文字数 1,732文字

L地球へ
 その年、ジャガーズでの赤木の出番は二度と訪れなかった。そしてシーズン終了後の10月初旬、やはり彼はジャガーズから戦力外通告を受けた。
 彼は他の球団のテストを受けようかとも考えたが、色好い返事がもらえそうにないことは容易に想像できた。ジャガーズでバッティング投手として雇ってもうという話もありはしたが、これ以上あの憎き歯江鳥コーチと顔を合わせるのはまっぴら御免だった。赤木の心の中で、歯江鳥が自分に向かって「負け犬」と言っているようで、やりきれない気持ちだったのだ。
 それよりはL地球の話のほうが、赤木にとってはよほど魅力的だった。
 だから赤木はL地球に行って「プロ野球選手」を続けるか、さもなければ地元に帰って職を探し、親元でのんびり暮すかのどちらかにしようと思っていたのだった。

 そんなある日、やや遅く眼を覚ました赤木は近くの喫茶店でモーニングサービスの朝食を食べながら、スポーツ新聞に目を通していた。
 そこには赤木がかつてチームメートだった、一太朗投手の大リーグ移籍の記事が大々的に載っていた。年棒や希望球団の事等も詳しく書いてあった。それを読んで赤木は自分の置かれた境遇と比較すると、何だか情けなくなってきた。
「引く手あまた」の彼と比べ自分はどうか。この球界に「居場所」すらないではないか。
 そんな自分が情けなく、彼はやりきれない気分になったのだ。
 そこで彼は新聞をたたみ喫茶店を出ると、気分転換にといつもの堤防沿いのランニングコースを軽く走ることにした。

 十月半ばで、すがすがしい青空だったが、北西の風が少し肌寒かった。
 赤木はその寒さが身に染みていた。
(年棒十億以上で暖かい西海岸希望だってさ。結構な御身分だぜ…)
 堤防を走りながら、赤木はそんな事を考えていた。くさくさした気分がしていた。
(西海岸かぁ。あそこは暖かい所だ。そんなところで自分を必要とするチームがあるんだからな。うらやましい限りだ。それにひきかえ俺は…)
 他人のことをうらやましがっても仕方がない。赤木はいつもそう思っていた。だけどマスコミから脚光を浴びる「あいつ」のことが、このときばかりは赤木にはとてもうらやましく思えたのだ。
 それから赤木はきれいに刈り揃えられた堤防の土手を見つけると、そこに降りてごろんと仰向けになった。肌寒い風は堤防で遮られ、そこはすこし暖かかった。
 空を見上げると、うろこ雲のすきまをたくさんのトンボが飛んでいた。
 そのトンボを目で追っていくと、そこには朝日、というよりは中くらいに昇った、秋の太陽があった。
(あの向こうにL地球があるんだな…)

 赤木は例の宇宙船のモニターで見たL地球の風景を思い出していた。
 豊かな緑。それに調和した近代的な白い建物。南国を思わせる美しい幕張の海。
 それに、大気が少しだけ薄いL地球の海と空は、まさにコバルトブルーと言えるほどの青さだったのだ。
 ふと赤木は、先程まで彼の心を支配していた、あのくさくさとした気分が、堤防越えの乱気流に吸い出され、川の向こう岸まで吹き飛ばされていくような感じがした。
(悪くないな…)
 赤木は思った。
 太陽の向こうにあるあの星が、とても素敵なところのように思えてきたのだ。
 それで赤木はしばらく考えて、それから自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「あの星へ行ってみようかな。あそこには俺を必要としてくれるチームがあるのだし…」
 赤木は一度大きくうなずいた。
「なんたってあそこには、俺の居場所があるのだから。俺の居場所が!」

 すっかり決心の付いた赤木は、早速アパートを引き払う準備を始めた。
 皆には「多少の貯えもある。しばらくはどこかでのんびり暮らすさ」と告げた。
 最後の夜には尚美の飲み屋へ立ち寄り、ママと尚美と、そして他の常連客たちひとり、ひとりと握手をし、さらに山猫を抱っこしてよしよししてゴロゴロ言わせた後、しばらく来ないからと山猫のトイレの掃除をし、ついでにと店のトイレの掃除までやった。
 それからバッグ一つを携え、約束の時間に例のコインパーキングで、すでに20センチほど浮上しいていた幕下の弟操縦のスーパーカブに飛び乗った。
 2002年10月23日、午後十時過ぎのことであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み