第8話

文字数 2,904文字



 翌日はからりと晴れていた。風が穏やかに吹き始めているが、午後には強風になるかもしれない。
 横山と鈴木は、建設現場の視察団が休憩する予定となっているテントで、椅子に腰を降ろしていた。
 テントの内外では、5、6名の女子職員が接待の準備に追われているところだ。鈴木は接待用の湯茶ポットからいれたお茶を横山に差し出した。僅かだが手が震えている。
「横山さん。今朝、入院していた長谷川の意識が戻ったそうです。すると、それを待っていたかのように、警察が病室を取りまき、一切の面会を遮断してしまったんだそうです」
…口封じか。だが、それも今日で終わるだろう…
「鈴木。当時のあの日も晴れていたんだそうだ。雲量2というから、爆撃にはもってこいの天候だったのだろう」
「でも、横山さん。風は強かったそうですよ。そのために、爆弾がかなり東に流されたんだと言いますから」
 横山もその話は聞いたことがあった。たしかに強風の日であり、B29から撮影した爆撃中の写真も、工場から噴き上がった煙が東にたなびいていた。
「あれは爆撃照準士のミスなんだよ」
 B29は隊長機を中心に左右4機ずつ、計9機で雁行形の編隊を組んでいる。隊長機が爆弾を落とすのを見て残りの8機が落とすという訳だが、…あの日は9機編隊が10派、つぎつぎとこの上空にやって来ては爆撃して行った。しかし、後の編隊になるほど煙で照準が付けにくかったんだろう。あやまって数機が目標の手前で落としてしまったと、基地に帰ってから報告されている。
 横山は空を見上げた。青く澄み切った空はいつもと変わらない初春の穏やかさを携えている。
 シミ1つない青空に、白い飛行機雲を後ろに引きながら、9機の銀色の編隊がゆっくり近づいてくる。高度8千メートルの飛行機は、マッチ棒ほどの大きさに見えるのだろうか。4発のレシュプロエンジンが都合36個、それが奏でる重低音の響きは、防空壕で震える人達の心にどのように響いたのだろう。
 鈴木はスマホから耳を離すと、
「横山さん。視察団はCブロックに到着したそうです。もう間もなくですよ」
 横山は、その声で現実に引き戻された。
 まわりをざっと見渡すと、50人ほど収容できるテントが2つ、その中には椅子とテーブルが整然と並べられていた。女子職員が弁当をテーブルの上に並べている。
 議員関係40名、市幹部20名、地元役員20名、報道関係10名、テレビカメラも持ち込まれているようだ。
 横山はテント前の紅白の布で覆われた仮設演壇に目をやった。約1メートルの高さで、畳3枚分ほどの広さの壇上には、スタンドマイクが1本立っている。
 その時、スマホのアラームが鳴り始めた。鈴木がスマホを耳に当てる。
「はい。鈴木です…今向かった?…分かりました。待機します」
 鈴木は横山に顔を向け小さくささやいた。
「はじまります」
 視察団一行は土煙を上げながら、大型バス2台でやって来た。プール建設予定地は地上から4メートルの地底にある。
 見晴らしの悪い所に休憩所を設営したと、上層部はかんかんに怒ったが、後の祭りである。いまさら移動などできっこない。
 多少の混乱もあったが、来賓達は全員席についた。
 テレビカメラのライトがテントの中に差し込まれた。市長を中心に来賓たちの、談笑している姿が、和やかに写しだされているのだろう。
 喧噪に満ちたテント内では、それぞれが弁当を広げたり、隣どうしで感想をのべ合ったりしているが、特に市長の愉快そうに、愛嬌を振りまいている姿が目につく。
 副市長がなにやら市長に耳打ちすると、市長は数度頷き、近くの来賓に声をかけながら、立ち上がった。
 横山もそれを認めるとテントを出た。
 演壇の反対側にステップがある。横山はそのステップを横から手で押さえると、市長の到着を待った。
 上着のボタンを合わせながら、ゆっくりとした足どりで市長が近づいて来る。
 市長がステップに足を乗せる時、横山が市長に小さくささやいた。
「足下に気を付けてください」
 市長は横山に一瞥をくれると、ギシギシと音を鳴らして壇上の人となった。
 ふと人の気配に横を見ると、鈴木がステップの反対側に取り付いている。横山と顔が合うとニヤリと笑い、
「私にも引かせてください」と言いながら、ステップに付けられたキャスターのロックを解除している。
 その時、市長のマイクを通した声が頭上で響き渡った。
「…先日の不幸な事件は、捜査陣の必死の努力により、まもなく解決となるでしょう。…皆様方が今日ご覧になられた通り、この建設現場の安全性は、この私が保証いたします。…これからは、1日も早く、工事の遅れを取り戻し、我が市の観光の目玉とも言える一大レジャーセンターの完成をめざすため…」
 横山は鈴木に顔を向けた。鈴木も横山の顔を擬視している。汗が背中をつたって流れるのがわかる。心臓も早鐘のように鳴り響き、今にも胸が張り裂けてしまうのではないかと思われた。横山は震える声を押し殺しながらどなった。
「いくぞ!」
 ステップを懇親の力を込めて引っ張る。ギリギリと不気味な音をたてながら、ステップが演壇から徐々に引き離されて行った。
 そのステップの先端からは、演壇の支えとなる心棒が1本、中心から引き抜かれるように付いてきている。
 横山と鈴木はさらに力を込め、一気に引き抜いた。ふわりと急に手応えが無くなる。心棒がステップについたまま完全に引き抜かれたのだ。
 横山は目をつぶった。背後の音に注意を集中しているのだ。
 …聞こえてこない…演壇の崩れる音が…しくじったか…
 横山にとっては、長い時間のように感じられたが、演壇が原型を保っていたのは、わずか数秒だけであった。
 次の瞬間、来賓達が驚愕するようなシーンが眼前に開かれた。
 演壇は市長を乗せたまま、真ん中から左右に割れて崩れ始めた。市長のもがく姿がかいま見られたが、市長は絶叫を上げながら、すぐに姿を消した。市長の後を追うように、マイクスタンドが落ちていく。
「ガキーン」金属がぶつかり合ったような、耳障りな音が拡大されて響き渡った。
 横山は、ようやく振り向いた。
 見ると演壇は左右にきれいに倒れ、中心には直径2メートルの穴がポッカリ口を開けている。  その1メートル下に、市長はうずくまっているのだろう。
 壇上から1メートル、地下1メートル、合わせて2メートル落下したのである。…不発弾に打ちつけられて、骨の1本くらいは折れていようが命に別状はあるまい。
 休憩所は一瞬のうちにパニックとなった。
 最前列にいた十数人の報道陣が駆け足で穴に近寄る。テレビカメラもその後をついてくる。大勢の人間が、まるで自分の方に殺到してくるような錯覚を横山は覚えた。不思議と恐怖感は湧いてこない。
 鈴木は呆然としている横山の手を握ると、
「横山さん。…投下成功です。ドンピシャです」
 鈴木の目は輝いている、横山は我に返ると、気の利いた言葉を返したくなったが、適当な言葉が見つからない。口をもぐもぐさせた挙げ句、一言だけポツリと言った。
「目標に命中…」
 次の瞬間、2人は顔を見合わせると、声を上げて笑った。


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