第8話 ※

文字数 3,972文字

 トナカイの上で秋男が手の上の印影に立つ大きなシマリスと何やら話をしている。話を受けて、承知した風のそぶりを見せるとポンと音が鳴り、シマリスは姿を消す。地面に下りた秋男は辺りの平らな面を探し、そこへ飛ばされないように紙の端を指で押さえつつ印影を静置した。
 「人の気配がないが、シマリスを使って潜伏者を探してみる」
 突如印影からポン、ポン、と次から次へとシマリスが出現し、そのまま多方向へ走り去る。既に地に降り立っていた吹雪と葵は、おびただしい数のシマリスたちが絨毯のごとく自分たちの足元をすり抜けるのを見つめた。
 たどり着いた目的地は奇妙な場所だった。降り積もった雪の大地から生える剣山のような構造物、球体を重ねたような大きな物体、立方体の造形———しかし、そのどれもが雪で構成されているようであった。
 「とりとめのないカオスなところね。でも私こんな雰囲気の場所、知っているわ。———そう、丁度私たちが日々お世話になっているトレーニング場、のような」
 葵の見解に吹雪は頷いた。
 「俺も同感だ。柱にせよあそこにある四角い物体にせよ、それそのものがここにある意味が分からない。例えば何か試し打ちしている、そう考えられると思う」
 吹雪の近くにある天へ穿つ鋭利な雪の柱。彼はシマリスの軍勢が行ってしまい、足元があいたのでゆっくりと近づくと、それが持つ高い技巧を目の当たりにすることとなる。柱は、よく見ると表面に細かい針が無数に生えており、さらにその針全部にご丁寧に返しが用意されていた。彼は雪一族はこんな芸当もできるのか、と改めて彼らの危険性を痛感した。
 と、ここまで考えていたところで吹雪は気がついた。普段、彼の一定メモリを掴んでいる者に目を離していたことを。
 「あれ、小春は?」
 秋男は首を振った。
 「ここについてすぐ地上に降り立ったのは見た。それ以降は召喚術に集中していて曖昧だ」
 「まじか…」
 不安そうな顔をする吹雪。それを見た葵は、あの子に関して気を揉むことはいつだって無駄なことなのにと思った。小春について、イライラすることには彼女が普段何もないところでも不幸に巻き込まれるトラブル体質だからだ。この間の雪崩の件に限らず、作戦中に幾度となくトラブルを引き起こし、迷惑をかけてきた。正直言って、危険な場所へも駆り出される四色に相応しくない。卒業試験だって個人の技量では絶対落とされるところ、同班の自分たちが全体評価を上げて、お情けで、上がってきた。
 未熟な同期に純粋な怒りを沸かせ、葵は首を振った。すると、頬を叩いた空気に含まれた微かな湿っぽさが、いくらか彼女の気持ちを落ち着かせた。まるで、霧雨のような柔らかな空気感で、彼女が一番好きな湿度。雪まみれのこの風景にあまりにもふさわしくなく、自分の感覚がバグったかと思った。一体誰が、どこから、自然にこの雪景色から「これ」が醸し出されると考えるのか———
 「葵、どこへ行くんだ」
 吹雪は、突然導かれるように歩き出した同期に驚いた。まだ索敵途中なのに、と秋男に目配せすると、彼は行っても問題はないと言うように頷いた。
 葵は流石、モデル業もやっているだけあり、スタイル抜群なのである。夏民族の特徴である、緩やかなカールがかかった空色の髪。その腰まである長髪が、歩くたびに左右に揺れ、たくさんの人を魅了している。吹雪も例に漏れず、白背景に揺れる鮮やかな空色を目に焼き付けながら彼女についていった。
 「見える?」、背を見せたまま立ち止まった葵が言った。
 吹雪が辺りを見渡すが、構造物の集まったエリアはとうに抜け、一面の銀世界以外何も見えなかった。何が?———と返答しようとその瞬間、葵は吹雪の手を掴み、自分と同じ前線に立たせた。誰かがなんらかの季術で隠していたのだろう、ヴェールのようにかかっていた高湿度の空気の膜を破り、別世界へ踏み入れたのだった。視界が開けると、今まで見ていた風景が嘘であったことを知り、自分たちが巨大なクレータの端に立っていることが分かった。
 「なんだこれ…」
 「この穴も気になるけど、私はこれがここで出てくるのか、と思ったわ」
 そう言って、葵はクレータの端に並ぶ中の盛られた雪の一つへ近づいた。それはクレータに沿うように等間隔に並んでおり、それぞれに小さな花が密集しドーム型になる種類の黒い花が添えられている。
 「見たことない種類の花だ」
 「紫陽花。弔いに黒の紫陽花を使う風習があるの———『レイニー一族』には」
 レイニー一族。彼らは雪一族と同じ「特定少数民族」であり、夏地方が長く抱える問題である。現在は大多数が夏地方の特別区域で保護されているはずなのに、どこかの抜け穴から漏れているのか。あるいは保護し損ねた者が悪さしているのか。こんな北端までついてくる忌まわしい縁に、葵はため息ついた。
 お墓はゆうに三十を超えていた。なぜ、こんなにたくさん死ぬことになったのか。どうして夏地方の少数民族が関わっているのか。そして、ここで何があったのか———吹雪は答えを求めるように再びクレータの底を覗きこむが、当然正答はなかった。
 正答はなかったが、別回答があった。雪のクレータの底から生える二本の脚。彼女の桃花の髪色が見えれば、この雪の白さとの差も相まって、発見はもっと早かったかもしれない。しかし頭は雪に埋もれており、綺麗にクレータの底に上半身が突き刺さっていた。
 「は?え?」と吹雪が声を漏らす。遅れて気づいた葵も「ちょっとあの子何やってんのよ!」と焦り出す。が、二人ともこの大きなクレータの中に飛び込む勇気はないし、飛び込んだところで負傷者を背負ってどうやって戻ろうか?
 「葵、季術でめっちゃ水を出すやつとかない?」
 「嘘でしょ?あの子を助けるの?」
 当然のように小春を助ける気でいる吹雪に、葵はいら立ちをあらわにした。いつだって我慢できなかったけれど、今回ばかりは助ける側も死んでしまう。本当に無理だった。
 「この際言っておくけど、毎度危険な目に合う。こんなんじゃあの子、いつ死んでもおかしくないわ。助けられなくったって私たちは悪くない!」
 我ながら最低な言い訳だと思ったが、収まらなかった。この世界は弱肉強食、いつだってマイナーで弱い者は淘汰される。四色政策はその考えの延長線上にあって、少数民族という弱者のことを考える余地が、四季の民族になかったんでしょう?それは彼らが自分の身を守るのに必要なことだったんだから、正しい。そう、正しくなくてはいけない———
 いつになく気迫のある葵に、吹雪は少したじろいだが、しばらく後「小春のトラブル体質には俺も骨を折っているが…」とつぶやき、
 「ま、本人も好きでそうなったんじゃないから、しょうがないよな」
 と言ってクレータの端にしゃがみ、地に手をついた。するとクレータの内壁に一定の間隔で次々と氷柱が生え、整列良く斜めに底へ導く様にそろった。吹雪はクレータに飛び込むと自分の近くの氷柱に捕まり、運ていするように氷柱を辿った。クレータの底で伸びている同期の元まで来ると、彼女の両足を引っ張り、突き刺さっている上体を引っこ抜く。雪にまみれた顔を払ってやり、「おい、起きろ小春!」などと軽く頬を叩いたり、肩をゆすったりする。そうしているうちに彼女は小さく唸り声をあげ、優しいピンク色の瞼が薄く開いた。
 「あれ、吹雪くん?おはよ…」
 吹雪は安堵のため息をついた。流石春民族、生命エネルギーにより治癒力が高く多少の怪我も治るという。
 「見つかってよかったよ、立てる?歩ける?」
 「ごめん…また腰をやってしまって」
 「病み上がりだったもんな」と吹雪は笑いながら、小春を背負う。さて、ここまで勢いで来てしまったが、彼女を背負ってどう上がろうか。さっき生やした氷柱に乗るのはきっと危険だろう。クレータ内部、そびえたつ高い壁を見つめ、彼は考えた。
 「吹雪、伏せて!」
 上から聞きなれた声が聞こえた。と同時に目の前の壁にジジッと鈍い音が響き、爆発のような謎の衝撃。彼が背を低くすると全身に水飛沫がかかり、足元に冷水が流れ込んだ。雪埃が舞い、クレータ内に降り立った彼女は、こんな寒さ耐えられないと言うように連呼する。
 「『快晴』、『快晴』!『快晴』!」
 すぐに冬地方では見られないカラッとした空に入道雲が現れた。日光が足元にたまる水を、雪の壁を、キラキラと照らす。そして、壁面に現れた雪の階段を背に仁王立ちした葵が顔を赤らめ言い放った。
 「全く見てられないわ!貸し1ね、お返しは倍にしてよ…」
 そんな彼女の様子からツンデレのテンプレートがよぎり、吹雪は噴き出してしまうのを必死に抑える。そして、「来てくれると思ってた」と感謝を述べた。
 葵が作った階段で上る道すがら、吹雪はこれをどうやって作ったのか聞いてみた。葵は「ただ鋭い雨を壁面にぶつけて彫刻しただけ…」というが、それがどんなに特殊なことで、難しいだろうことはうかがい知れた。
 それから、彼の気になっていることは、もう一つあった。これはずっと前から気づいていたことだったが———先ほどの水飛沫の中で、彼女のきれいな空色の毛先がかすかに紫を帯びたのを見た。今回に限らず、葵が季術を使うときはいつもそうだ。そんな特性、今までに聞いたことがない。
 前を行く真っ青な空色は、そんなことありましたか、と言った風にすましている。
 まぶしい陽光が差し込む。
 クレータから帰還すると、秋男はトナカイを引き連れ、すぐ近くまで来ていた。三人が合流すると彼はゆっくりと手のひらを出し、そこにのせたシマリスを見せてきた。そして、この近辺には潜伏者はいなかったが、と重々しくこう続けたのであった。
 「浅緑班が雪一族の襲撃にあった」
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