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文字数 2,224文字
かくして「ムキムキ」VS「アンチムキムキ」の派閥抗争はムキムキ側の完全勝利に終わり、これでチームは「ムキムキ」に統一されることとなった。
一応、チームは一つにまとまることが出来たのだ。
その結果「すばる」は快進撃を続けた。
エース西尾崎の復調と赤木の好投も大きく貢献していた。また、マスクをかぶらないときの金剛も、指名打者や外野で出場し、活躍した。
ムキムキ軍団からも数人がレギュラーとなった。チームのムードも最高だった。
そしてペナントレースも終わりに近い九月には、「すばる」は五年ぶりの優勝争いを演じていた。もちろんライバルは強打者清川のいる、王者「レグルス」だ!
この両チームは9月21日から始まるレグルス球場での三連戦をもって、今シーズンの全日程を終了する。
両チームのゲーム差は2.5。つまりレグルスの優勝マジックは5だ。
ここでもし「すばる」が三連勝すれば、十年ぶり奇跡の逆転優勝を果たす一方、ひとつでも負けるとレグルスの優勝が決まってしまう。
両軍とも神経をすり減らす、勝負所の三連戦だ!
この三連戦の初戦は、赤木の好投で勝った。第二戦は西尾崎をぶつけ、延長十三回の末、これも勝った。
そしていよいよ9月23日、問題の第三戦である。
ここで「すばる」の林監督は捨て身の奇襲作戦に打って出た…
実は、「捨て身の奇襲作戦」などを打たねばならないのには、深い訳があった。
投手陣が崩壊していたのである!
これには話を少し戻す必要があった。
西尾崎がムキムキ、いや、トレーニングルームの「常連さん」となった頃のことである。
その頃、主力投手たちが我も我もとトレーニングルームへと押しかけたのだ。
そんなある日、赤木が20キロのダンベルで上腕二頭筋を鍛えているときだった。
それを見ていたある主力投手が、普段金剛がベンチプレスで愛用していた180キロのバーベルを、まあダンベルもバーベルも訳が分からないものだから、似たようなものだと思い込み、中腰でエイヤッ! と「持ち上げ」てしまったのだ。
その主力投手は秒でぎっくり腰になってしまった。
もう一人いた。
別のある日のこと。その日の先発予定の、ある主力投手だ。
彼はベンチプレスをやればその日のうちにでも、金剛のように速い球が投げられるようになる、とでも思っていたらしい。
そこで試合直前、金剛が目を離したすきに見様見真似でベンチプレスを「始めて」しまったのだ。
案の定、重さ180キロのバーベルの下敷きになり、脱出不能となった挙げ句、肋骨を四本ほど骨折してしまったのだ。しかもご丁寧に悲鳴をあげているそいつを救助するため、三人ほどの救援投手が巻き添えとなり、彼らはしこたま腰を傷めてしまったのである。
かくして二人の先発投手と三人の救援投手が欠けてしまったのだ。
これはもともと投手陣の層の薄い「すばる」にとっては大変な痛手だった。どのくらい層が薄かったかについては、「宇宙人」にまで助っ人として投げさせていた訳だから…
それでも優勝争いが出来たのは、別江府コーチが苦労して、投手陣をやりくりしていたからにほかならない。(どこぞの星のピッチングコーチとは、訳がちゃいまんねん)
で、実はレグルスとの三連戦の前には、シリウスとの三連戦があった。
「すばる」は長いロードに出ていたのだ。
この頃、すばるドームの「プラネタリウム」は、いつもガラガラだった。
「十年ぶりの優勝!」と、皆家でテレビにかじりついていたからだ。それはいいとして、だけど今シーズンの優勝の見込みのないシリウスにだって意地がある。
目的のないチームにとって、唯一の楽しみは「上位いじめ」と「個人タイトル」だ。
エースの須良部投手の最多勝もかかっていたため、とにかくシリウスの選手たちは張り切っていた。
一方、われらが「すばる」は苦戦を強いられる羽目となった。
それでも残された投手陣がふんばり、「すばる」は対シリウス三連戦で、二勝一敗と勝ち越すことが出来た。しかし投手陣は疲労のピークに達していたのである。
そして話を優勝争いのレグルスとの三連戦に戻す。
前にも言ったように、第一戦は赤木、第二戦は西尾崎が先発完投していた。
そうなると第三戦は一体誰が先発するのか。先発出来る投手などいないではないか…
ところが、試合前の三塁側「すばる」のブルペンでは、
「スパーン!」という物凄い音がしていた。
その音は一塁側のレグルスベンチにまでも響いていた。
なにせ、球場も狭かった。
実は「すばる」のブルペンで投げていたのは、キャッチャーの金剛だったのだ。
「ぼく、一度ピッチャー、やってみたかったんだ♪」
金剛はその体からは想像もできないような子供のような無邪気な顔をして、嬉しそうに投球練習をしていた。しかぁ~し、
「ほかに投げる投手がいなかった…」
のが、最大の理由で、林監督としては金剛の剛速球に賭けたのだ。
これぞ林監督の捨て身の奇襲作戦であった。
実はその金剛は、赤木流の筋トレの効果で、この頃には「鉄人」に変身していた。
試しにブルペンで別江府コーチがスピードガンで計ってみると、球速は160キロ出ていた。
ただし、L地球の、だが…
(R地球でそれがどのくらいだったか知りたい人は、電卓で0.89を掛けてください)
ともあれ、林監督としては「打者一巡ぐらいは持つんとちゃうか」と考えていたのだ。
そしていよいよ試合が始まった。
一応、チームは一つにまとまることが出来たのだ。
その結果「すばる」は快進撃を続けた。
エース西尾崎の復調と赤木の好投も大きく貢献していた。また、マスクをかぶらないときの金剛も、指名打者や外野で出場し、活躍した。
ムキムキ軍団からも数人がレギュラーとなった。チームのムードも最高だった。
そしてペナントレースも終わりに近い九月には、「すばる」は五年ぶりの優勝争いを演じていた。もちろんライバルは強打者清川のいる、王者「レグルス」だ!
この両チームは9月21日から始まるレグルス球場での三連戦をもって、今シーズンの全日程を終了する。
両チームのゲーム差は2.5。つまりレグルスの優勝マジックは5だ。
ここでもし「すばる」が三連勝すれば、十年ぶり奇跡の逆転優勝を果たす一方、ひとつでも負けるとレグルスの優勝が決まってしまう。
両軍とも神経をすり減らす、勝負所の三連戦だ!
この三連戦の初戦は、赤木の好投で勝った。第二戦は西尾崎をぶつけ、延長十三回の末、これも勝った。
そしていよいよ9月23日、問題の第三戦である。
ここで「すばる」の林監督は捨て身の奇襲作戦に打って出た…
実は、「捨て身の奇襲作戦」などを打たねばならないのには、深い訳があった。
投手陣が崩壊していたのである!
これには話を少し戻す必要があった。
西尾崎がムキムキ、いや、トレーニングルームの「常連さん」となった頃のことである。
その頃、主力投手たちが我も我もとトレーニングルームへと押しかけたのだ。
そんなある日、赤木が20キロのダンベルで上腕二頭筋を鍛えているときだった。
それを見ていたある主力投手が、普段金剛がベンチプレスで愛用していた180キロのバーベルを、まあダンベルもバーベルも訳が分からないものだから、似たようなものだと思い込み、中腰でエイヤッ! と「持ち上げ」てしまったのだ。
その主力投手は秒でぎっくり腰になってしまった。
もう一人いた。
別のある日のこと。その日の先発予定の、ある主力投手だ。
彼はベンチプレスをやればその日のうちにでも、金剛のように速い球が投げられるようになる、とでも思っていたらしい。
そこで試合直前、金剛が目を離したすきに見様見真似でベンチプレスを「始めて」しまったのだ。
案の定、重さ180キロのバーベルの下敷きになり、脱出不能となった挙げ句、肋骨を四本ほど骨折してしまったのだ。しかもご丁寧に悲鳴をあげているそいつを救助するため、三人ほどの救援投手が巻き添えとなり、彼らはしこたま腰を傷めてしまったのである。
かくして二人の先発投手と三人の救援投手が欠けてしまったのだ。
これはもともと投手陣の層の薄い「すばる」にとっては大変な痛手だった。どのくらい層が薄かったかについては、「宇宙人」にまで助っ人として投げさせていた訳だから…
それでも優勝争いが出来たのは、別江府コーチが苦労して、投手陣をやりくりしていたからにほかならない。(どこぞの星のピッチングコーチとは、訳がちゃいまんねん)
で、実はレグルスとの三連戦の前には、シリウスとの三連戦があった。
「すばる」は長いロードに出ていたのだ。
この頃、すばるドームの「プラネタリウム」は、いつもガラガラだった。
「十年ぶりの優勝!」と、皆家でテレビにかじりついていたからだ。それはいいとして、だけど今シーズンの優勝の見込みのないシリウスにだって意地がある。
目的のないチームにとって、唯一の楽しみは「上位いじめ」と「個人タイトル」だ。
エースの須良部投手の最多勝もかかっていたため、とにかくシリウスの選手たちは張り切っていた。
一方、われらが「すばる」は苦戦を強いられる羽目となった。
それでも残された投手陣がふんばり、「すばる」は対シリウス三連戦で、二勝一敗と勝ち越すことが出来た。しかし投手陣は疲労のピークに達していたのである。
そして話を優勝争いのレグルスとの三連戦に戻す。
前にも言ったように、第一戦は赤木、第二戦は西尾崎が先発完投していた。
そうなると第三戦は一体誰が先発するのか。先発出来る投手などいないではないか…
ところが、試合前の三塁側「すばる」のブルペンでは、
「スパーン!」という物凄い音がしていた。
その音は一塁側のレグルスベンチにまでも響いていた。
なにせ、球場も狭かった。
実は「すばる」のブルペンで投げていたのは、キャッチャーの金剛だったのだ。
「ぼく、一度ピッチャー、やってみたかったんだ♪」
金剛はその体からは想像もできないような子供のような無邪気な顔をして、嬉しそうに投球練習をしていた。しかぁ~し、
「ほかに投げる投手がいなかった…」
のが、最大の理由で、林監督としては金剛の剛速球に賭けたのだ。
これぞ林監督の捨て身の奇襲作戦であった。
実はその金剛は、赤木流の筋トレの効果で、この頃には「鉄人」に変身していた。
試しにブルペンで別江府コーチがスピードガンで計ってみると、球速は160キロ出ていた。
ただし、L地球の、だが…
(R地球でそれがどのくらいだったか知りたい人は、電卓で0.89を掛けてください)
ともあれ、林監督としては「打者一巡ぐらいは持つんとちゃうか」と考えていたのだ。
そしていよいよ試合が始まった。