第5話

文字数 2,759文字



 次の日の夕方、鈴木が指定された古びたマンションを尋ねると、家具の無いガランとした部屋に横山が1人で図面を睨んでいた。
 小さな流しと2間程度の作りは、道具が何にも無いせいか、広々と感じらる。
胡座をかいたまま、横山は鈴木を見上げ、
「うまい部屋が見付かったろう。ここなら現場も眺められるし、寝泊まりも出来る。それに、取り壊し寸前だからタダ同然だよ」
 鈴木は1つしかない窓に近寄ると、そこから3百メートル離れた建設現場を眺めやった。
5階からでは、現場の塀も遮蔽にはならず、人の動きまで観察できる。工事は今朝から再開されていた。
 納得の行くまで眺めてから鈴木は横山の隣に腰をおろした。
「横山さん。ここに来る前に、また病院によって来ましたが、やはり会えませんでした。…今度は面会謝絶を無視して病室の前まで行ったのですが、ドアを開ける寸前に、見張りの男に制止されました。どうも、ただならぬ雰囲気ですよ」
横山は、思い詰めたように考え込んでいたが立ち上がると部屋の隅に歩きはじめ、
「今朝から、反対派の主だった人達が、警察に引っ張られている。…長谷川の家族も関係しているとの噂を耳にしたよ」
「まさか。…だって長谷川さんはプロジェクトの一員ですよ。そんな馬鹿な話はないですよ」
「反対運動の署名に名前があったのだそうだ。…だが真相は、一緒に暮らしている年寄りが、近所から配布された反対署名のチラシに署名してしまったんだ。そんなことが今日、ささやかれていたよ」
そう言われれば、鈴木の家にも署名がまわってきたことがある。近所の顔見知りの人なので、妻が危うく署名するところだったのを、居合わせた鈴木が止めたのである。
…そうか…そう言えば、昨日の病院で制止したあの男…あれはどう見ても普通のサラリーマンには見えなかったな…
「鈴木。ちょっとこれを見てくれ」横山が新聞紙ほどの図面を鈴木の前にずらして見せた。
2500分の1の建設現場の図面であり、いたるところに赤と青のエンピツで印がつけられている。
「赤い印が不発弾、青が不発ではなかったやつだ。Cブロックを見てみろ。…3発不発があるだろう。今回の爆発事故はたぶんこれだと思う」
 横山が指さした図面に目を落とすと、事故現場とほぼ一致した地点に赤い印がついている。鈴木は驚いた表情を浮かべると、
「ここまで分かるんですか?とても信じられません。いったいどうして…」
 横山は軽く頷くと、脇にあつた書類の束を図面の上に無造作にのせた。
「20年前にアメリカの国会図書館から取り寄せた資料だよ。これを翻訳したものは一部分だけ、市の歴史資料として発行されているが、なにせ20巻にもおよぶ本の、ごく一部に掲載されただけた。目を通した人間はほとんどいるまい」横山は茶封筒の中から分厚い本を出して見せた。
 それは、鈴木も図書館などで目にしたことのある市の歴史本だった。
 そこの翻訳した箇所に目を通すと、鈴木は息を飲んだ。…100ページにおよぶ空襲のもようは、戦略空軍の司令官によるレポートから始まり、後半は、戦後進駐した米軍による空襲結果の分析レポートとなっている。横山が図面に落としたのも、工場被弾図の中に紹介されているものからだった。
 横山から、あらかじめ聞かされてなければ、読み飛ばしてしまったかもしれない。そのレポートを一読しただけでは、現在までも不発弾が生き続けているなどと言う発想は、どこからも生まれなかっただろう。
「これを読んで気が付いた人はいなかったんですかねえ…」鈴木は溜息まじりにつぶやいた。
「これを翻訳した人でさえ、当時そのことには思い至らなかったそうだ。君も知っているだろう、図書館長の中原さんだよ」
「えっ、中原館長ですか。それじゃ館長もすでにこのことは…」
「うん。知ってるよ。館長からその資料は借りてきた。りっぱな人だ、僕が空襲のことについて尋ねると…奥の資料室からこれを持ってきてくれた。事故があってから、まっさきに疑問を持ったのは、たぶんあの館長だろう。…立場もあって口に出せなかったのだろうが、何も聞かずに寄こしたよ…」
「そうでしたか…あの館長はどちらかと言うと学者肌だから、1人で心を痛めていたんでしょうね」鈴木は感慨深く頷いた。
 横山はエンピツを握ると、
「具体的な計画をたてよう。まず俺の計画はここだ。屋内プールが計画されているDブロック、ここは工場の東側で、板金プレスや切断加工、それと翼部分の組立などの建物が4棟あった所で、爆撃の集中した地点でもある。爆弾は53発命中し、うち不発として記録されているのは18発ある。そのうちの1発を我々で掘り起こすんだ」
 横山はそこで言葉を切り、鈴木の顔を見るが、鈴木は黙って図面を見つめている。横山は説明を続けた。
「屋内プールの建設は、現在3メートルから4メートル掘られている所がある」横山は赤エンピツで長方形を図面に描き、斜線で潰した。鈴木に顔をもどし、
「ここに2発ある。あと1、2メーター掘れば顔を出すだろう」赤い印を2つ塗り潰すと、横山は笑いを浮かべた。
 鈴木も釣られて笑うが、いくらかひきつっている。鈴木は、自分のバックを引き寄せ、中から缶ビールを2つ取り出した。
「つまみはありませんが、やりませんか」
 横山は受け取ると、ゴクッ、ゴクッと、うまそうに喉を鳴らして飲んだ。
「どちらにしますか?2つのうち、掘り出すのは…」
 横山は缶ビールから口を離して、一息つくと、
「今夜、現場を見て決めよう」
「やはり現場を見た方が良いですか?」
横山は、からかうような表情を浮かべると、
「うん。印がついているかもしれない」と言って缶ビールに再び口をつけた。
 鈴木はあきれたように、
「印って…なにかマークでも付いてるって言うんですか」
「おい。お前も飲め、と言ってもお前が買ってきたビールだけどな、アハハハハ…」
 鈴木は手にした缶ビールの口を開けて飲みはじめた。
 横山は鈴木が一口飲むのを待って、
「高度8千メートルから爆弾を落とすと、それが地面に突き刺さるとどうなるか…土との摩擦で爆弾の表面は灼熱するんだそうだ。」
 鈴木は弾かれたように、
「そうか…爆弾が地中を通過した跡、痕跡かなにかを探そうってんですね」
「そうだ。爆弾は5、6メーターもぐりながら、触れた土を黒く焦がすんだよ。黒く変色した土が確認できれば、…そこを掘って進めば自然とたどり着く」
 鈴木は希望が湧いてきたのか、目をいっそう輝かし、
「夜まで待つことはありません、今行ってみませんか。それに夜中に行って見つかれば怪しまれますよ。跡があるかどうか、見るだけです。そんなに時間は掛かりませんから」
 横山はしばらく考えてから立ち上がった。
「よし。行って見るか。ただし確認できたらすぐに戻ろう」
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