第3話

文字数 4,554文字



 横山は、持って行きようのない怒りを酒で紛らわしていた。行きつけの居酒屋のカウンターに2人で腰掛けている。
「横山さん。みんな残業をやっているのに、2人だけで酒を飲んでるなんて、申し訳ないですね」
 部下の鈴木が、もつ煮のお通しに箸を突っ込みながら、つぶやいた。
 横山はビールを喉に流し込むと、苦々しそうに、
「上の連中はなにも分かっちゃいない。なんで、俺たちのチームが解散させられたんだ。もう少しで、解明できたというのに」
「でも、あの事故は反対派のしわざだと、土木課の方でも話していましたが…」
「あれは不発弾だ。まちがいない」
 横山の断定的な言い方に、鈴木は多少の反発があった。
「それにしても、偶然突き当たったにしては、タイミングも良いし、でき過ぎのような気もするんですが」
 横山は右手のグラスを見つめながら、
「単なる偶然じゃない。何の調査もやらずに掘るから、あんなことになったんだ。先日出てきた人骨、あれは何だと思う」
 爆発事故の3日前、現場から人骨が掘り起こされた。警察が引き取って鑑定しているが、相当古いものなので、最近の事件とは関わりがないだろうと、工事はそのまま続行されている。
「……」
「あれはたぶん、昭和20年の空襲で死んだ人の骨だ。防空壕かなにかに入っていて、押し潰されたんだろう。今では当時の空襲のことなど、みんな忘れてしまっているから思いもつかないだろうが…あそこで何百人と死んだのに、慰霊碑ひとつない。忘れてしまうのも当然だ」
 そういえば、横山主任は数日間、書庫にこもりっきりだった。
「横山さんは、それを調べていたんですか」
「うん。調べていくうちに分かったんだが、空襲は想像以上の大惨事だったらしい…」、思い出すように、目は遠くを見つめている。
 半世紀以上昔のことで、体験した人たちもほとんど今はいない。鈴木も幼い頃、祖父から聞かされた覚えがあるが、内容は覚えていない。その祖父もすでに他界しているが、自分を可愛がってくれた記憶が蘇る。
「横山さん。聞かせてください。…その空襲のことを…私も知っておきたいんです」
横山はじっと鈴木の顔に目を注いでいたが、決心したように説明を始めた。
…昭和20年2月10日、サイパン島より飛び立ったアメリカ戦略空軍のスーパーフォントレス…B29、84機が午後4時5分に目標の上空に到達した。
 そして748発の500ポンド爆弾と、198発の500ポンド焼夷弾が飛行機工場めがけて投下されたのである。
 問題となるのは、この500ポンド高性能爆弾である。高8千メートルから見れば、ほんの豆つぶ程度の目標に、750発もの爆弾が雨あられと降り注いだのだ。
 わずか35分の空襲で、国内でも最大規模の飛行機工場はほぼ壊滅状態となった。この工場で働いていた従業員は約3万人、空襲警報が出ても、多数の従業員が職場の警備にあたっていた。   彼等は焼夷弾攻撃を予想していたため、自衛団と称して、職場待機を命ぜられていたのだ。
 当時の報告では、約100人の従業員が、この敷地内で死亡しているが、まわりの被害を考えれば、もっと多かったことが予想される。
 また、戦後、進駐した米軍の調べでは、投下された748発の高性能爆弾中、敷地内に命中したものは、123発であり、その内の43発は不発弾であった。
 命中率16パーセント、625発は敷地外に落下している計算だ。
そこで言葉を切り、鈴木の空いたグラスにビールを注いだ。鈴木は考えるように、泡立ったグラスを口に運ぶと、半分ほど飲み下だした。
「すると、43発の不発弾の内、その1発が今回の事故と関わってくる可能性があるわけですね」
「その後も、2度の空襲があったが、これは艦載機によるものなので、100キロ爆弾、50キロ爆弾が中心だった。不発弾もまあ20発程度埋まっているようだが、今回の爆発規模から見て500ポンド爆弾、日本では250キロ爆弾と呼んでいたやつだと思う」
「250キロ…いったいどんな破壊力があるんでしょう…」
「詳しいことは分からないが、終戦間際の日本の特攻隊、知ってるね」鈴木は軽く頷く。
「あれの戦闘機タイプに積んでいた爆弾が、250キロだったらしい。戦艦や空母は無理だが、駆逐艦程度なら、当たり所がよければ1発で沈められた。鋼鉄艦ですらこれなんだから、コンクリートで出来たビルなどは、ひとたまりもあるまい」
 持ち上げたビールが空になっている。横山はカウンター越しに怒鳴った。
「おうい。ビールをくれ」
 現場に近いこの居酒屋も、工事が始まってからは、作業帰りの者たちで連日の賑わいを見せていたが、今日は客もまばらである。…工事が再開されるまではこの調子だろう…ビールが2本カウンターに立てられる。
 鈴木は素早く1本を取ると横山に勧めた。
「横山さん。調査した不発弾は処分しなかったんですかねえ。米軍は工場を摂取した後もしばらくは活動拠点にしていたんでしょう?そのままにして置くなんて、考えられないですね」
「報告書は地上における確認となっている。不発弾は地中5、6メーターも潜ると言うから、地表に開けた穴を確認しただけなんだろう。実際はもっと有るんじゃないか」
 鈴木は暫く考えていたが、あることに思い当たったのか、
「なにかの本で見ましたよ。自衛隊が不発弾処理をしている写真を…だいぶ経ってからなんでしょうが。その時処分したものも相当あるんじゃないですか」
「2発だけだ。…しかも目標から大きくはずれたやつで、1発は畑のどまん中、もう1発は、ある集会場の庭先。…信管を外す時には、半径300メーター以内の住民を避難させたと言うから、1発処分すると言ってもたいへんなことなんだよ」
 横山はグラスの残りを一息に流し込んだ。
 鈴木は半ばあきれ顔で、
「じゃあ敷地にある5、60発は手付かずのまま…」
 横山は鈴木に顔を向けると、恐ろしい目つきとなり低い声で語った。
「不発弾は5、60発だけじゃない。敷地外周辺に落ちた爆弾は625発、そのうちいったい何発が不発になっていると思う?…敷地外については資料が無いが、報告書の不発率からいけば、なんと35パーセントにもなる…」
 鈴木は素早く頭の中で計算する。驚いた表情になると、
「200発…」
 横山は軽く頷くと、
「計算上では219発だ。…それで処分したのはたったの2発、1パーセント以下だよ。…我々の腰掛けている下にも1、2発あるんじゃないか…」
 鈴木は反射的に自分の足元を見つめる。まるで地中数メートルに潜む魔物が、そこに有るかのように…ようやく顔を上げると、
「腐っているんじゃありませんか?だって大昔ですよ。いくらなんだって、そのままと言うことは無いでしょう」
 横山はグラスを右手で弄んでいる。やおらビールを掴むと鈴木に促した。
「じつは、俺も最初はそう思ったんだ。写真じゃ分からないから、25年前に不発弾処理に立ち会った担当者を探したんだ。ほとんど、退職していたが1名残っていた。話を聞いて驚いたよ。…不発弾が地中から顔を出した時、すぐそばで待機していたそうだが、…それはピカピカだったんだそうだ」
 横山は、そこで一息ついてから続けた。
「…まるでサンドペーパーをかけた様に光っていたらしい。半世紀も経っているのにだ…それが見ている間に、赤く錆てきたと言うから、空気から遮断された、地中5、6メートルでは、腐食もほとんど進まないのだろう。…だからたぶん、…爆弾は今でも落ちた時のままだと思う」
 鈴木は大きく溜め息をつくと、独り言のように、つぶやいた。
「なんてこった。200発もの不発弾がまだ地中に生きている…それならここは、絶対に掘り返せない土地じゃないか」
 横山は、鈴木を見詰めてからグラスを握り直し、
「そのとおりだよ…掘ることのできない土地…それはシベリアのツンドラと同じで、凍りついた地平線なんだよ…」
「凍りついた地平線か…しかも不発弾で凍りついている…今まで、どうして何もしなかったんだろう。いくらでも時間はあったのに…」
「無理だったんだよ。返還され、自動車工場になってからは、会社の復興しか考えられないだろう。…今では、この近辺も人口密集地だ。全部疎開させての不発弾処理などできるはずがない。それに膨大な経費は、ほとんど市の持ち出しだ。だからパンドラの箱は開けてはいけなかったんだ」
 そこまで言ってから、横山は黙ってビールを自分のグラスに注いだ。
横山のやりきれない気持ちが、ひしひしと感じられる。
…そうだったのか。上からのチーム解散命令は、…パンドラの箱を開けてしまえば、それが事故原因でなくても、工事の続行は難しくなる。それに不発弾の上で寝起きしている住民も騒ぎ始めるだろう。そうなれば、工事どころではない。…一大娯楽施設など夢のまた夢、だいいち、そんな物騒な娯楽施設などに客は入らないだろう。…だからこそ、反対運動グループの破壊工作にしておく方が良いわけか…
「あっ」、鈴木は突然声を上げた。
「横山さん。現場で1人生き残ったのがいましたね。長谷川です…彼が証言したらどうするんですか?ひょっとして、何か重大なことを知っているかも知れません」
 横山は鈴木の興奮した顔を見つめると、
「すでに我々の出番はなくなっている。後は国や警察がやってくれるだろう」
「信用できません。この工事には膨大な利権がからんでいるんですよ。それに、不発弾となれば、日本中の同じような都市で騒ぎが起こります。…補償問題やら訴訟やら起こされたら、それこそ政府だって安泰でいられるはずがありません。だから、だからこそ過激派にでも押し付けてしまえば…それこそ一石二鳥じゃないですか」
 横山は静かに頷くと、険しい表情となり、
「おまえ…どうしたいんだ。…そこまで分かっているなら、どうも出来ない事も理解できるはずだ」
「このままじゃ、死んだ10人の作業員が浮かばれません。いいえ、それよりも親子連れで賑わうレジャーセンターで、…もし、…再び爆発が起こったら…私らは一生、その責務から逃れられませんよ。横山さん。僕らで続けましょう。これから先、悪夢を見続けるより、よっぽど良い」
「……」
「真実は真実です。どんなことがあっても真相を究明しなければ…そして、それを世間に発表しさえすれば、分かってもらえるでしょう。…今やらなきゃならない事が、ほんとうは何なのか。…しょせん隠蔽したところで、つけは必ず何時か払らわされます。やりましょう…」
 横山はグラスを見つめたまま動かない。鈴木は右手の拳を固めたまま、横山の返事を待っている。しびれを切らした鈴木が口を開こうとすると、
「明日、長谷川が入院している病院に行ってみよう。それから、建設計画の図面を用意してくれ。できれば2500分の1がいい。米軍の報告書から不発弾の位置が特定できるかもしれない」
 鈴木は目を輝かせると、
「それじゃ、やるんですね」
 横山は決然とした表情で、
「もちろんだ。我々で不発弾を掘り起こすんだ。…それに今度は2人だけではない…」
「えっ…」
 横山はにやりとすると、
「数百人の英霊も一緒だ。出てきた人骨は、それが言いたかったんだよ」
鈴木も破顔すると、2人は声を上げて笑いだした。

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