第3話 赤い月

文字数 4,758文字

第一章 ふたりの馴れ初め
<ユウリの宝物 :恋人との出会い>

久我を意識しはじめたのはひょんなことだった。

入社して3年。25歳の頃だ。
俺は得意としていたIT技術の国家試験に落ちた。あと2点で合格ラインだった。

その頃、 良いなと思っていた女性と食事までこぎつけた。たまたま人数合わせで呼ばれた社内飲み会で出会った、秘書課の清楚な女性だった。俺は女性とのデートに緊張していた。

色々と調べて買った負担にならない程度のチョコレート菓子を綺麗に包んでもらい、俺はドキドキして待ち合わせ場所に向かった。

気合いが入りすぎていたのか、30分も前に駅に着いてしまい、少し離れた喫煙所近くのベンチに座って待ち合わせ場所を眺めながら時間を潰した。

俺の前を一緒に合コンに参加していた会社の同僚が2人、俺に気づかずにタバコを吸いはじめた。

「この前の飲み会、可愛い子多かったよな。お前、あの後、秘書課の沢村さんと付き合ったの?」

同僚の1人はうんと頷いた。

俺は心の中で驚いた。
(えっ?今日は沢村さんとデートなんだけど)

同僚は続けた。
「でもあの子、久我が目当てだったらしい。俺とはきっかけでさ、久我に近づくための。がっかりだよ。デート初回から、口を開けば久我の事聞いてきてさ。だからそれっきり」

俺はそれを聞いて青くなった。まさか俺もその口か?でも人の噂でそんなこと判断しては。。

同僚達は程なくして駅に消えた。
俺は待ち合わせ場所に思い切って行ってみた。

初めてあった頃とは印象が違い、濃いメイクでフリルのワンピースを着た沢村さんが居た。

「こんばんは。今日はありがとうございます」
沢村さんは丁寧に挨拶をして、近くのカフェに俺を誘った。

でもその少しの疑いの気持ちは、会話を重ねていくうちに確信へと変わった。

「久我さん、同期なんですか?よければ今度、宴会開をきませんか?」

俺は曖昧に頷いた。
でもそんなに熱心ってことは、きっと久我のこと本当に好きなんだろうな。そして出会いはそれぞれだし、俺はお茶でもとしか誘ってないので、デートと思われなかった俺も悪いと独りごちた。

そして、自分の立場をあくまで会社の同僚に気持ちを切り替えて、彼女に思い切って聞いてみた。

「その、良ければ教えてくれますか?久我のどんなところか好きなんですか?俺から見てもいい奴です」

やっぱり!と沢村さんは頬を赤らめた。

「カッコいいところです。顔とか、学歴とか、スタイルとかって言うと、外見ばかりと言われちゃうんですけど、何だか運命的な何かを感じるんです。
性格はまだ分からないですけど、きっと会うことが出来ればもっと理解できると思ってます。
でもなかなか彼女作らないって聞いて。。
それで、今日は雨夜さんがお茶に誘ってくれたので、セッティングをお願いしたいなって。図々しくてごめんなさい」

ん?久我は彼女がいつもいるって噂で聞いたけどな。

俺は今日の趣旨は彼女にとって、久我との接点作りだと知って、何だかそれはそれでホッとした。
この子はタイプではなかった。清楚のイメージとはちょっと違う。でも、清楚ってなんだ?俺自身、ブレブレだな、と反省した。

俺は久我に聞いてみると、席を立って彼女と別れた。連絡先は会社のメールにした。プライベートで色々と頼まれても困るし。

帰り道、何だか虚しくなった。
試験にも落ちて、彼女作りにも失敗した。

でも俺も悪いよな。見た目だけで好きになって、勝手に性格を妄想して。はぁ、とため息が冷たい夜の空を白く染めた。

あ、チョコレートあげるの忘れた。
俺はさらに惨めになった。

気づけばまた会社に戻っていた。
本当は今日中に終わらせたかった仕事が残っていた。まだ7時だし、あと2時間仕事して、今日のことは忘れよう。

俺は会社の休憩室で缶コーヒーを買った。
休憩室のある20階の窓の外には大きな赤い月が見える。珍しい。

俺はメガネを外して大きな月を見た。
俺は目が良い。これはパソコン用のメガネだ。
癖で会社ではいつもかけてしまう。

満月に願いをかけると叶うか。俺には縁遠いかな。

「雨夜、どうした?まだ帰らないのか?」
振り向くと久我がいた。

「お疲れ。残業?あれ?今日はメガネしてないんだな。月見てるの?すごいな。赤い満月って、何だか不気味だよな」

久我は綺麗なダークブロンドの髪をかきあげて伸びをしながら俺の横に立った。

俺は、簡単に赤い月の説明をしてあげた。
夏至が近い時に月が赤く見えて、恋の願いを叶えてくれるんだと。そして補足した。

「これはパソコンメガネ。俺、視力良いぜ」
俺はきまり悪くなって目を伏せた。

久我は俺の落ち込んでいる様子に気づいたのか、色々と優しく話を聞いてくれた。
そして、赤い満月に、俺に好きな人が出来るように一緒に祈ってくれた。その心遣いに涙が出そうになった。優しいな、とそのハンサムな横顔を眺めた。

俺は礼を言ってオフィスに戻ろうとして、思い出した。

「なぁ久我、秘書課の沢村さんがお前に気があるそうだ。今日、お茶した時に言われた。俺に興味なくてお前のこと好きだってさ。
伝えたからな。きちんと対応してあげて。じゃ」

久我は眉をひそめた。
それって、お前を誘っておきながら俺の話しになったってこと?

「雨夜、お前は自分の良さを分かってないな。俺がお前に相応しい人を一緒に見つけてやる。だから、一人でそんな惨めなデートに行くな。
沢村さんのことは申し訳ないけど知らない方だし、そんな風にお前を扱う女性の気持ちには答えられない。俺からきちんと断っておく。伝言サンキュな」

そして、俺に軽く手を上げて言った。
「来週、飲みに行こう。また連絡する!」

ありがとう、と俺も手を振った。

ん?一人でデートに行くなって、、じゃあ誰と行くんだよ。俺は久我のおかしな言葉に一人で笑った。何だか、今日のことがどうでもよく思えてきた。

そんな訳で、それから俺はなぜか久我から頻繁に飲みに誘われた。しかも、久我はいちいち俺の恋路に口を出すようになった。
更に、会社ではメガネを外すなと言う。

今まで久我はイケメンの近寄りがたい存在だったが、それからは気さくで優しくて、ちょっと変わったやつだと思うようになった。

それが馴れ初め。
俺の最低な日の、最高の初日となったわけだ。


第ニ章 はじまりの満月
<久我の心底 :恋の足音>

フランスの青い空を眺めて、ユウリに会いたいとため息が出た。寒さのためかため息が白く雲のように広がる。

昨夜の日記には、俺の背中のホクロのことが書いてあった。本人は気づいていないが、いつもおねだりする時にそこをよく触るし、その時の顔は頬が赤くて瞳が潤んでバレバレだ。
可愛くて妖艶な恋人を想い、またため息が出た。

考えたら、ユウリをそういう目で見始めたのは26歳の時からだったと思う。入社3年目の今時期だろうか。残業で人がまばらな中、ユウリは1人で休憩スペースの窓の外を眺めていた。

入社した時からヤケに可愛い同期がいるとは思っていた。ボサっとオシャレに無頓着だったが、白い肌と綺麗な黒目がちな瞳、ポッテリとした色っぽい唇など、男にはあまりない素材の良さに俺は気づいていた。しかも性格がいい。
こいつ、実はモテモテなんだろうなって密かに思っていた。

でも、何だか俺を避けているように感じていたので、あまり意識しないようにしていた。
俺は同性にあまり好かれない。だから、俺の顔やそつない仕事の態度を、ユウリも気に入らないのだろうと思っていた。

その日は偶然、帰り際にコーヒーの缶を捨てに休憩室に行った。そこで、窓辺に立つユウリを見かけた。メガネを外した綺麗なその顔に、俺ははっとした。

その日の月は、珍しく赤くて大きな満月だった。
外を見つめるその横顔がやけに美しく、俺は何となく吸い寄せられるようにユウリに声をかけた。

「雨夜、お疲れ。今日は残業?月見てるの?赤い満月って、何だか不気味だよな」

ユウリは長めの前髪から白い顔をのぞかせて、大きな真っ黒の瞳を俺に向けた。

「不気味かな?俺にはむしろ神秘的で綺麗に見える。この現象ってさ、本来は夏至が近い時に見ることができる”ストロベリームーン”って言うそうだ。
恋を叶える月なんだって。久我も好きなヤツがいたら、祈っとけよ。あ、でもお前には必要ないか、モテモテだもんな」

ユウリは決まり悪そうに目を伏せた。

俺はもう少し話したくなり、「雨夜は好きな人いないの?」と聞いてみた。

「俺?うーん、今はいないかな。って言うか、俺、好きになっても付き合うまでいかない。俺自身、どんなタイプが好きなのかも良く分からなくてブレブレなんだ」

焦ることないと俺は肩を叩いた。
きっと、思わぬ時に恋に落ちるかもしれないと。

雨夜は頷いて、ボソッと言った。

「せめて傷ついた時に、そっと包み込んでくれる誰かいたら嬉しいけど。そこまでいかなくても、何かにつまずいて立てない時に、少しの勇気をくれる人がいたら良いのにって思う時がある。
だから今日は月に祈ってみた。いつか叶うかな。
まっ、そんな都合のいいことないか。バカだな俺。でも大丈夫。心配しないで」

ユウリは話しすぎたと照れて、笑って立ち去ろうとした。

俺はユウリが何かに傷ついていると感じた。
だから思わず引き止めて、何かあれば俺が話し聞くと伝えた。
そして気休めになると思って、俺もユウリと一緒に好きな人ができるように祈るよ、と伝えた。

ユウリは俺を見上げて、可愛らしくふわりと笑って、サンキュ、と言った。


そんなやり取りをしてから、なぜだか俺はユウリから目を離せなくなった。

自分のデートの失敗は俺が理由なのに、文句も言わず俺に彼女の伝言を伝える人の良さに加えて、月を見ていたあの綺麗な横顔と心のうちが忘れられない。

そして最後に言った言葉が、俺の心の芯から離れなかった。

「久我、お前も苦労してるな。モテると思うけど、お前の中身を見て好きになってくれる彼女はいるのか?お前の表面とスペックしか見てない女性が多いのかもしれないな。それ、寂しいだろ?
でも、久我の本当の優しい気持ちと真っ直ぐさに気づいてくれる彼女と出会えるよ、きっと」

そう言って、俺のところにかけ戻ってきて、チョコレート菓子をくれた。可愛いリボンがついていた。

「今日、その子にあげようと思ったんだ。でも久我にあげる。慰めてくれてサンキュな」

そう言って俺の胸をポンっと拳で軽く叩いて、ふわりと笑った。

その笑顔と言葉は、ジワジワと時間をかけて俺の心に巣食った。
チョコは俺好みの味で、可愛いうさぎの缶に入っていた。俺はその缶を筆箱代わりに会社の机に置くようになった。


それから何度かユウリを飲みに誘った。
何度も話してユウリを知りたくなった。合コンに行く時は俺もついて行った。何となく好きなだけの女性との付き合いはやめるようになった。

そしてふと、これは恋だと気づいた。

ユウリに振り向いてもらってからは、俺は全力でユウリの心を包み込むようにしている。

一緒に暮らしてからベランダで月を見るのも、あの時の気持ちを思い出すからだ。
俺が初めてユウリから本音を聞いた日。きっと、俺にだけ伝えたはずのその気持ちを。

携帯にメッセージが入った。ユウリからだ。

『今日は満月だ。しかも赤いぞ。フランスもかな?初めて一緒に見た日、思い出した。
考えたら、あの時に恋人出来るように祈って、叶ったんだな。しかし、一緒に祈った相手と結婚なんて、月の神様も粋なことするよな?
そうだ、今日はお礼しておくよ。なぁ、月にお礼ってダンゴで良いのかな?でもそれ秋だろ?今は春だからどうしよう。とりあえず、桜餅だな』

そうだな。桜餅だ。
どうせお供えしてユウリが食べるんだろ。可愛いな。

俺は足取りも軽く、仕事に向かった。
夜の赤い月を見るために、早めにユウリが好きなマカロンでも買って上がろう、そう思った。







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登場人物紹介

ふたりのなれ初め


この後の小説にも書く予定ですが、久我が初めの頃から雨夜を気になっており、とある偶然がきっかけで恋心に気づきました。


それからは何度かアプローチして、ようやく雨夜と付き合うことができた経緯です。

雨夜 佑哩 (あまよ ゆうり)

33歳

173センチ

フェノン社 企画部


大きな黒い瞳が印象的な色白

艶のあるやや癖毛の黒髪

仕事用のメガネをしている


島根出身

母親、妹夫婦と甥っ子がいる


東京の大学を卒業

情報工学が専門でパソコンが得意


甘味、特に和菓子が好き

空手を高校まで習っていた




久我・Grace・永嗣

(くが グレイス えいじ)


34歳

181センチ

フェノン社 営業部


ダークブロンドの髪

アンバー系に少し緑色がさす瞳


アメリカ人の母

日本人の父、兄

母は幼少期に他界


アメリカの大学院の経済学部卒

10歳までアメリカにいて、母の他界を機に帰国。高校までは東京で過ごす。


料理とダンスが得意



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