第7話 ※

文字数 2,675文字

 白い少年がトナカイの上から深雪に話しかける。
 「深雪、急に飛び出すのは止めてもらっていいすか。うちのマッマはあれでいて心配してんすよ」
 「深雪にママはいない。ママは死んだ」
 「…いや例えね。俺も本物のパパママは死んだ」
 花姫は眉をひそめた。雪一族は保護対象の少数民族。しかし、保護とは暴れまわる獣を目の前にして成り立たない。そこで四色は暗に相手を無力化する許可が与えられている。つまり、対象が暴れどうしようもなくなった場合においては、殺しもいとわないということだ。ただし、それは目的の放棄。頻繁に選択されることはないはずだが、目の前の自分より若い子たちが、己の大切な人を失ったことを、至ってこれがよくあることかのように共有している様は実に生々しかった。
 「一人でできる。雪崩(なだれ)はそこで見てて」
 「大した自信すね」
 深雪と呼ばれた白い少女が動き始めた。武器も持たず、突っ込んでくる。何を考えているのか分からない表情が妙に恐ろしかった。冬は彼女の進路の積雪に尖った構造物を次々生やした。氷柱である。が、彼女はそれを器用に避け、突如高くジャンプした。右手を振り上げ、白いワンピースが浮遊する深雪のシルエット。画としては魅力的だが、隙だらけの間違った姿勢だった。
 それは彼女の細い右腕を貫いた。酷く先を尖らせた巨大な氷の針。冬の背後の大地から生えた氷柱が彼女を仕留めたのだ。雪一族特有の白い柔肌から赤い血液が滴る。彼女は右腕を空に打ち付けられ、体が宙に浮いたままとなった。
 「雪一族のお前に聞きたい。冬花という冬民族の少女を知っているか」
 この酷い構図のまま冬が問うた。深雪は泣き声も上げず、聞いているかも分からない表情でこちらを見ている。彼女が履いていた左足の滑走シューズが脱げ、ボトンと地に落ち、崩れた。無視かと思い、冬が近づいたその時であった。
 「死は平等、怖くない」
 と、彼女の左足が冬の頬に軽く触れた。それだけだったのに、触れた頬から酷い痛みを伴った冷たさが広がり、雪海原に彼の叫び声が響くこととなる。
 同僚の異変を察知した花姫がそちらへ近寄ろうとする。が、先ほどまで磔になっていたはずの深雪が立ちはだかり、花姫にダイブした。右腕に氷柱の破片が刺さったまま馬乗りになる深雪。末恐ろしい少女である。
 「深雪のママはこうやって死んだ。だからこれも平等だよ」
 そう言って、彼女は大地に広げられた花姫のツインテールに手の平を当てた。何をされるか分からずパニックになっている花姫だったが、徐々に自分の髪の毛が凍り付いていくのが分かった。この白い少女は触れたそこから霜が広がる術を使ったのである。
 しかし深雪がツインテールから手を離すと、さっきとは違う展開が待っていた。折角広がりつつあった霜が徐々に解けていくのだ。彼女が、また手を添えると今度は霜が思うように広がらない。表情のない深雪が初めて首を傾げた。
 「あんた何したの」
 よく見るとこの春民族の少女の体が緑色に輝いていた。光だけでなく、浮力が発生しており、深雪の白髪やスカートの裾がゆっくり浮き上がった。さらに彼女の右腕に刺さっていた氷柱は解け、その生傷も徐々に回復しつつある。緑光の中で花姫が笑った。
 「生命エネルギーと生命を絶つ霜、どっちが勝つんでしょうね」
 花姫が生命エネルギーの出力を上げると、深雪が手を添えたとて霜は解けていった。
深雪がこの勝負に乗っかる理由は、自分が信じた平等が、それがもたらすであろう平和が達成されないことを許さないからだ。彼女自身が自分を許さないのではない。彼女の信じる神が許さないのだ。彼女にとって神に見放されることは死より怖い地獄を意味することだった。狂信がリミッターを外すと、深雪の手から再び凍てつきが広がり始めた。最初からこの戦いはスタート地点が違っていた。一般的な人よりも生命エネルギーの扱いに慣れている花姫と、並外れた強い信仰のある深雪。それだけだったら恐らく花姫の圧勝だったが、牧師が言っていた通り深雪には「精霊のご加護」があったのだ。
 「そこまで」
 少年の声が響くと、深雪は急に雪でできた長い腕のようなものに捕まれ、後方へ飛んで行った。雪でできた大きな人形の腕を使って、雪崩が彼女を止めたのだ。というのも彼の目に、深雪の背中辺りからが何かが見えたからだ。自分の下へ来させた彼女の背中をよく見ると、広がる病的な三角形の紫斑があった。奇妙にも深雪が術を使わずにいると、それは徐々に消えていくのであった。深雪はかなり体力消耗している様子だった。あの牧師が何かしたんだ、雪崩は苦々しい顔をした。
 「これ以上はダメすよ。『精霊のご加護』とやらも、限界があるようだ。最初からこうすればよかった」
 雪崩は深雪を雪の上に寝かせ、右手を上げた。すると、深雪をつかんだ雪人形が再び腕を伸ばし、今度は花姫をつかんだ。「そこのクレバスに落としちゃいますか」という雪崩の声を聞いて、花姫は顔を青くした。
 「深雪、雪崩!」
 突然透明感のある綺麗な声が響いた。
 白いトナカイに乗った白いお面を被り、ローブを着た人物が現れた。さらなる敵側の追加に花姫は最悪だ、と思った。
 「えっ、なんで来たんすか!俺らだけでも十分やれますって」
 「楽しそうなことしてんじゃん、私も混ぜてよ」
 能天気な調子のローブの人物に、雪崩はため息をついた。自分たちよりも職位が上の人物が場に出てきたので、彼は一応お伺いを立ててみる。
 「二人はクレバスに落としました。で、どうしますこの人たち。と言っても一人はもうノックアウトしてますけど」
 ローブの人物は、雪の上で倒れている冬を覗き込んだ。黒髪から冬民族だと分かったが、寒さ耐性があるはずの民族、この人物がダウンジャケットまで着込んでいる様子は不可思議に映った。
 「あ…」
 思い当たり、白いお面の内側でくもった声がした。しかし、ありえないことだった。彼は寒いのが苦手で、いつも家に引きこもっていた。外で遊びに誘っても、一度も来てくれたことはなかったほどに。ましてやこんな北端の地、氷海の雪海原に来るはずがないのだが———
 彼女が白い面に手をかけたところに、積雪の大地に風が吹いた。かぶっていたローブのフードが払われ、黒髪の頭が露わになった。取り払った面から出てきたのは、端正な顔つきと、その白い肌に埋め込まれた黒々とした瞳。そして、情けなく雪上に眠っている同族をまじまじと見つめるのだった。
 様子がおかしいローブの人物に雪崩は「冬花さん?」と彼女の名前を呼びかけた。
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