくて、森を知っているのかと聞いているんだ」
「しつけえな」一夫は大塵に顔を近づけた。
 大塵は慄いた。凄みが並の人間の比ではない。警察官が引くのも分かる。
 一夫は大塵から顔を離して笑いだした。
 大塵は唖然とした。
「25年だか30年前だか、調査目的で地元の関係者と一緒に入ったんだ」
 大塵は一夫の言葉を聞き、地主の話を思い出した。立ち入った関係者とは、目の前にいる警察官だったのか。
「神社の娘が桜の木に触った時に悶だしてな。まさか骨が埋まっているとは思わなんだ」一夫は森の方を見た。27年前とさほど変わっていない。「行くか」
 警察官は一夫の前に立った。「すみません、森には入るなと」
「指示を出した当人が言ってるんだ。文句を垂れるな」
 警察官は返答に困った。何を言っても無駄だと悟った。
「人手がいる。一緒に来い」
「自分が、ですか」
「他に誰がいる」
 警察官は頷いた。選択肢が従う以外にない。「分かりました」
 一夫は刹那の方を向いた。「お前らも付いてこい、見分するぞ」
「はい」刹那は頷いた。
 一夫は刹那を見て笑みを浮かべた。「澗は元気か」
「俺を振り回して楽しんでる」
 一夫は大笑いをした。「女ってのは、所帯持つと皆男を尻に敷くもんだ」刹那の肩を軽く叩いた。
「自分は」警備員は一夫に尋ねた。
「お前は待機だ。尋ねに来たら、森に行ったと話してくれ」一夫は森の前に向かった。
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