第1話

文字数 2,180文字



 大型建設用機械の発する騒音に満ちたそこは、市の大型プロジェクト事業の建設工事が始まったばかりだった。
 長谷川はその企画に携わった一員であり、時々はこうして現場にやってくる。現場の敷地は約580平方キロにわたり、しかも市の中心に位置した一等地である。
 いかに地価が安定してきたとはいえ、これだけの広大な敷地をまとめて確保することは、通常では不可能であったろう。
 5年前までは、ここは自動車工場であったが、20世紀末頃から始まった自動車業界の不振により、ここの工場も海外移転をよぎなくされたのだった。
 突然「ピーピーピー」と携帯無線が鳴り始めた。土木工事の現場では、このかん高い音も注意していないと聞き逃してしまう。
 無線機を耳に強く押し当て、空いた手でもう片方の耳を押さえる。
「主任ですか?Cブロックの田口です」
「どうした」
「ハンマーがまた…変な…金属…当たりました…」
 あちらの騒音もかなりのものだ。無線機の受信ボリュームつまみを最大に回す。
「おい。聞こえない。もう一度…」
「金属らしき物に、また当たったんです」
 詳しい報告は無理だと思ったのか、言葉を短く切っている。
「機械を止めろ。いま行くから」
「金沢さんがこのまま続けろと…それで」
「すぐに行く」
 無線機を2つ折りにし、ポケットに放り込む。…あいつは、いつもこれだ…
 数日前もあったばかりだ。地中2・3メートルのところで金属物質に突き当たった。
 掘り出された物は、飛行機のエンジンだった。詳しい調査はこれからだが、なんでも、太平洋戦争中の日本の艦上戦闘機である、零式戦闘機のエンジンとか。
 終戦まで、ここは軍需工場だったのだから無理はない。しかも、日本でもトップクラスの飛行機工場があり、戦後はGHQに解体された後に自動車工場となった。
…また零戦か…1世紀近い前の戦争の遺物が、地中より蘇り、足を引っ張っている。
「まるで亡霊だ…」…しかし、工事はいったん止めねば…金沢のやつ、先日の遅れに苛立っているな…長谷川が足早にCブロックへ向かっている時だった。
 それは、突然起こった。
 瞬間、長谷川の目の前が真っ赤になったと思うと、直後に猛烈な熱風が襲いかかり、彼の体は地面から数メートル持ち上げられたまま吹き飛ばされていた。頭と肩に激痛を感じた瞬間までは覚えているが、その後は意識が無くなっていた。
 鼻をさすような化学薬品の匂いで、長谷川は我に返り体を起こす。しかし、そこは…
 見開いた目に飛び込んでくるものは、茶色の砂埃が不気味に渦巻く世界だけだった。
 霞みがかかったようで、何もはっきり写らない。しばらくは、呆然と立ちすくんでいたのだろう。
「何があったんだ…」つぶやくが声になっていない。
「静かすぎる。建設機械の音はどうしたのだ…」
 歩き始めるが、すぐに何かにつまずき、あやうく転びそうになった。
 体のバランスを取ろうとした時に、猛烈な激痛が左肩に走る。
「うっ…」左肩を押さえながら、長谷川は膝をついた。
 すると、今つまずいた物が目の前にころがっている。黄色い、お椀のようなものだ。薄汚れているが、ヘルメットであることは、容易に理解できる。
 そして、その中に胴から離れた人間の首が入っているのも、…
ぼんやりと、しばらく眺めていたが、いきなり恐怖感が突き上げてきた。
「うわあ…だ、誰か…」
 目を無理やり引き離して、まわりに救いを求める。…が…まわりの光景が、今度ははっきり長谷川の目に飛び込んできたのだ。
…どうしたんだ…これは…
 数分前までの、あの活気に溢れたCブロック建設現場の風景が一変してしまっていた。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような、ガラクタの山である。
 鉄骨を山のように積み上げていた資材置き場は、原形も分からぬほどに崩れ落ち、そばで鉄骨を吊り上げていたクレーン車は横倒しになっている。仕切りのための仮設の塀は、飴のように曲がった骨組みを残したままだ。
 中心は靄のような、煙りに包まれているが、チラ、チラと赤い炎が数箇所から見て取ることができる。
 突然、横倒しとなっていたトラックから火が吹き出してきた。
「事故か…」反射的にポケットをまさぐり、無線機を掴み出すと、本部直通の回線を開く。左腕は動かないので、右手だけで操作し、ランプが点もるのを確認してから、すぐに呼び掛けた。
「本部、本部。こちらCブロック。いやCに行く途中だ…どっちでもいい。誰か返事をしてくれ!…」
「……」
「…どうした。誰もいないのか!」
「……」
…返事がない。無線機の故障か…
「くそう」
 長谷川は、いまいましそうに、無線機を地面に叩き付けると、後ろを振り返った。
「あっ」
 作業服を着た男が5、6人、瓦礫を乗り越えながら、こちらに走ってくるところだった。
…助かった…
「おうい…こっちだ」怒鳴っているつもりなのだが、いつもと声が変だ。…変だぞ…
 その時、自分の耳がまったく聞こえなくなっていることに気が付いた。
 おそるおそる耳に手をやると、ぬるりと生暖かいものに触れた。手を見ると、真っ赤に染まっている。
 すばやく服の上から体を点検するが、いたるところに血が染み付いている。そうとうの出血だ。頭からポタポタと地面に血が垂れているのに気が付くと、急に目の前が暗くなり、顔から血の気が引いていった。長谷川はその場で崩れ落ちた。

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