第1話

文字数 6,092文字

 大学構内の研究室は、壁一面に本棚が並べてあった。中には分厚い本が隙間なく詰め込んである。窓は締め切っていて、換気扇が窓の上で音を立てて回っている。布と埃の被った1台のパソコンが一角に置いてある。隣にマイクロフィルムの解読機が埃を被らず置いてあった。
 刹那は机の前で伝承の編纂をする為、文献を読み漁っていた。内容を見比べ、共通している文章や文字を拾い上げては手元のノートに書き込んでいた。
 金属の扉が、鈍い音を上げて開いた。
 刹那は扉の方を向いた。研究員が立っていた。
 研究員は刹那以外、誰もいないのに不自然さを覚えた。他の研究室には多くの教授や学者が常駐しているからだ。「すみません、全員出払っているのですか」
 刹那は研究員の方を向いた。「大塵は地下の保管庫へ、他は資料館に打ち合わせで出払っている。問題でもあるのか」
 研究員は刹那の予想していない返事に驚いた。「全員で、ですか」
「フィールドワークが基本だ、仕方がない」
「はあ」研究員は曖昧に答えた。
「用件は」
「ご用件ですが」話を始めた時、電話が鳴った。口を閉じた。
「済まない」刹那は席を立ち、電話の前に向かい受話器を手に取った。「もしもし」
『霧崎か、大塵だ。今倉庫にいる』
「分かっている。用件はなんだ」
『荷物の運び出しを手伝ってくれないか。八想神社の氏子が、神楽祭りの予行練習で使うからって直接出向いて来たんだ』
「土曜に運び出す予定だろ」
『子供が土曜休みで予行練習がやりやすくなったんで、道具の持ち出しを早めるって話だ。リストを持ってきてくれ』
 刹那はリストを挟んだファイルのある棚に目をやった。ファイルが密になって置いてある。祭りに使う道具は文化財指定を受けている上に膨大なので、大学と資料館で分けて保管している。「人員は」
『氏子がやるってよ。運び出しには慣れてるから問題ない』
 刹那は渋い表情をした。展示物の持ち出しは祭りの近い時期では通例となっている。今回は余りに急過ぎる。
「車は」
『トラックで運ぶ』
「運びきれるか」
「大丈夫だ」
 研究員はため息を付いた。話を聞いてくれそうにない。やむなく机に置いてあるペンを取り、メモを千切って内容を書き込み刹那に渡した。刹那は無意識に受け取った。刹那が受け取ったのを確認し、研究室を後にした。ドアが閉まった。
「発泡スチロールのケースは」
『安心しろ、一通り運び出す箱は揃ってる。連中だって貴重品だって分かってるんだ、問題ない』
「分かった」刹那は頷いた。他に対処する方法がない以上、任せるしか無い。
『すぐに来い』
「すぐ行く」
 刹那は受話器を元の場所に置き、研究員から受け取ったメモをズボンの前ポケットに突っ込んだ。棚にあるリストの挟まったファイルを抜き取り、研究室のドアを開けて出て行った。
 廊下は白を基調としていた。研究員や教授が行き来している。刹那は階段に向かい、駆け降りて保管庫に向かった。ドアは固く閉まっている。
 刹那はドアノブに手を掛け、軽く回した。鍵はかかっていない。ドアを引き、開けて中に入った。
 保管室の中は保存の為に冷えていた。小型の保管物はラベルの付いた箱に入って置いてある。大型の保管物は棚に入りきれないので、棚の前にあるケージの中に入っている。
 刹那は奥にある搬出口に目をやった。氏子が、ラベル付きの箱に入った荷物を配達用のトラックへ運び出していた。長持や茶箱は一人では持ち出せないので、互いに端を持って運び出していた。
 大塵は、氏子達の状況を監視していた。
 刹那は大塵に近づいた。「リストだ、持ってきた」
 大塵は刹那の方を向いた。「すまない、急ぎだったんで忘れちまったんだ」
 刹那は大塵にファイルを渡した。
 大塵は刹那からファイルを受け取り、トラックの荷台に入った。ファイルを開き、氏子達が運び出した荷物のラベルとを照合し始めた。暫くして、1つの箱に貼ってあるラベルの番号が異なっているのに気付いた。「持って行くのと違うぞ、隣の番号だ」
 氏子は大塵に詰め寄った。「いや、合ってる。去年も同じ場所にあったんだ」
「貯蔵品が増えたんで詰めたんだ」
 氏子は渋い表情をした。
「番号は正確に記録してんだ、きちんとしろ。リストにない保管物を持ち出したら最悪、俺もお前も刑務所行きだからな」
「はいよ」氏子は渋々箱を手に取って降ろした。
「下ろした荷物は8列目にある5つ目の棚だ。番号順にしておくんだ、後で困る」
「あいよ」荷物を持った氏子は戻しに荷台から降り、奥へ向かった。
 刹那は、余りにも順調な運び出しに違和感を覚えた。予め打ち合わせしているとしか思えない。「今日荷物を運び出すとは、一切聞いてないが」
 大塵は作業を止めた。「お前は外に出てたからな、打ち合わせもしてる。メモ机に置いといたろ」
 刹那はズボンのポケットからメモを取り出した。
 大塵は刹那が持っているメモの材質が、自分が置いたメモの材質と異なるのに気づいた。「違う、昨日机に置いといた奴だ」
 刹那はメモをズボンのポケットに突っ込み、研究室の机の上を思い浮かべた。乱雑で何があるか分からない。メモを探すには砂漠の中で針を見つける精密さと運が必要になる。
「忘れた」
 大塵は呆れた。刹那の情けなさではなく、がさつな性格を読めなかった自分に呆れた。「お前が知らなくても、荷物の運び出しは打ち合わせ通りだ」作業に戻った。
「祭りまでまだ時間はある。練習なら複製を使えば十分じゃないか。大体人が来ないのに、文化財を持ち出してでもやる意味はあるのか」
 氏子達は刹那の言葉に反応し、一斉に刹那を睨んだ。
 刹那は気まずい雰囲気を察した。「地元の祭りで消耗するより、多くの人の目につく場所に置いた方がマシって意味だ」
「資料館も人が来ないだろ」大塵は呆れた。
「羊公園で花を植えてイベントをやると聞いた」氏子の一人が声を上げた。「先手を取って定着しないと羊公園に行っちまう。取材に来る記者に練習段階から本物を使ってるって、アピールするんだ」
 刹那は氏子の表情を見て唸った。羊公園で何をするのかは聞いていないが、父符側より横乃瀬町の方が規模も予算もある。まともに勝負をしても勝てない。かと言って本物を使っていると対抗アピールした所で、態々足を運ぶ人間などたかが知れている。
「霧崎」大塵は、刹那と氏子の間に割って入った。「疑っていても仕方ない、決定事項だ。蹴りたければ町内会や教育委員会の連中と相談しろ」
 刹那は大塵からリストを取り上げ、一通り眺めた。「全部搬入したか」
 大塵は周りを見回した。氏子達はトラック荷物を運び終えていた。「大まかにはな」
「検品なら、一人でもいる方が早く終わる」大塵はファイルから紙を取り外し、刹那に渡した。
 刹那は大塵と共に、搬入したラベルとリストに書いてあるラベルの番号とを照合していった。確認を終えた荷物は頑丈に固定した。
「全部終わりましたかな」氏子は二人に尋ねた。
 刹那が持っているリストの照合は終わった。「自分の所は。問題ない」
 大塵は氏子の元に向かった。「同じく、終わりだ」
 刹那は大塵に紙を渡した。大塵は紙をファイルに挟んだ。
「出てってくれ」
 大塵はトラックの荷台から降りた。
 刹那も大塵の次にトラックの荷台から降りた。
 氏子達も荷台から降りてトラックに乗った。エンジンがトラックにかかり、搬入口から出ていった。
 刹那と大塵は搬入口のドアを閉めた。
「次も来るのか」
「大体終わった。もう来ない」
「だといいんだけど。リストを届ける用なら、研究員に持たせれば良かったよ」
 刹那はズボンのポケットにメモを入れていたのに気づき、取り出して内容を読んだ。思わず顔が強張った。
 大塵は、刹那に近づいた。「残りでもあったか」
 刹那は大塵のいる方を向いた。「車だ、すぐ出るぞ。付いて来てくれ」駆け足でドアに向かい、開けて出ていった。
「おい、待て」大塵は刹那を追いかけた。
 刹那は駆け足のまま研究室に向かった。壁にかけてあるキーホルダーを手にし、筆記用具の入った鞄を持って出ていった。
 大塵は刹那が研究室を出た所で合流した。「突然何があった、教えろ」
「例の場所を何者かが調査しているとの話だ」
「例の場所って」
「持ち主がいなくて立ち入れなかった森だ」刹那は大塵を押しのけ、廊下を掛けていった。
 大塵は筆記用具を纏めた。刹那の言葉の意味を理解していた。電話に向かい、『留守』のボタンを押した。留守番モードが作動し、メッセージが流れた。メッセージを聞き終えないまま、鍵を掛けずに駐車場に向かった。学術上研究員が外に出払う状況が多く、いつ戻ってくるか分からないからだ。仮に中で盗みがあったとしても監視カメラはついているし、研究室を出入り出来る人間に限りがある。密室と変わらない。
 駐車場の周囲は、遥か先に広がる山脈が見渡せる程に何もなかった。車は通っておらず、駐車場も閑散としていた。
 大塵は周辺を見回し、刹那を探した。刹那は自分の車の鍵を開け、運転席に乗り込む所だった。「霧崎」刹那の車に近づいた。
 運転席の窓が開いた。刹那が顔を覗かせた。「やっと来たか」
「お前がせっかち過ぎるんだ」大塵は助手席のドアを開けた。後部座席には、調査に使う道具がいい加減に置いてあった。助手席に座り、ドアを閉めた。
 刹那はドアが閉まっているのを確認した。鍵を回してエンジンに火を入れ、アクセルを踏んだ。車が走り出し、駐車場から道路に入った。バスが山間にある神社と、駅の間を行き交っている位しか車通りはない。
「何が書いてあるんだ」大塵は刹那に尋ねた。
 刹那は大塵にメモを差し出した。
 大塵はメモを受け取って読んだ。
「教育委員会が重い腰上げたんじゃないか」
「関与してるなら、とっくに連絡が入ってる。個人で判断したんだ。開発前に先手を取っておかないとまずい」
 周囲の景色が山から、民家や商店が中心の市街地になってきた。
 車は大通りを曲がり、線路が沿う道路に入った。森が近辺に広がり、遠くでは化学工場の煙突が灰色の煙を吐いていた。
「山の天辺から運んで来るって、本当にすごいよな」
「工場のせいで、形が削れて頂上の神社も調査不能になった。一方で町が潤っている。複雑な気分だよ」
 すれ違うのがやっとな幅の道に出た。ワゴンが道路に面した森の前に停まっているのが見えた。
 刹那は車を脇道に止め、エンジンを止めて降りた。周辺に警備員が立っていて、調査員達は道路に散らばる木の葉や枝を掃きながら、周辺の測量をしている。
 大塵も車を降りて、警備員の方を向いた。
「失礼」刹那は警備員に声をかけた。
「御用ですか」
「何をしているのですか」
「依頼があって測量をしている所です」
「見れば分かります。何処から依頼があったんですか」
 警備員は眉を潜めた。突然高圧的に質問をしてくる二人に不審に感じた。
 大塵が駆けつけてきた。「いきなり何を話したんだ」
「いや、依頼元を」
「何も分かってない民間企業に決まってるだろ。事情が分かってれば立ち入りもしねえ」大塵は刹那に鋭く切り込んだ。
「待って下さい、事情って何ですか」警備員は大塵に話しかけた。「まさか、貴方も仲間ですか。警察呼びますよ」
 大塵は刹那と警備員の間に来た。「待てよ、かえって話がややこしくなる」
「揉めてるなら」
「いや、違うんだ」大塵は警備員と刹那を交互に見た。互いに不機嫌な表情をしている。「俺達は大学の教授だ。調査出来なかった森を調査していると聞き、急いで飛んできたんだ」
「教授ですか。なら証拠を」
「堅苦しいな」刹那はぼやいた。名刺を見せた所で、ごねて信用しないのが見えている。
「トラブルを起こす気はない。土地の管理者を呼んできてくれ。済めばすぐに帰る」
 警備員は眉間にしわを寄せた。怪しい人間に変わりないが、毎日駆けつける連中よりは聞き分けがいい。素直に従えば穏便に終わると判断した。「分かりました」遠くの一軒家へ駆けていった。
「本当に来るか」
「嘘付いてたら、自分から出向けばいい」
「結構荒いな」大塵は刹那に引いた。
 暫く経った。警備員は年老いた男を連れて来た。
「お前達が教授か。何を揉めている」
 刹那と大塵は、年老いた男を見た。所々に堅牢なシワが走っている。
「知り合いですか」調査員は年老いた男に尋ねた。
「いや、知らん」年老いた男は首を振った。
 刹那は年老いた男に頭を下げた。「すみません、騒ぎ立ててしまいまして。突然ですが、貴方が土地の管理者ですか」
「管理者、と言えばな。お前さん達こそ、何者だ」
「失礼しました」刹那はズボンのポケットから名刺を取り出し、年老いた男に渡した。
 大塵も刹那と同じく、名刺を取り出して渡した。
 年老いた男は受け取った名刺を眺め、刹那と大塵を交互に見た。刹那と大塵は眉をひそめた。自分達を疑っているのではないか。
「寄ってくる地元の連中といい、お前たちといい町が関与していない問題でもあるのか」
「町は何も言ってないのですか」刹那は年老いた男に尋ねた。
「問い合わせたが、問題ないと言っておった」
「妙だな」大塵は唸った。町は予め遺跡が埋まっている可能性のある場所を調査しており、台帳に記録し調査の際に通達する。通達していない状態で遺跡を発見した場合、管理が町や個人から国に移行する。管理が離れれば自治体や地主は自由に土地が使えなくなり、開発を促したい側には非常に不利になる。よって町が通達を出さない理由はない。問題ないと判断しているとなれば、遺跡はないと見ているのか。
「江戸時代に施設があったんです。近代ですと町は調査しませんし、登録もしないから問題ないと判断したと推測出来ます」
 大塵は刹那の言葉に納得した。確かに調査対象になるのは中世までだ。時代が上っていけば上っていく程、遺跡は鮮明なまま残っている。自ずと保護する必要はなくなっていく。
「施設とな」
 刹那は頷いた。「伝承によれば、近くにある八想神社の移転元となっている土地なんです。江戸時代頃に移転したと聞いていますが、証拠がない状態でして」
「森を調べれば分かると。今まで出来なかったのか」
「許可を取ろうにも誰もいなかったんだ」
「なるほど」年老いた男は頷いた。事態は把握出来た。「いないも何も親父、いや父は死ぬまで老人ホーム暮らしだった。連絡が付かないのも無理はない。ついでに言うと、俺は森を含めて土地の詳細はよく分からんのだ」
「分からない、でも土地の管理者では」刹那は眉をひそめた。
 年老いた男は頷いた。「親父の葬式から4日程経った時に知らせが来てな。引き継いでも何もない上に住むにも不便な土地だ、相続にと土地評価を出してもらったが、余りにも予想と違ったんで調査がてら見に来たと言う訳だ」
「来たって、住んでいないのか」大塵は唸った。
「俺は東京住みだよ。年寄りに立ち話はきつい。若いの、詳細は中で話そう」年老いた男は踵を返し、一軒家に向かった。
 刹那と大塵は、年老いた男の後をついていった。
 年老いた男は一軒家の前に来ると、辿々しく門を開けて中に入った。
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