第3話

文字数 2,458文字

「空気が読めないにも程があるわ」澗は刹那に声を上げた。
 吊り下げの電灯が夜の居間を照らしている。刹那と澗は料理の乗っていた皿が並ぶテーブルを通して向き合っていた。テーブルから離れたスペースにはカーペットが敷いてあり、ボードの上にブラウン管のテレビが乗っている。小学生の娘と息子は、テレビの画面に映る芸能人のコントに夢中になって騒いでいた。
「当たり前でしょ。亡くなったばかりの遺族の元に駆け寄って、発掘目的で庭を調べさせて下さいって何の頭よ。あたしだったらとっくに皿投げてるわ」
「仕方なかったんだ。調査員が来ていると聞いているだけで駆け付けた。状況なんて外から知るなんて出来ない」
「電話番号位はあったでしょ、散々連絡したんだから」
 刹那は渋い表情をした。口喧嘩で女に勝てる男などいない。食事を終え、手元にあるコップの水を飲み干した。喉が渇いていた。
 澗は子供達に近づいた。テレビは派手な衣装をした歌手が踊るコマーシャルが流れている。「ほら、もう寝る時間よ」
 子供達は抵抗の声を上げた。男の子はテレビの上を見た。飾ってある時計は7時55分を示していた。「まだ8時になってないよ」
「土曜に神楽祭りの準備があるでしょ、早く寝ないと、当日寝ぼけるわよ」
「テレビ、まだあるもん」娘は澗に抵抗した。
「次は何がある」刹那は娘に尋ねた。
 娘は黙り込んだ。二人はTV番組を見るのではない。テレビの映像を見るだけだ。
「見る番組がないなら、もう寝なさい」刹那は二人の子供を諭した。
 息子達は立ち上がってテレビのスイッチを消した。「はあい」渋々居間から去っていった。
 澗は立ち上がり、刹那と息子達が去っていった扉を閉めた。
 刹那は椅子を引いて立ち上がった。「ごちそうさま、部屋に戻るよ」
 澗は刹那の方を向いた。「土曜、手伝ってくれる」
「何を」
「神楽祭りよ。運び出した荷物の整理をしないとでしょ」
 刹那は渋い表情をした。毎年神楽祭りの時期になると手伝いの要請が来る。朝に荷物を運び出してから、何もしていないのかと呆れを覚えた。「まだ整理してないのか」
「細かいのはまだよ、来てくれる」澗は刹那に尋ねた。
 刹那は答えに窮した。頭の中で手伝いに来たくない理由を探している。「いつ遺族から返事が来るか分からないから、研究室で待ってないと駄目だ。応対出来るのは自分か居合わせた大塵しかいない」頭の中に浮かんだ言葉を吐き出した。
 澗は笑みを浮かべた。長年一緒にいるだから、夫の魂胆はすぐ読める。「賭けをしましょう」
「またか」刹那は嫌そうな表情をした。去年と同じ流れだ。胴元が賭けを持ち込む時は決まっている。
「金曜の夜までに連絡が来なかったら、大塵さんに頼んで非番にしてもらうってのは」
 刹那は返事に戸惑った。
「乗らないならいいわ、地元の人に無断欠勤って話しとくから」澗はにやけた。
「分かった」刹勝は適当に返事をした。逃げたとなれば、町の人間に貸しだの何だのと余計な仕事を引き受ける羽目になる。妻の近辺で雑用をするだけで済む賭けに乗った方がいい。
「ならいいわ」澗はテーブルに乗っている食器をキッチンに運び始めた。
 刹那は開きっぱなしの戸に向かい、居間から出た。



 土曜日になった。
 春の日差しは1月前の肌寒さから開放した。境内では運び出した荷物が広がっていて、氏子達は荷物を確認して整理している。子供達は荷物が広がっていない箇所で鬼ごっこをしていた。集会所は八想神社の奥にあり、壁が所々錆びついていた。開いた窓から音楽が流れている。神楽殿は朱と白を基調とし、黒に染まった拝殿と向かい合わせで建立していた。
 刹那は氏子に混じり、大学や資料館から運んで来た荷物を確認していた。
「破損してないか」氏子は刹那に尋ねた。
 刹那は手に持って調べている道具を置いた。「概ね、使う分には大丈夫です」
 氏子は安堵した。「運んでくれ。掌に持てる奴は神楽殿で、持ち切れんのは集会所だ」
  集まっている氏子達は返事をすると、餌に群がる蟻の如く次々と荷物を運び出した。運び先は神楽殿にある倉庫や集会所だ。
 刹那も荷物を持ち、神楽殿の奥へ向かった。荷物を何処に置くかは分かっている。何だかんだ言って毎年手伝いに来ているからだ。
 神楽殿の奥にある倉庫では、氏子達が荷物を整理をしている。澗も混じって整理していた。
 刹那は澗に荷物を渡した。澗は渡した荷物が片手に持てる大きさだったので呆れた。「随分軽いの運んでるのね。若いんだから、もっと重いの持って来ないと駄目でしょ」
「別の場所に運ぶ奴だよ」
「だったら、集会所に運ぶのを手伝いなさい」
 氏子達は二人の会話に笑った。「急に重いの運ぶとぎっくり腰になるぞ」
「奥さん、いくら若くても俺達と違って学者肌だから体力はねえって。前もへたばってたろ」
「大丈夫よ、持って来なさい」
「分かったよ」刹那は適当に返した。嫌だと言える雰囲気ではなかった。「次は大きな奴を持って来る」踵を返した。
 直後、電子音がズボンのポケットから鳴った。ズボンのポケットからポケットベルを取り出し、液晶画面を見た。見覚えのある電話番号が映っていた。
「誰から」澗は刹那に尋ねた。
「資料館だ」
「また仕事」澗は呆れた。
「仕方ないよ。電話は」
「集会所にあるのを使え」氏子は集会所の方を向いた。
「ありがとう」刹那は集会所へ駆け出した。
 氏子は集会所に向かう刹那を見て、ため息を付いた。「学者ってのは忙しいんだな」
「とんでもない男と結婚しちゃったわよ」澗は苦笑いをした。突然の用事は仕方ないが、代わりに作業が中途半端になってしまう。
 氏子は澗の肩を軽く叩いた。「俺らも、畑がおかしければすぐ戻る。仕事なんて突然あるもんだ」
「仕方ないわよね」澗は嘆いた。全て織り込み済みで結婚したのだ、受け入れるしかない。
 刹那は集会所に来た。戸を開け、中に入った。
 ホールは照明が消えているので薄暗い。ホールの戸は空いていて、音楽が中から聞こえる。電話台が框の先にあった。ボタン式の電話が台の上に置いてある。
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