第10話 雨晴海岸の夜

文字数 4,921文字

*R18の表現があります。

第一章 自然の贈りもの
<ユウリの思い: 富山湾にて>

「すごっ、デカくないか、この蟹!」

久我が蟹を持ち上げて感嘆の声を上げた。

お茶の後、軽いランチを食べるため、俺たちは富山湾に面した新湊方面に移動した。
この時期は紅ズワイガニの季節で、茹でたてを食べることができる。

旅館での夕食もあるため軽めにと思ったが、大きな皿に茹で上がりをそのままドンと盛り付けられ、戸惑ってしまった。食べ方が分からない。
それを察したのか、店の方が食べ方を教えてくれた。

「まずひっくり返し、蟹の甲羅を外すの。それから足を外していく、そうそう。蟹の足はハサミで切っても良いし、斜めの関節の所を折ると、中からスルッと身が出て来るの。お兄さん達、上手いわね!」

何だか褒められながら、2人とも塩茹でした蟹にしばらく夢中になった。上品な甘く身の詰まった蟹で、とても美味しい。

「これ、小学校の給食で同じスタイルで提供されて、子ども達はもっと上手に素手だけで食べるらしいぞ。10分くらいで。凄くないか?贅沢だよな」

久我はびっくりした顔をした。東京ではこんな贅沢ありえないな…と蟹を見ながら独りごちている。

「今季のお店は今日で閉めるつもりなの。蟹があまり取れなくてね。この辺じゃ、蟹とチューリップが終わったら農作業の時期なのよ。
お兄さん達は東京から?この辺の食材は富山県からほとんど出回らないから、旅行中に沢山食べて行きなさいね!」

威勢の良い店員さんが楽しげに話す。地元をとても愛しているのが伝わる。
富山県が”住み続けたい県”ナンバーワンなのも頷ける。


小腹も満たされ、旅館に移動することにした。
久我は蟹を食べて満足して少し眠たそうだ。車のシートにもたれて目を閉じて気持ち良さそうに微睡んでいる。長いまつ毛がピクピクと揺れる。

お昼に俺と張り切ったせいもあるんだろうな、と俺は幸せそうに微睡んでいる久我の髪を撫でながら、照れくさくなり独り微笑んだ。

「道すがら、展望良い所あるんだ。そこに少しだけ寄ってから行こう。久我、うとうとしててね」

車を海沿いの綺麗な建物、雨晴海岸に止めた。
ここは海越しに立山連峰が望める絶景スポットだ。
海を挟み標高3,000m級の山々を望むことが出来る景色は、世界的に珍しいらしい。

「着いたよ。起きれそうか?ほら、今日は珍しく絶景が拝めるらしい。少しだけがんばれ」

俺は久我の手を引きながら、展望台に登った。
久我は目の前に広がる絶景に目を見開いた。

「何これ、すっごい!!富山湾から立山連峰が拝めるんだな、、雄大な眺めで圧巻だ・・」

確かにこの眺めはすごい。
3,000m級の立山連峰は力強く雄大で、山の頂きの白さと海と空の青いコントラストは言葉にできない。

「ここからの眺めは万葉の大伴家持も歌に残したくらいの景勝地なんだって。雨晴海岸と名も良いよな。
源義経が奥州へ落ちのびる途中、にわか雨の晴れるのを待った”義経岩”がほら、そこに見える」

久我には、人がガチガチに作り込んだ”東京”という器から少し離れて、自然の中で人間らしい感覚を取り戻して欲しいと思っている。
俺もそうなんだけど、たまに息が詰まってしまう。

久我は、前方に広がる万葉からの景観を、黙ってしばらく眺めていた。

・・・・・

雨晴海岸からほど近い温泉宿にチェックインし、俺たちは海沿いの部屋に通された。

部屋風呂はないが和モダンな部屋で、畳の上にベットがある。遅めの夕食時間にしてもらい、温泉に向かった。
温泉からは能登半島までぐるりと見渡せ、日暮前の立山連峰が遠くに見える。

他の客は夕食時間のためか温泉は空いており、俺は久我の背中を流してあげた。

広い背中で筋肉質な上半身は何度見ても美しい。俺は洗い終わると思わずバックハグをした。久我がくすぐったいと笑って振り向き、俺に軽くキスをする。

「はぁ、今日はユウリのお陰で生き返ったよ。確かに知らない間に俺、空っぽになってたよ。新しい経験ってするもんだな。
俺、営業で色々回っているから色んな土地を知っていると思ってたけど、仕事越しに見える世界とユウリと見る世界の違いを感じたよ。知らないことは、経験してみるものだな」

久我は今日一日でずいぶんと顔色も良くなった。東京を離れて良かったと、俺は胸を撫でおろした。

「この後夕食を食べて、ゆっくり寝よう。明日も観光できるし、何にも急かされることないぞ」

2人で温泉にゆっくり浸かった。外湯から見える富山湾はオレンジと空の青、雲の白波か見事に混ざり合い、幻想的な風景だ。
空の表情は、見る所と気持ちで随分と違うんだな、と2人で笑った。


簡単に夕食を済ませた後、ラウンジでサービスのアルコールを少し頂き部屋に戻った。
久我はベットに仰向けになり、美味しかった〜と気分良さげに呟いた。

俺が荷物の整理をして戻ると、久我はスヤスヤと眠りに落ちていた。連日の疲れがよほど溜まっていたのだろう。

綺麗な頬は少し肉が削げ、長いまつ毛が目元に陰を作る。薄めの唇は少し開かれ、呼吸に合わせてわずかに動く。つくづく美しい人だと思う。

俺は電気を消して、久我の横にそっと横たわり、目にかかる前髪を整えながら気付かれないよう、静かにキスをして抱き寄せた。
腕の中にいる大きな男性は、小さく壊れやすく繊細で、沢山の悲しみを飲み込んでいる小さな存在に感じた。

久我から感じる体温が心地よく、背中に回した手で何度もぽんぽんと背中を軽く叩いた。


愛しいこの体温は、いずれ俺の腕の中で確実に冷たくなってしまう。どんなに愛し合っても、50年と少しくらいしか一緒に居られる時間は残されていない。
愛することは、それを失うことに気づくこと。ようやく、その意味が分かった気がする。

久我を手放す時が来たら、俺はこの手を解くことができるのだろうか。
手放す時は、死なのか、2人の終わりなのか、久我の意思なのか分からない。
でも、今の瞬間は俺の手の中にいる。だから今、全ての愛情を久我に注ぎたいと思う。

俺は目を閉じて、嗅覚と触覚だけを頼りに、この瞬間の全てを感じていた。


第ニ章 自分に戻る時間
<ユウリの思い: 月あかりの中で>

何時間寝たのだろう。ふと目を開けて時計を見ると夜中の2時を回っていた。
カーテンも閉めずに横になっていたようで、海を照らす月明かりが反射して、部屋を薄く照らしている。
その薄明かりが久我の横顔を照らし、更に美しい影が造形を引き立たせる。

俺は夜中なのにコーヒーを飲みたくなり、コーヒーマシーンのスイッチを入れた。久我を起こさないよう、足音に気をつけて部屋の電気をつけず静かに動いた。

大きなベランダに出て、備え付けのソファに腰掛け、コーヒーをちびちび飲む。

真っ暗な海が月明かりに照らされて、海に佇む女岩を綺麗に映し出していた。
空には沢山の星が瞬き、暗闇でしか気付き得ない、優美な景観を見せてくれる。なんて美しいんだ。

その時、ベランダの扉が開いた。

「ユウリ、寝れないの?いないから探したよ。わぁ、凄い幻想的な暗闇だな…月が綺麗だ。俺、何時間くらい寝てたんだろ」

久我は目をショボショボさせ、隣の椅子に腰掛けた。

「20時には寝てたから、6時間くらいかな。まだ早いから二度寝しような。ほら、コーヒー」

サンキュ、あちち、とコーヒーを飲む久我は、先程の美しい彫刻から、現実のイケメンに変身した。やはり、表情がある今の顔が好きだ。

「ユウリ、何を考えていたの?悲しそうな顔してた。ここしばらくゆっくり話せてなかったけど、お前こそ辛いことあったんじゃないか?話してみて」

久我は優しい。いつも俺のことを第一に考えてくれる。
結婚して伝え合うことの大切さを分かっているが、お互いへの思いは、まだまだ上手く伝える事ができているとは言えない。

率直に伝えると困らせてしまうし、自分の欲深さに気付かれるのでは、と感じるからだ。
でも、今日だけは少し伝えよう。久我を不安になんてできない。

「俺さ、久我の体温が好きなんだ。
でもいくらそれを抱きしめても、必ず冷たくなる日が来る。それが怖いんだよ。お前への愛を知ってしまったら、失いたくないって俺の強欲な心が我儘言って仕方ない。

だけど俺と結婚してから、久我は一歩外に出ると辛い事が増えた。愛する人に辛い思いして欲しくないんだ。

でもそれが分かっているのに、俺はお前の手を放せないんだ。お前に家族1人も何も残してあげられるないのにな。勝手でごめん」


久我はコーヒーを飲みながら黙って聞いていたが、聞き終えてから優しく俺の手首を掴んで俺を引き寄せて微笑んだ。

「俺もずっと同じこと考えてた。まったく同じ気持ちだよ。俺たち、何度か同じことある度に、同じようなこと言ってるかもな。それだけ、やっぱり社会の風当たりが強いんだよ。

でもさ、俺達ってすごく幸せじゃないか?
一緒に生きることってよく、『2人で見つめ合うのではなく、同じ方向を見る事だ』なんて結婚スピーチで言うだろ?同じ方向見て2人で努力しないと、家族を支え続けるのって難しいからな。

でも俺達はその2つが出来るんだよ。
お互いだけ見つめて、2人だけの世界も持って愛し合って。そして、一緒に同じ方向に努力しながら進んで行ける。凄く贅沢な時間を、この世で持てたと思わないか?

俺、幸せだなっていつも思っている。外野の中傷なんて、ユウリと生きていけない事の比じゃないよ。実際、何にも悪いことなんてしてないしさ。
だから、心配しないで!いつか死ぬけど、お前を一人残さないよう、俺長生きするよう身体労るから」

俺は自然と涙が溢れていた。
久我は優しい。そして何故か俺を深く愛してくれる。奇跡があるとしたら、俺の人生そのものだよな。

俺は久我の首にしがみつき、しばらく動けなかった。

「まだ3時前だし、二度寝しよう。おいで」

久我は俺をやすやすと抱き抱えて、そっとベットに横たえた。その仕草があまりに優しくて、俺は急にわがままが言いたくなった。
そして、コーヒーをもっと飲みたいとブツブツ言った。

「ユウリ、夜はコーヒーの飲み過ぎはダメだぞ。
それに約束忘れたの?宿で俺の好きなことしてくれるって、車で言ってたよね?さっそくお願いしたいんだけど」

久我は悪い笑顔で俺を見下ろしている。
こいつ、また下半身が元気になってる。

「車の中で約束叶えたろ。今日はもう寝ろ。さっそく寿命縮めるようなことするな」

久我はアハハと大笑いして、ユウリは相変わらず奥ゆかしいよなぁと笑った。

「知らないの?寿命を縮めるどころか、男性ホルモンが高まり認知機能や筋肉、前向きな気持ちの維持に繋がるんだ。つまり長生きできるから、抱かせて」

俺は照れ臭くなり、頬が熱くなった。
思わず久我を跳ねつけようと手を伸ばしたが、逆に手首を捕まれ身体を固定された。

久我は首に舌を這わせ、俺が昂るよう身体の敏感なところをイヤらしく舐めまわした。
堪えきれずに甘い声が漏れ、舌使いに我慢できず身を激しくよじった。

久我から先程の優しい笑顔が消え、乱暴に足を割り何もつけずに侵入してきた。そのいつもと違う強引さに、俺は怖くなって懇願していた。

「イヤだ。布団汚れちゃうよ、やめて。手首離して、痛い。エイジどうしたの?怖いよ」

久我は息遣いを更に上げ、ベットにあったバスタオルを腰下には引いてくれたが、そのまま力を加減する事もなく俺に激しく楔をうった。

手は知らぬ間に自由になっていたが、足を上に固定された。久我は激しく腰を打ち付けて、快楽と恥ずかしさで顔を歪ませる俺を嘲笑うかのように揺らし、顔の上に汗を滴らせた。

ああ、気持ちいい…

初めの怖さが嘘のように、俺の身体は快楽に従順に反応し、身体に不自然な欲望の火を灯した。

俺は知らずに、両手で久我の腰を自分の腰に力強く引き寄せた。そして、もっと欲しい、と泣きながら懇願していた。

久我の優しい獣のような瞳から理性の欠片が消えた。そして形の良い唇で俺の言葉を遮るように舌で口内を犯しはじめた。

ぼぉっとする意識の中で、俺は久我の身体の中に波音と星空を感じた。

それはとてつもない安らぎと愛おしさに満ちており、快楽の高まりがはじける時、まるで音もない海にふたりで放り出された感覚だった。
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登場人物紹介

ふたりのなれ初め


この後の小説にも書く予定ですが、久我が初めの頃から雨夜を気になっており、とある偶然がきっかけで恋心に気づきました。


それからは何度かアプローチして、ようやく雨夜と付き合うことができた経緯です。

雨夜 佑哩 (あまよ ゆうり)

33歳

173センチ

フェノン社 企画部


大きな黒い瞳が印象的な色白

艶のあるやや癖毛の黒髪

仕事用のメガネをしている


島根出身

母親、妹夫婦と甥っ子がいる


東京の大学を卒業

情報工学が専門でパソコンが得意


甘味、特に和菓子が好き

空手を高校まで習っていた




久我・Grace・永嗣

(くが グレイス えいじ)


34歳

181センチ

フェノン社 営業部


ダークブロンドの髪

アンバー系に少し緑色がさす瞳


アメリカ人の母

日本人の父、兄

母は幼少期に他界


アメリカの大学院の経済学部卒

10歳までアメリカにいて、母の他界を機に帰国。高校までは東京で過ごす。


料理とダンスが得意



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