第2話

文字数 2,763文字

 一軒家は昭和の中期頃の建物で、壁に蔦が張り付いている。庭も雑草が生い茂っていた。一軒屋への道と、調査用の荷物が積んである場所だけは刈り取ってあった。
 年老いた男は縁側に向かい、腰掛けた。
 刹那と大塵は年老いた男の元で足を止めた。掃出窓を通して室内の状況が見える。古い本の束や、ダンボール箱が積み重なっていた。
「年寄りに配慮するな、座れ」
 刹那と大塵は、年寄いた男の言葉通りに縁側に座った。
「考古学者となれば、発掘目的で土地に来たのか」
「発掘ではなく、調査です」大塵は曖昧に答えた。
「正確には、ガキの頃には住んでいた。親父には森に行くなだの、代々留まる土地だから残れだのと言っていた。俺は上京したくてな。話した途端に親父は切れて、俺を半殺しにした」年老いた男はポケットから煙草のケースを取り出し、煙草を口に咥えて火をつけた。
「親は子にうるさいですからね、分かります」刹那は年老いた男に同意した。親は安定を望む為、子に無難な進路を押し付ける傾向がある。問題は未来に安定しているのではなく、今安定している道な点だ。今が良ければ、未来も安定すると思い込んでいる。
「森に行くなとは」
「神聖な区域なのかも知れんが、意味は分からん。かつて環境調査を謳う輩が警察と立ち入ったが、奴らは何も言わなかったと聞いている。言葉に出来ない何かがあったのかもな」
 刹那は年老いた男の話に一瞬、眉を動かした。
「年老いた男は煙草を吹かした後、手にもって口から離した。「俺を田舎に引き留める為の嘘だと信じていた。若い奴はすぐ都会に行きたがる時代だったからな。親父と同じ年になり、死期が迫れば自分の思い込みが未練になってくる」立ち上がり、掃出し窓を開けて中に入った。足元に転がっている一冊の本を手に取り、戻ってきた。本を開いた。死番虫の死骸が落ちてきた。
 刹那は、縁側に落ちた虫の行方を目で追った。地面に紛れ、分からなくなった。
 年老いた男は刹那に本を渡した。
 刹那と大塵は本の内容を見た。紙魚の死骸が挟まっていた。文が所々欠けている。
「元々調査は不得意な上、息子共は虫嫌いで来る気がない。謎は謎のままで終わってしまう」
 大塵は、刹那から本を取り上げ開いていった。他のページも虫食いにあっている。「他の本もですか」
「全部確認しとらん」
「なら、うちに送って下さい。処分するには勿体無いです」刹那は年老いた男に寄贈を迫った。腐食しているとはいえ、資料として重要なのに変わりはない。
「考えとく」年老いた男は曖昧に返した。
 大塵は僅かに俯いた。乗り気なら即座に応じる。応じないとなれば答えは見えている。
「森の調査状況は」刹那は年老いた男に尋ねた。
「調べる予定だったが、調査会社の人間は何故か渋っている。金をいくら払っても周りを調べてばかりで中に入ろうとせん」年老いた男は苦笑いをし、手に持っている煙草を口に咥えて名刺を眺めた。
「調査員が避けるなら、尚更森に立ち入らせて下さい。何があるのか、伝承が本当なのか確かめるんです」
 年老いた男は煙草を吸い終えると立ち上がり、足元に捨てて靴で踏みにじった。「すぐにはいとも、いいえとも言えん。近々結論を出す。待っとれ」年老いた男は足をずらした。煙草は泥に塗れて潰れ、火は消えていた。
「分かりました」刹那は立ち上がり、頭を下げた。「貴重な話、ありがとうございました」踵を返し、一軒家から去っていった。
「同じく、ありがとうございました」大塵は年老いた男に頭を下げ、去っていった。
 年老いた男は二人の後姿を見ていた。民俗学者と考古学者とは胡散臭い。
 刹那と大塵は一軒家を出て、止めている車に向かった。調査員と警備員が、地元の人間らしき年寄り達と問答していた。
 刹那は警備員の元に駆け寄ろうとした。
 大塵は刹那の肩を掴んだ。「やめとけ」
「話だけでも聞いておく」刹那は大塵を振り払った。
「勝手にしろ、先に車に行ってるぞ」大塵は刹那に声を上げた。
 刹那は軽く手を上げた。
 年寄りは憤慨していた。警備員が宥めている。
「すみません、トラブルですか」刹那は年寄りに話しかけた。
 警備員は刹那に気づいた。「貴方は先程の」警備員は頭を下げた。
 年寄りは刹那の方を向いた。毅然とした態度をしている。「何だお前らは。奴らの肩を持とうってのか」
「肩、ですか」
「森を調べている奴の肩をだ。一帯の森は立ち入れば呪いがかかる。30年前に消えた神社の呪いが未だに残ってるんだ」
「呪いだなんて、今時ありませんよ」警備員は年寄りを宥めた。
 年寄りは顔を赤くして、警備員に突っかかった。「いいや、あるんだ。地元の人間は皆知っておる。現に家の主は呪いで行方不明になっとる」
「いえ、行方不明も何も亡くなっていまして」
「呪いで死んだのか」
「呪いとは恐ろしいな、兄ちゃんも足を踏み込むと死ぬぞ」
 警備員は話を聞かず、自説にこじつける年寄りに呆れを覚えた。
「今、呪いを調べているんです。30年前に八想神社にあった瘴気も、きちんと調べたから解けたんです。同じ方法でやれば、呪いが解けるかも知れないですから」刹那は年寄りを諭した。「森に立ち入る人間は、呪いにかかりたがっている馬鹿なんですから、勝手にさせておけばいいんです。神様も侮辱しない限り罰が来ないのと同じで、森を避ける貴方達に何の罰も来ないんですから、大丈夫ですよ」
 年寄りは唸った。呪いを肯定し、過去の出来事を例に取ったとなればまず反論出来ない。舌打ちをして踵を返し、去っていった。
 警備員は刹那に頭を下げた。「すみません」
 刹那は森を眺めた。27年前と同じく、瘴気に満ちているかも知れない。「失礼します」刹那は車に向かっていった。
 車に大塵が寄りかかっている。「もっと時間がかかると予想してたんだがな」
「人が怖がるのは無知だからさ。分かりやすく説明すれば納得する」刹那は車の鍵をドアに差し込んで回し、ロックを解除した。
 大塵は即座に助手席のドアを開けて中に入った。
 刹那は運転席のドアを開けて座った。
「感触はありそうか」大塵は刹那に尋ねた。
 刹那はドアを閉め、鍵を差し込んで回した。エンジンがかかった。「調査出来る可能性はないか」
「気が合うな」大塵は窓に目をやった。景色が動き出した。相手が動きざるを得ない状況から入るのが交渉の基本だ。今回の場合、交渉するにも餌もなければ脅しもない。相手は自らの意思で動く人間だ。元手なしで要求を飲ませる等、到底不可能だ。
「何もなければないでいいさ、元に戻るだけだ」
「ボーナス、取り損ねたな」大塵はぼやいた。「タイミングも悪かった、死んですぐに持っている土地を調べさせてくれってさ」
「ああ」刹那は曖昧に返事をした。もっと詳細を聞きたかった、本の中身を見たかったと後悔の念が浮き出てきた。
 
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