第4話

文字数 2,930文字



 北風が猛烈に吹きすさぶなか、 2人は厚生病院の駐車場で車から足を降ろした。
 スーツの襟をかき合わせるが、山の雪で冷やされた風は容赦なく体に浸み込んでくる。
 横山は昨夜の鈴木との会話を反芻していた。前方では、駆け足の鈴木が、正面玄関の自動ドアにたどり着こうとしている。
…鈴木を巻き込むことは不本意だった。まだ若く前途有望な職員である。自分のように、頑固で融通の利かないものとは、わけが違う。…地中の悪魔を蘇らすことが、結果として我々にどのような社会的制裁で返ってくるか。…恐らく、この北風よりももっと冷たい風が吹くだろう。…
 鈴木は2重ドアを抜けたロビーで待っていた。髪を手で撫でつけながら、こちらを見ている。目の輝きは、昨夜とかわらない。
「横山さん。本館の8階ですので、突き当たりのエレベーターを使いましょう」
横山は動き始めようとする鈴木を手で制すると、
「その前に花を用意しよう」、売店の所在をすばやく目で確認し、歩き始めた。
 鈴木は肩を並べると、頭をかきながら、
「うっかりしてました。そうですね…まさか手ぶらじゃ失礼ですからね」
 横山はいきなり歩を止めて、鈴木の顔をまじまじと見つめた。怪訝な表情で立ち止まった鈴木の肩を右手で掴むと、諭すように口を開く。
「花はカモフラージュだ。…今我々がやろうとしていることは、ある連中から見れば、とんでもないことなんだ。事前に察知されれば、どのような妨害が入るか分からない。たとえ、うまく行ったとしても、…ただでは済むまい…今ならまだ間に合う。どうだ、俺1人にまかせて貰えないだろうか」
 鈴木はゆっくり掴まれた肩に手をやると、「横山さん。覚悟はできています。…それに言い出したのは私です。いまさら後には引けません」結んだ口に力が込められている。
 横山は手を引っ込めると、溜息をついた。「わかった。…」、それから2人は無言のまま売店に向かった。
 8階のホールに到着すると、2人は案内板の前で立ち止まる。
廊下では、白衣を着た若い看護師が、治療機材を乗せたワゴンを押してくるところだった。鈴木が足早に近寄り、なにやら話かけている。ときおり看護師は、廊下の一方を指さして説明しているようだ。鈴木は看護師に礼を言って戻ってきた。
「横山さん。まずいですよ…まだ集中治療室にいるんだそうです。家族以外は面会謝絶とかで、奥さんだけが付き添っているとのことです」
「奥さんに会えれば、何か聞けるかもしれない。ともかく集中治療室まで行ってみよう」
予測はしていたが、大事な手がかりとなる証人だから、このまま帰るには忍びなかった。…今後のこともあるから、せめて奥さんだけにでも顔を繋げておこう…
 集中治療室の前に男が1人座っていた。黒のスーツを着込んだ、見るからに精悍そうな体格である。人の気配を感じてか、週刊誌から顔を上げて、こちらを見つめている。
 横山は、一瞬いやな予感に襲われた。それにかまわずドアに近づくと、男が立ち上がりドアのノブを背中で塞いだ。
「どちらさまで…」
 ひどく横柄なしゃべり方をするやつだ。対応を計りかねていると、たたみかけるように、
「ここの患者は面会謝絶だ…」
 鈴木が何か言いかけようとするのを制し、横山は丁寧な口調で答えた。
「私は長谷川君の同僚です。一緒に建設計画に携わっていたものですから、面会謝絶は承知の上で、奥さんに花だけでもお渡ししたいと思いまして。奥さんはいらっしゃるのでしょう?」
 男は横山と鈴木のスーツの襟についている、市の記章を認めると、目を花束にむけ、
「花はこちらで渡す。そこで待っていて貰いたい…あ、それから名前は?」
「名刺が中に入っています」
 男は花束の中に目を落とすと、そのままドアの中に消えていった。
 鈴木はドアから目をはなさずに声をひそめ、
「なんですか、ありゃあ…まるで監視しているみたいだ」
「監視しているんだろう。思ったより厳しいかもしれないな」
 ドアのガラス越しに人影が写る。2人は会話を中断し、先ほどの男と、それに続けて女性が出てくるのを認めた。
 たぶん奥さんなんだろう。ひどくやつれた顔には、苦悩のあとが刻み込まれている。
 横山は女性が口を開く前に近寄り、そのかぼそい手を握り、
「奥さん。しっかりしてくださいよ。私が付いてますから、長谷川とは良く仕事帰りに酒を飲み交わした仲なんです。力になりますから、困ったことがあったら何でも言ってください」
 女性は、はっと横山の顔を見つめると、いきなり顔を押さえて泣き始めた。震わせている肩が痛ましく上下している。傍らの鈴木も思わず目頭に手を当てた。
 横山は女性と並び、やさしく肩を抱き込むとそのまま誘導するように、足を1歩踏み出した。女性も続く。
「そこの面会室で少し休みましょう。私がご案内しますよ」
男には目もくれずに、病棟中央にある面会室へと歩を重ねた。横山の注意は背後の男に注がれている。…制止されたら打つ手はない。しかし、男のついて来る様子はついに感じられなかった。
 かなり広く贅沢につくられた面会室は、ちょっとしたホテルのロビーを感じさせる。寝間着姿の患者が数人、まばらに座っているだけだ。
 ソファーに腰を下ろすなり、横山は口を開いた。
「奥さん。申し訳ありませんが、時間があまりありません。単刀直入にお尋ねしますが、長谷川君の意識はまだ、戻りませんか」
 女性は顔をあげると黙って首を横に振った。横山たちに何か緊迫した雰囲気を感じ始めたのか、表情も堅くなっている。
「そうですか。…たいへんな時に、こんなことを申し上げるのもなんですが、意識が戻って、あの事故の原因に関わることを口にするようになったら、すぐに私に連絡をもらいたいんです。けっして悪いようにはしません。信じてください」
「あなた達はいったい…」怪訝な表情が浮かんでいる。横山は、
「正直に言いますが、今朝発表されたあの事故原因について、釈然としないものを感じているんです」
 すぐに鈴木が横から口をはさむ。
「真相を解明したいんです。亡くなった連中のためにも…ぜひお願いします」
「……」
「詳しいことは、いまは申し上げられませんが、何か大きな力が働いていて、原因を別の方向にねじ曲げているような…そんな気がするんです」
女性は黙って聞いていたが、頭を静かに動かすと、
「わかりました。私にはそれが何にか分かりませんが、おかしな雰囲気だけは感じています」
「あの病室の前の男ですか」
「それもありますが、…警察が主人や家族の背後関係を調べているようなんです。このままでは、主人は反対派グループと関わっていたような…そんな形にされてしまうんじゃないでしょうか…」
「なんてやつらだ…」鈴木は吐き捨てるようにつぶやいた。
 横山は名刺を取り出すと、スマホの番号をすばやく記入し、女性の手に握らせ、
「今日のところは、これで引き上げますが、長谷川君は必ず回復します。だから気をしっかり持っていてください。それと、なにかあったら私でも鈴木でも良いですから連絡をください。力になりますから、頼みますよ」
 女性は横山の目を見つめ、こくりと頷いた。それが合図となり横山は鈴木を促しソファーから立ち上がった。

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