第8話

文字数 5,303文字

 展示室の奥にある扉を開け、中に入った。階段を登って冷たい廊下を通り、資料室の前に来た。地主が寄贈した資料を調べている部屋の隣の部屋だ。
 刹那はドアを開けた。
 誰一人もおらず、静まり返っていた。壁に付いた本棚にはファイルや本が詰まっている。机は散らばっていた。
 刹那はドアの脇にあるスイッチを入れた。蛍光灯の光が全体を写した。次に棚に向かい、数冊の分厚い本を抱えた。皆、大量の付箋が付いている。更に子供向けの冊子とアルバムを取り出した。デスクの上に載っている封筒と折り畳んだ紙を掴み、中央の机に向かった。本を机に広げた。更に隅に置いてあるデスクから紙を取り出して広げた。黄ばんだ地図のコピーだ。
「調査した場所は八想神社の移転元になっていて、当時の庄屋が確保した土地だ」
「今いる地主も、子孫なのか」
「分からないが、可能性はある」刹那は赤い本を開いた。江戸時代の文字が、景色の挿絵と共に書き込んである。「移転した表向きの理由は、汚染した瘴気の拡散阻止と監視にある」
 一夫は顔をしかめた。27年前に神社の裏で起きた出来事だ。「何でまた、瘴気ってのが出てきたんだ」
 刹那は子供向けの冊子を取り出し、付箋のある所まで開いた。一夫の方に向けた。
 一夫は内容を読んだ。見出しに『姿池のわざわい』と書いてある。伝承によれば姿池の増水を止める為に娘を一人、人柱に立てた。以降呪いにより余計に荒れたので、巫女の命を捧げて止めた。しかしながら呪いは山に飛んだ為、神社を山に移したと書いてある。「出てきた白骨死体が人柱か」
 刹那は首は振った。「伝承通りなら、人柱と宮司の妻は姿池に埋まっている。少なくとも、今骨が出てきた場所ではない」
「姿池は調べたのか」
「羊公園の一部になってる。調査は無理だ」刹那はアルバムを開いた。姿池近辺の写真が6、7枚入っている。うち、1枚に風雨ですり減った地蔵の写真があった。
「人身御供の供養か。当時ならまだしも、後で建てたんなら何の証拠にもならねえ」
 刹那は頷いた。架空の話を元にシンボルを作ったが為、事実と誤認するなどいくらでも例がある。典型例としてシャーロック・ホームズの事務所がある。伝承が事実か否かは、同時期に存在した物体がない限り証明出来ない。
「瘴気の拡散阻止で移転した以外、理由はあるか」
 刹那は横乃瀬町史を開いた。「町史では理由は殆ど書いていない。修験道の僧の協力で移設したと書いてある程度だ」
 一夫は横乃瀬町史を眺めた。神社の移転について、過程の記述は1行もなく、結果しか書いていない。
「一方で神社側の記述では元々の神社、森本神社の神主は村人達全員で殺したと書いてある」
「全員で」
「記述通りなら、村人達は殺した事実を隠す為に桜の木の下に埋めた。以降、庄屋が土地を治めて立入禁止にしたって話になる。地位のある宮司を殺したとなれば、村人は全員捕まる。だからこそ、隠蔽する必要があった。矛盾が少ない分、事実に近い」
「壮大な殺人事件だな。証拠隠滅が移転した真の理由だった訳か」
 刹那は頷いた。「頭蓋骨が砕けていたんだ、相当な暴力を振ったと見える」
「神主か別人か。八想神社の裏で見つかった骨でDNA検査をすれば、分かるな」一夫は薄いアルバムを開いた。骨端の開いた白骨死体が、深く掘った穴の中に埋まっているのが映っている。
「DNA検査」刹那は鸚鵡返しに声を出した。
 一夫は刹那の表情を見て笑みを浮かべた。「精度は分からんが、何かの足しにはなる。但し、骨は証拠として引き渡してもらうがな」
「無理がある」刹那は項垂れた。回収した骨は鑑定してから神社に引き渡し、火葬の上供養した。所有が神社側にある上、火葬した以上DNAは破損している。鑑定は無理だ。
「他には」
「姿池に身を捧げたと、神社の記録に残っている。森で出た骨が森本神社の娘なら森本家は断絶しているか、子孫は現在行方不明になる。比較対象がない限り、鑑定は無理だ」
 一夫は驚いた。「家族がないとなれば、誰が神主になったんだ」
「奉公に出ていた庄屋の息子と、腹違いの妹だ。息子は宮司として家族を設けずに一生を終え、妹が血を残した。記録は全て息子と、妹の子孫が代々遺してきた」刹那は別の紙を開いた。八想家の家系図だ。
「他に証拠は」
「伝承以外では風土記の調査と、神社側の記録しか残っていない」
「一方的な言い分ではな」一夫は家系図を眺めた。寝ぼけて書いたとしか思えない文字が線で繋がり並んでいる。
「当時の独身は結構きつい時代なのにな」
「奉公元の家族を失ったんだ、家族を持つのが辛かったと見える」刹那は唸った。失う怖さを知る者は二度と手放さないか、最初から手に入れないかを選ぶ。八想神社の宮司は後者を選んだ。
 一夫は笑みを浮かべた。「お前は、家族が怖いか」
「いや」刹那は平然と答えた。妻は仕事の事情を知らずに責め続け、子供の相手は疲れる。嫌になる時もあるが、家族は孤独から切り離す。充実した生を与えてくれる。
 一夫は踵を返した。「資料は他にあるかも知れない。行くぞ」
「何処に」
「八想神社だ。寄り道もしていく」
「資料を片付けてから行く」
「律儀だな」一夫は笑った。
「他に使う人もいるんだ」刹那は資料を片付け始めた。
「手伝うか」
「いや」刹那は首を振った。部外者が手伝っても、しまう場所が分からないので邪魔になるだけだ。
「分かった。俺は外で待ってる」一夫は外に出ていった。
 ドアが閉まった。刹那は片付けを再開した。
 一夫は行きと同じ道順を通り、ドアを開けて常設展の展示室に出た。展示してある日用品と解説を一通り眺めた。自分達を含め、多くの者は誰かの役に立つために働いている。民俗学を修めたからと言って生活が楽になる訳でも、幸せになる訳でもない。息子は何故、何の役にも立たない仕事を選んだのかと脳裏に浮かべながら外に出た。目に入る光が資料室内の薄暗い照明から、天然の日光に変わった。急な光に眩惑したものの、すぐに回復した。パトカーに近づき、運転席のドアに鍵を差し込みドアを開けた。中に入り、ドアを開けてエンジンをかけた。煙草の箱から煙草を取り出し、咥えてシガーソケットで火を付けた。車の中に紫煙と煙草の匂いが充満する。
 暫く経った。刹那がパトカーに近づき、ドアを開けた。煙草の匂いで充満している。思わず咳き込んだ。
「お前、吸わないのか」
「吸うか、勘が鈍る」
「仕方ねえな」一夫は窓を開けて空気を回し、車に付いている灰皿に煙草を擦って火を消した。煙草の匂いが緩和した。
 刹那は煙草の匂いを我慢し、後部座席に座ってドアを閉めた。
 一夫はギアを入れた。パトカーが動き出し、国道に入った。
 刹那はパトカーが父符方面に向かっているのに気づいた。「神社は逆だ」
「知り合いに、資料を大量に保管している奴がいる」
 刹那は後部座席に深く腰掛けた。
 パトカーは国道を曲がった。鉄道の高架線を越えた場所にある、教会の駐車場に車を止めた。
「27年前の事件で世話になった」一夫はドアを開けて降りた。
 刹那は一夫に続いて車を降り、周辺を見回した。駐車場の奥には一軒家が建っていた。隣に礼拝堂がある。人気はない。
「GHQの関係者らしくてな、個人で資料を収集している」一夫は得意げに言い、一軒家のドアの前に向かいインターホンを押した。「警察だ」
「父さん」刹那は一夫に意見を言おうとした。
「人を訪ねるのは業務の内だ」
 刹那は一夫の言葉に黙った。聞く耳を持たないのは分かっていた。
 ドアが開いた。老人が出てきた。
 一夫は老人の姿に驚いた。頭の中から引き出した世帯主のイメージと異なっていた。「すみません、グーゴル牧師は」
「亡くなったよ」刹那は一夫の話に割って入った。
 一夫は刹那の言葉に呆然となった。
「グーゴル牧師ですか。隣の方の仰る通り、6年前に亡くなりました」
「では、貴方は」
「教会を引き継ぎました」
「遺族は、彼が持っていた膨大な資料は」
「資料館に寄贈した」
 一夫は一軒家の奥に向かった。記憶の中では倉庫があり、中に膨大な資料があった。実際には倉庫の代わりに花壇があった。花が無数に咲いていた。
 老人と刹那は一夫の元に向かった。
「娘と奥さんは」
「牧師さんが亡くなった後、センティリアさんの嫁ぎ先に引っ越した。町にはいない」
 一夫は驚いた表情をした後、俯いた。時間の経過を悟り、老人に頭を下げた。「すみませんでした」
 刹那も状況を察し、頭を下げた。人の証言は綺麗に整理した文ではない、生の言葉だ。もう聞けない辛さは仕事柄、よく理解している。
 老人も一夫の表情から状況を察し、頭を下げた。「お知り合いでしたか。お気になさらず」
 一夫は踵を返した。「訃報もないとは、俺は外に出た他人か」パトカーに向かった。
「すみませんでした」刹那は一夫の元に向かった。
 一夫はパトカーの運転席に乗り込んだ。
 刹那もパトカーの後部座席に乗り込んだ。間もなくパトカーにエンジンがかかり、道に出ていった。
 老人はパトカーを見送った。
 パトカーは神社まで一直線に向かった。一夫と刹那に会話は一切なかった。世界の時間は、自らの精神で数える時間よりも速い。
 国道を外れ、民家と田畑がまばらに混在する道に入った。パトカーは雑草の生える砂利で舗装した駐車場に入った。八想神社の駐車場だ。
 一夫はパトカーから降りた。刹那も続いた。鍵をかけて川沿いの道に入った。刹那は後をついていった。
 道の脇にコンクリートで出来た鳥居がある。くぐって境内に入った。奥には集会所があり、入り口で老人達が雑談をしながら細かい補修作業をしている。道具の整理はほぼ終わっていて、片付いた広場で子供達が鬼ごっこをしていた。
 子供達は一夫が入ってきたのに気づき、近づいた。「あ、じいじだ」子供の一人は一夫の手を取った。刹那の息子だ。
 一夫は笑みを浮かべ、子供の頭を撫でた。「久しぶりだな」
「ねえねえ、一緒に遊ぼうよ」子供達は一夫の元に集まってきた。
「おじいちゃんは今、仕事中なんだ。邪魔をしないでくれ」
 子供の顔が膨れた。
「お母さんは元気か」一夫は子供に尋ねた。
 子供は頷いた。「うん。お祭りの準備が終わって、買い物に行ってるんだ」
「店は遠いのか」
「父符駅まで行ってくるって」
 一夫は苦笑いをした。都会育ちの一夫には、不便な場所に住む人間が理解出来ない。
「宮司は」
 子供達は一斉に首を振った。
「奥で掃除してるのかも知れない」一夫は子供の手を離し、神社の裏に向かった。
 刹那は後をついていった。子供達も後をついていった。何をするのか興味があった。
 神社の裏にある広場は枝垂れ桜が咲き誇っていた。奥に広がる森の草は整備され、開けている。石で舗装した道が奥へ伸びている。
 一夫は桜の幹に触った。固い質感以外何も感じない。
「結界も瘴気もない、大丈夫だ」刹那は道を歩き出した。
「散歩道になったのか」一夫と子供達は後をついていった。
「摂社に繋がる道だ」
「せっしゃ」一夫は眉を潜めた。摂社とは何なのか理解出来ない。
「神社の中にある神社、かな」刹那は曖昧に答えた。より簡単な説明が浮かばない。
 一夫は森を見回した。葉が細い枝に茂り、草も踝以上の高さはない。森より雑木林に近い。
「町が新しい花見スポットにするから、町の補助金を使って氏子と共同で整備しているんだ」
「町のか」
「観光を掘り起こさないと、次第に寂れていく。子供の数が少なくなってると聞くからな」
「祭りは今もやってるのか」
「只の町おこしになってる。起源からの問題は既に解決しているから、形骸化しているよ」
「次第に、昔を忘れていくのか」
「大丈夫だよ」刹那は笑みを浮かべた。過去の出来事が埋まろうとも、事実を求める誰かが掘り起こしていく。桜の木の下に埋まった骨と同じだ。
 道の終わりに着いた。周辺に太い枝垂れ桜が植えてあり、咲き乱れている。先には真新しい祠がある。
「遺体があった場所だ」
 風が吹いた。桜の枝が揺れ、桃色の花吹雪が舞った。幻想的な世界が広がる。
 一夫の前に一瞬、巫女装束を着た少女が立っているのが見えた。驚いて声を上げるも、次の瞬間には少女の姿は既に消えていた。
 刹那は一夫の声に気づいた。「何か」
「見えたか」一夫は祠の方を向いた。
 刹那は祠を見た。桜吹雪が重なっている。「何が」
 一夫は目をこすった。気のせいだと言い聞かせ、子供達の方を向いた。子供達は飛び散っている桜の花弁を取って遊んでいた。祠ではなく、遊びにしか興味がないと気付いた。胸ポケットから煙草の箱とライターを取り出し、気休めに吸う為に煙草を咥えた。
 咥えた煙草が何者かが取り上げた。
 一夫は誰が取り除いたのか、振り返った。装束を着た2人の男女がいた。2人の姿が誰なのか理解し、柔らかい表情をした。「貴方達は現役でしたか」
 2人は畏まって頭を下げた。
 子供達は刹那と一夫の元に集まってきた。再び風が吹き、桜吹雪が舞った。桜の花弁は空へと飛んでいった。散った花弁を見る者には、花弁の行方は分からない。落ちた場所に立つ者だけが、今を生きる我々だけが知る権利がある。
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