第4話

文字数 6,654文字

 刹那は電話台に向かった。受話器を上げ、ポケットベルに映っている電話番号を打ち込んだ。呼出音が受話器のスピーカーから響いた。
『もしもし、横乃瀬町立資料館です』
「父符大学の考古学部にいる霧崎です、連絡を受けて電話しました」
『霧崎さんですか』
「はい」
『お待ち下さい』直後にクラシック調の電子音が聞こえてきた。
 暫くして、音楽が途絶えた。
『電話代わった、大塵だ』
「休日に連絡をよこすとは何だ」
『突然ですまない。資料が届いたんだよ』
「何の」
『前に行った森の主からだ。今開けて学芸員と調べてる』
 霧崎は大塵の言葉に驚いた。初めて会ってから数日で届けてくれるとは、予想していなかった。「内容物は」
『大まかに言えば本と紙だな、後はカメラやフィルム諸々だ』
「すぐに行く」刹那は受話器を置いた。気分は新しい玩具を見つけた子供だ。今すぐ行きたいが、神社から資料館まで距離がある。タクシーを呼ぶ為、興奮を抑えて再び受話器を手に取った。
 中年女性がホールから出てきた。声がホールからするので、気になっていた。霧崎の方を向いた。神社に手伝いに来る人間は大抵顔見知りなので、誰が誰だかすぐ分かる。「霧崎さんか、誰と電話してたんだい」
「資料館から連絡がありまして、すぐ来いと」
「資料館って、広報でやってた場所だろ。車じゃないと昼になっちまうよ」
「ですから、タクシーを」
「うちの夫を呼び出すよ、車で送ってもらいな」
「でも」
「頼んでから、すぐ来ると思ってるのかい」中年女性は言い切った。
 刹那は電話を見つめた。現在地の八想神社はタクシーの本部から遠いので時間がかかる。更に多くの人が花見でタクシーを呼ぶので、電話をしても応じてくれるか分からない。中年女性の言葉に従うのが妥当だ。「分かりました、お願いします」受話器を置き、中年女性に頭を下げた。
「行ってくるよ、待ってな」中年女性は下駄箱から靴を取り、履いて出ていった。暫く経った。中年の男を連れて来た。「旦那を連れてきたよ。乗せてもらいな」
 刹那は二人に頭を下げた。「すみません、感謝します」
「気にすんな、普段から手伝ってるんだからよ。車まで行こうや。早く戻らねえとうるせえからよ」中年男性は踵を返し、外に出ていった。
 刹那は中年男性の後をついていった。
 境内を出た。用水路が歩道の隣に流れていて、木が脇にある住宅とを隔てる為に植えてある。駐車場は歩道を抜けた通りの向かいにあった。軽トラックが大量に停まっていた。駅前を中心に都会化しているが、物流は歩けば店にぶつかる程に発展していない。軽トラックがないと移動も輸送も出来ない。
 中年男性は白い軽トラックの前に向かい、ドアを開けた。所々に泥が付いていた。「乗りな」
 刹那は助手席のドアを開けて乗った。ダッシュボードには工具が散らばっている。
 中年男性はドアを思いっきり閉めた。
「資料館の場所は分かりますか」
「広報に載ってたのを見たが、後は知らん」
「線路を渡った後国道に出て、父符側に走ると橋に出ます。近くにある四角い建物です」
 中年男性は一瞬、眉間にシワを寄せた。案内の後半を忘れている。「線路を渡って、国道に出ればいいんだな」分かる部分を答えた。
 刹那は返答から、中年男性が案内を全て覚えていないのに気づいた。「まず国道に出て下さい。出たら次を言います」刹那はドアを閉めた。
 中年男性は車を動かした。通りを走り出した。
 刹那は急な加速に驚いた。運転の粗さに加え、自動車が小型なので急に加速したと錯覚した。
 中年男性は、刹那の反応に笑った。「俺の運転はすごいか」
「大丈夫です」刹那は大きく行きを吸い、冷静さを取り戻した。
「資料館なんて、随分変わった場所で働くんだな」
「変わってますか」
「俺達が普段使ってるのを飾っとくんだろ。価値あんのか」
「今、使っていないのは貴重ですよ」
「使わないのはさっさと捨てちまうのが一番だ、ゴミになって溜まっちまう」
 刹那は苦笑いを浮かべた。空間は無限ではない。道具は不要な人間からすれば溜まるだけのゴミだが、集めている人間から見れば宝の山だ。「失いつつある文化を保護し、新しい人に伝えるのが仕事です。だから回収する必要があるんです」
「俺はよく分からんけどな」
 車は線路を渡り、国道に出た。家が並ぶも商店はなく、行き交う車はトラックが中心だった。
「父符側に曲がって、横乃瀬川と交わる橋まで走って下さい」
「あいよ」
 中年の男はハンドルを切った。
 車は父符側に曲がった。走っていくと、橋が見えた。横乃瀬川を支流をまたいでいる。
「橋の前にある、四角い建物です」
 中年男性は頷いた。四角い建物が視界に入った。橋の前を曲がり、建物の前に停まった。
「場所はあってるか」
 刹那は周辺の景色を眺めた。武満山に生える木々が、資料館の周辺に植えてあった。
「大丈夫です、ありがとうございました」刹那はドアを開け、車を降りた。
「じゃあな」
「ありがとうございます」刹那はドアを閉めた。
 車は旋回し、国道へ去った。
 刹那は自動ドアの前に向かった。ドアが開いた。冷えた空気が流れ込んできた。資料館内部は展示物を守るため、温度を低めに保っている。受付の窓に来た。窓の隣にはプラスチックの板が立っていた。開館時間と入場料について書いてある。「すみません」
 受付の担当者が窓の前に来た。事務関係の書類が散らばっていた。「はい」
「民俗学者の霧崎刹那です。資料室から資料が届いたと聞いてきました」
「霧崎さんですね、お待ち下さい」受付の担当者は電話の受話器を取り、内線のボタンを押した。「霧崎さんと仰る方が来てまして。はい、分かりました」
 受付の担当者は霧崎の方を向いた。「霧崎さん、資料室でお待ちです」受話器を置いた。
「ありがとうございます」霧崎は受付から常設展示室へ向かい、奥にある係員の通用口に向かった。通用口のドアは固く閉まっている。ドアを開け、階段を登って廊下に出た。照明が付いていない為に薄暗かった。廊下を歩き、両扉の前に来て開けた。
 本棚が壁一面に沿う形で置いてあり、中には本やファイルが詰まっている。内線専用の電話が隅に置いてあり、ファックスはない。書類と開いたダンボール箱が、中央にあるテーブルに所狭しと置いてある。中身は殆どが草子本と頑丈な表紙の西洋本で、クラップカメラ等の古い機械類が申し訳程度に入っている。
 学芸員や大塵は、ビニール製の手袋をして箱の中身を取り出し、整理していた。
 刹那は、机に置いてあるビニール製の手袋をはめて机に向かった。ダンボールの中に入っている本は埃を被り、所々黄色くなっていた。傍目からして燃やす以外に使い道がないが、刹那には無数の金脈が埋まる鉱石に見えた。机に置いてある草子本に触れ、丁寧に開いた。紙は黄色く染みが付いているが、材質の和紙は元々頑丈なので丁寧に扱う分には問題ない。所々虫食いで欠けているが、流暢な文体で書いてある。
「寄付を迫って正解だったな」
 刹那は大塵の言葉に頷いた。送ってきた資料を解析するには、年単位での調査が必要になる。新しい発見により、歴史が変わるかも知れない。民話の編纂をやり直す必要もある。本を軽く見終えると置き、別の展示物に目をやった。クラップカメラが目に入った。一見、雑誌の付録に付いている玩具と何ら変わらない。手に取ってみた。
 初老の学芸員が近づいた。「珍しいカメラだろ。レンズの部分を引き伸ばした後、後ろにフィルムを差し込んで撮影する仕組みだ」
 刹那はカメラを回して全体を眺め、製造年を含むサインがないか探した。
「大きさからすると、大正時代の奴だな。カメラがあるとなれば、フィルムもある」
「写真ならある」大塵は洋本を1冊、手にとって開いて刹那に見せた。モノクロで、手のひら大の写真が貼り付けてある。日付が写真の下に書いてあった。
 刹那は写真を眺め続けた。家族の写真や風景の写真で、当時を知る貴重な資料だ。写真を眺めていくうち、1枚の写真に目を留めた。森の中で、蔦が積み重なる四角い石の上に纏わり付いている。直方体の石は平坦な森では殆ど見かけない。角の部分は風化により丸くなっていくからだ。逆を言えば、角ばっている物体は人の手が入っていたと言える。写真の下にあるラベルには、日付と共に『裏庭の森を調査』と薄い文字で書いてある。ラベルに書いてある日付から、関東大震災の後と推測出来る。「森の写真だ」大塵に声をかけた。
 大塵は、刹那に言われアルバムの写真を軽く見た。
「隅を見てくれ。人工の石に蔦が纏わり付いている。昔、施設があった証拠だ」
 大塵はアルバムを開いたまま、丁寧に机の上に置いた。本を手に取り、開いてめくった。黄色く染まった紙に日記が書き込んである。該当する日付を見つけるまでめくり続けた。
「書いてあるのか」
「近いのを見た」大塵は内容を読んだ。虫食いが所々にあるが、文献を読み漁っている経験から解読は出来た。「あった」
 刹那は驚き、大塵が持っている本を覗き込んだ。大まかに『周囲の反対を押し切り、開墾目的で調査した』と読める。「神社は」
「形跡があった記述はあるが、神社と断定出来ないな。別の施設だった可能性もある。調査の必要があるな」
「調査って、許可も降りてないのにか」
 大塵は本を机に置き、隣に置いてある白い封筒を手に取った。
「荷物に入ってた」刹那に渡した。
 刹那は封筒を開け、中に入っている手紙を読んだ。内容に驚いた。大まかな地図と、調査の委任状だ。「今すぐ行こう」
「おい、待て」大塵は膨大な荷物に目をやった。まだ開封していないダンボールもある。整理も終わっていない状況で、外に出て調査とはいかがなものか。「まだ足元の整理が終わってないんだ、調べがついていない状況で行っても何も出来ない」
「遺物の調査はいつでも出来るが、場所の調査は時間が命だ」刹那は手袋を外し、白い封筒を持って部屋を出ていった。
 大塵はため息を付いた。急ぎは焦りを生むが、火の入った炉に水をかける行為も愚行だ。「道具はあるか」大塵は学芸員に聞いた。
「手軽なのは貯蔵庫の棚にある」
「でかい奴は」
「裏だ」
「分かった」大塵は手袋を外し、部屋を出ていった。
 刹那は部屋を出た後、事務所に向かって常設展示室を歩いていた。
 大塵は走って刹那に追いつき、肩を掴んだ。「おい、待て」
「止める気か」
「森に入るのに裸一貫で調査する奴がいるか。まず道具を取ってこないと駄目だ」
「道具なら事務所に」
「貯蔵庫だとよ、でかいのは裏庭にあるのを持っていく」
 刹那は頷いた。「分かった。事務所に行って車のキーとカメラを持っていく」
「俺は貯蔵庫に道具取りに行く。裏で待ち合わせだ」
「分かった。車を運んどく」
「手早くな」大塵は踵を返し、常設展示のフロアに向かった。奥にあるドアを開けた。係員の通用口を兼ねている為、鍵はかかっていない。
 通用口は裏口に通じる廊下になっている。照明は点いておらず、天窓から入る光だけで物体を認識している。壁には埃を被ったロッカーと棚が並び、ロッカーとロッカーとの間にはハンガーパイプが設置してある。パイプにはリュックが引っかかっている。関係者は貯蔵庫と呼んでいるが、実際には展示出来ない代物を置いてあるだけの場所だ。
 大塵はロッカーを開けた。中には道具が乱雑に入っている。全てが古臭く、埃を被っていた。小物を入れている金属のケースは所々錆付いていた。ケースを開けて中身を確認した。一通り揃っていた。ハンガーパイプに掛けてあるリュックサックを2つ取り、分けて入れた。入れ終えると2つ共担いで搬入口から外に出た。
 一輪車やポール等の道具が隅に積んである。役場のステッカーが貼ってある軽トラックが隣に置いてあり、刹那は荷台に投げ入れていた。
 大塵は刹那の元に駆けつけた。「積もうか」
 刹那は作業を止め、大塵の方を向いて頷いた。
 大塵と刹那は道具を片っ端から荷台に積んだ。最後にリュックサックを投げ入れた。
 刹那は運転席に入り、ドアを閉めてダッシュボードに封筒を置いた。
 大塵は助手席のドアを閉め、ダッシュボードを見た。一眼レフカメラと野帳、地図が置いてある。
 刹那はドアが閉まったのを確認し、アクセルを踏んだ。軽トラックが動き出し、老人の男のいる家に向かった。
 現場に到着するのに以前程時間を要しなかった。車通りが平日なので少なかったからだ。
 男の家の前には警備員以外に誰もいなかった。調査員は土曜日の休みを取り入れた為に来なかった。調査が中断しているので、老人達も来る意味がなく人気がない。
 車を道路の脇に駐車した。二人は車を降りて警備員の前まで来た。警備員は以前と異なっていた。線が細く、顔に幼さが残っていた。
 刹那は封筒警備員に差し出した。「すみません、前に来た霧崎刹那と言います。調査の委任を受けて来ました」
 警備員は刹那から封筒を受け取り、中に入っている委任状を読んだ。「霧崎さんと」大塵に目をやった「大塵さんですか」
 刹那と大塵は頷いた。
「話は聞いています」警備員は踵を返した。
「待って下さい。荷物を取ってきます」
「分かりました、先に門を開けておきます」警備員は門に向かっていった。
 大塵と刹那は軽トラックの元に向かった。
 警備員は門の前に来ると鍵束を胸ポケットから取り出し、門に鍵を入れて回した。反動があった段階でノブを回し、門を押し開けた。二人が来るのを待った。
 暫くして、刹那と大塵がポールの束とスコップを一輪車に乗せて運んで来た。
「調査員と同じですね」
「作業は一緒だからな。地主はいないのか」大塵は警備員に尋ねた。
「都会に戻りました」
「何だよ、無責任だな」
「誰だって慣れた土地で休んだ方がいいに決まってるさ」刹那は笑みを浮かべた。
 警備員は庭に向かった。二人も警備員の後をついていった。
「森ですね」警備員は庭を通り森に向かった。「一つ聞きますが、何故町の人は森を嫌うのでしょう」
 刹那は警備員の回答に窮した。話した所で信じてもらえるか分からない。
「純粋に怖いか、調べると困る何かがあるかだな」
「困るって、隠してるんですか」
「宝の山ならとっくに調べてます。あると困る何かですかね」刹那は曖昧に答えた。
 警備員は眉を潜めた。見つかると困る何かが眠っているのか。
 森の前に来た。錆びついた金網と有刺鉄線で囲っていて、立ち入りが出来ない。奥から鳥の声が響いている。
 刹那は息を呑んだ。過去に入った森と似ているが恐れはなかった。未開の調査は慣れている上、不快な気配を感じない。
 警備員は入り口の前に来た。扉にかかっている南京錠に手をかけ、鍵を差し込んで回した。鍵穴が錆びついているので重かった。力を入れて回した。反応があり、錠が開いた。錠を扉から外して開けた。錆びついているので重かった。
 先は蔦が巻き付く木々と、股程の高さにある草が生い茂る光景があった。先は暗く見えにくい。
「瘴気はありますか。立ち入り出来ない結界は」刹那は警備員に尋ねた。
 警備員は眉をひそめた。刹那の質問の意図が理解出来なかった。瘴気やら結界やら、ファンタジー小説の読み過ぎではないか。「分かりません」
「お前は感じるか」
「いえ」刹那は首を振った。
「経験者がないと勘付いてるなら、ないでいいだろ」
「ええ」刹那は曖昧に答えた。
「私は外で警備を続けてますので、戻る時はひと声かけて下さい」警備員は去っていった。
 大塵は先に見える森を観察した。蔦や草が全体を占める程に茂っている。一輪車は入り込めず、ポールも長さから気に引っかかる。「でかいの置いて歩いていくか」
 刹那は頷いた。今回は冒険のついでに調査をする感覚に近い。痕跡を調べるだけなので、本格的な調査は後回しにしても問題ない。
 大塵は一輪車から古いリュックサックを取り出し、ピンポールとスコップを無理矢理差し込んで背負った。
「カメラと野帳は」大塵は刹那に尋ねた。
 刹那はリュックサックの側面にあるポケットから、カメラと野帳を取り出した。
 大塵は笑みを浮かべた。「すぐ出せる所に入れとけ。後で困るからな」
 刹那はカメラと野帳をリュックサックのポケットに入れた。大塵と同じくピンポールとスコップを差し込み背負った。背中に重くのしかかってバランスを崩したが、すぐに元の体勢に戻った。一輪車に積んである遺物収集箱を持った。
「行くか」大塵は森に入り込んだ。
 刹那は、大塵の後に続いた。
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