第2話

文字数 1,455文字



 市長室には男が1人いるだけだった。応接セットのソファーに深く体を沈め、物思いにふけっている姿は、60歳になったばかりなのだが、それよりも老けたように見える。
 ノックの音に目をやると、秘書課長がドアを開けて入ってきた。
「病院より報告がありました。長谷川ですが、命に別条はないとのことです。ただし、意識が回復するかどうかはまだ分からないそうで…たとえ戻ったにしても、記憶障害は残るだろうとの話です」
 市長はゆっくり体を起こしながら立上がり、窓際に歩を進めると、
「総務部長を呼んでくれ…それから総務課長もだ」
「かしこまりました」
 しばらくすると、秘書課長の先導で2人が応接室に入ってきた。
ソファーを指差し、自らも先程の位置に腰を下ろす。2人が畏まって着座するのを確かめてから、市長は口を開いた。
「その後、調べの方はどうなったかね」
 疲労の滲み出ている顔から、目だけは鋭く部長の顔に向けられている。
 部長は一瞬、言葉を選んでいるようだったが、
「まだ、原因の究明に至っておりません。しかし、スタッフもこの2日間、徹夜で調査をしておりまして、いましばらく…」
 市長は手で遮ると、じろりと2人をねめまわした。
「なんだね。その軍服みたいな服は…何のつもりなんだ」
 課長がピクリと体を強張らせると、
「防災本部用の制服です。昨年の訓練時に購入したもので…」
「いつ防災本部が設置されたんだ。市長の私が知らないのに…」
 部長が引き取るように、
「本部設置はまだされておりませんが、副市長と諮りましてそのうち…」
「よさんか。防災本部の設置など私がゆるさん」目は怒気のためか、異様にぎらついている。
しばしの沈黙の後、課長が恐る恐る口を開いた。
「しかし、爆弾説の可能性も捨て切れません。周辺での磁気探査でも、何箇所か反応が見られるとのことですので、地域住民の安全を図る意味でも本部設置が必要になるかと思いますが…」
「不発弾かね。しかし、何十年も地中にあって、まだ爆発する可能性があると言うのか。…ばかげているよ。何をつまらない噂に惑わされているんだ。君らがそんな風だから、住民が動揺するんだ。それこそ建設反対グループの思う壺じゃないか」
「……」
「磁気反応は飛行機の残骸だ。終戦後、敷地内にそうとう埋めたと言うではないか。そのように発表したまえ。それから、職員にも不用意な発言をしないよう徹底したまえ。不発弾に対する市の調査も一切禁止する。ただちにだ」
「分かりました」部長はハンカチで額の汗を拭うと課長に目配せし立ち上がった。
すると思い出したように市長は、
「それから、反対署名運動のコピーを1す部用意してくれ。午後には署長が取りにくる」
 課長は戸惑いを見せ、
「しかし、あれを警察に渡したとなると…」
「内密に行う。それに反対派の妨害工作の線で、今後の捜査は進められるから、そのつもりでいるように」
 市長は威嚇するように、睨みつけるとソファーから体を起こして、執務デスクに向かった。2人の退室を確かめてから、スマホを取り出し、どこやらにつなぐ。
「わたしだ。入院している職員はどうやら助かるようだ。しかし、意識の回復については当分考えなくても良いかもしれない」
 ときおり、頷きながら相手の言葉に耳を貸している。
「わかった。その線で進めさせてもらう。そちらからも予定どおり、裏から手をまわしておいてくれ」
 市長はスマホをポケットに戻すと、窓に歩みより建設現場の方に目をやった。
「あれには政治生命がかかっている。なんとしても完成させねばならない…」
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