第二項 ごめんなさい……ファンタジーはまだ先です……

文字数 2,782文字

 「どんな映像が浮かびますか?」
夢遊病の問診をしていた折原医師。今度は、蓮さんの記憶を呼び戻そうと催眠療法です。説明していませんでしたが、実は蓮さん、記憶喪失なんです。この間まで、蓮野久希(はすのひさき)と名乗っていたのに、生死の境を彷徨って、別人として覚醒してしまったのです。
 「集合住宅が見えます。アパートでもマンションでもなくて……4階建て、16世帯くらいの建物です。目の前が駐車場で、向かいには独身寮があります」
 今、薄暗くしたお部屋で、リラックスした蓮さんが、夢見心地で折原さんの質問に答えています。彼の、子供時代の思い出を語らせ、少しずつ記憶を呼び起こしていこうとしているのです。私たちも、マジックミラー越しの隣の部屋で、固唾を飲んで見守っています。
 「独身寮?それでは、貴方が住んでいた建物は社宅かなにかですか?ご家族と住んでいらしたのですか?」
「はい……父が勤めていた会社の社宅です……転勤族で、いろいろなところに引っ越しました……ここには、小5のときに住んでいました」
「小5……11歳ですかね。どんな思い出がありますか?」
「そうですね……シャンデリアが届いて、本当に大変でした」
「シャンデリア?それは一体?」
そして蓮さんは語りました。小学5年生のときの、大阪に住んでいたときの思い出です。

 「ねえねえ、お兄ちゃん」
「なあに?母さん」
 小学校5年生の僕は、帰宅すると同時に、母の真顔と対峙しました。語り部はわたくし、飯島蓮乃に交代させていただきます。ちなみに、母は長男の僕を、”お兄ちゃん”と呼んでいます。
 さて、困ったちゃんの母がこんな顔をするときは、大抵、暴走する前触れなんですよね。さあ、今日も嫌な予感がするぞ!
 「実はお母さん。シャンデリアを買おうと思ってるの。どう?ステキだと思わない?」
シャンデリア。それは豪華な電灯です。カットグラスに多くの電球を組み合わせた、天井から吊るすタイプのキラキラした装飾電灯です。ここで状況を整理すると、我が家は両親と僕、そして3歳年下の弟の4人家族です。父の仕事の都合で引越しが多く、今住んでいるのは会社が用意してくれた社宅です。バブル経済の頃、日本の多くの企業で、福利厚生の一環として、集合住宅を建てて社宅として提供することがありました。私たちが暮らしているのは、集合住宅の3DKで、ダイニング以外は全て畳です。そんな我が家に、まさかのシャンデリア様を降臨させようというのです。
 「えっとさ、シャンデリアってあの豪華な電灯?洋画のお城とかで出てくるやつだよね?」
「そうよ。他にどんなシャンデリアがあるのよ?」
「いや……ああいうのって、洋風な一軒家なら似合うと思うけどさ」
「そうなの。だからお母さん、シャンデリアを買おうと思ったのよ」
 ”だから”が一層、よくわかりません。なにがどうやって、”だから”という、順接の接続詞を経て、”シャンデリア購入”につながるのでしょうか?
 ここでもう一度お断りしますが、我が家は豪邸どころか、一軒家でもありません。畳のお部屋がメインの集合住宅です。天井だって、2メートルちょっとの高さしかない……
 「引っ越すの?というか、一軒家を買うの?」
とりあえず、最後の足掻きとして、聞くだけ聞いてみましたが
「そんな話してないじゃない。買うのはシャンデリアだって言ってるでしょ。ちゃんと話を聞いてるの?」
やっぱり、会話が噛み合いません。
「いや……ちゃんと聞いてるから、質問してるんだけどさ」
「何言ってるのよ、あんたは?とにかく、お兄ちゃんも賛成してくれたし、明日には届くから、楽しみにしててね」
「へ?僕、賛成してないよ?つーか、明日には届くって、もう買っちゃったの?シャンデリアが、この103号室に届いちゃうの?」
 ここまでの会話を読んでくれたみなさんは、頭痛を覚えたかもしれません。というか、”なんか変なことが書いてあるぞ。誤植か?”って思ったかもしれません。でも、そんなことはありません。これは実話をベースにした、ほぼノンフィクションなんです。天然暴走属性のお母様は、思い立ったら即行動です。自分が”やりたい”って思ったら、周りの意見を聞くことも、客観的に考えてみることもありません。全部やっちゃった後に、よく分からないことを言い出して、勝手に納得してしまうのです。そんなんだから、父とも上手くいかないのですが……
 この時点で、”変わった家庭に育ったんだな”って思われるかもしれません。しれませんが、本当の悲劇はここから始まります。そう、いつものコントはここからなのです!
 シャンデリア購入から1ヶ月ぐらい過ぎた頃でしょうか。日曜日の午前中、小学生の兄弟は屋内で遊んでいました。男の子に大人気のカードや消しゴムのコレクションを並べて、弟と他愛ない話をしながら遊ぶのです。そんな平和な昼下がり、それは前触れも無く起こりました。
 ”ガチャーン!”「うわぁーーー!」
何かが割れる音。そして聞き覚えのある、中年男性の悲鳴……
 恐る恐る声のした方を覗いてみると、さっきまでそこにあったシャンデリアが、この家にビックリするほど似合わなかったシャンデリア様が、忽然となくなっていました。そして、かつてシャンデリア様がいらした真下に、ガラス片塗れになった父親が、”あちぃあちぃ”と火の粉を振り払っていました。
 我が家の父は、躾に大変厳しいヒトでした。ゴルフが大好きな彼は、息子達にゴルフを教えるときに
「人前で絶対にクラブを振るなよ!怪我をさせたら大変だ!」
と、口癖のように言い続けていました。ただ……
 ”ご自分は、家の中でフルスイング”
という、言行不一致な方でしたが……
 そんな父が、シャンデリアを吊ってあるダイニングで、まさかのアイアン、フルスイングです。粉砕されたシャンデリアのガラス片とバチバチいってる電球が、凶器となって父に降り注ぎます。
 「だ、だいじょうぶ!?」
思わず駆け寄ろうとした僕に対して、父が最初に発した言葉は
「誰だ!?こんなところにシャンデリアを吊った奴は!?」
という怒声でした……
 「えぇーーーーー!?」
というか、気にするべきは、そこじゃないでしょ?シャンデリアは先月からあったでしょ?”誰だ”もなにも、お金を持っててそんなものを買えるのは、貴方か母のどちらかでしょ?つーか、部屋でゴルフクラブを振り回してるから、こんなことになったんじゃないの?
 ツッコミどころ満載ですが、いろんな意味で危険を感じた僕は、無造作にコレクションを箱に突っ込みました。そして小2の弟の手を引いて、その場から一目散に逃げ出したのでした。
 「君子、危うきに近寄らず……昔のヒトは、いいこと言うなぁ」
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登場人物紹介

羽矢亜麻乃(はねやあまの)(17)

本作ではヒロインとして、蓮野久希の協力者として活躍する、大人びた美少女。

蓮に惹かれながらも、親友の早苗沙希を想い、一線を引いて彼と接する。

”親に言えない願い事(ペットが欲しい)”のスキルで、クマパンチ炸裂!

蓮野久季(はすのひさき)(21?) 通称:蓮(レン)

本作では、飯嶋蓮乃(いいじまはすの)(23)と名乗り、記憶喪失なのか多重人格なのかを疑わせる、相変わらずの問題児的主人公。

物語の核である、「グラマトン、プラヴァシー、継承者、閉じた輪廻」に密接に関わる、左利きの男。

本作では遂に、その正体が見えてくる。

桜苗沙希(さなえさき)(16)

ちょっと天然な、お菓子系の美少女。

蓮に惹かれ恋人になるが、本作では再開した彼に戸惑うだけである。

しかし、「特異点、欠片」という、特別な秘密があり、蓮との出会いは偶然ではないのかもしれない……

輝月舞輪(きづきまり)(27)

物語の途中で姿を見せる、美人過ぎる音楽教師。

かつて蓮と出会った薄幸の女性。彼女との再会が物語を加速させ、蓮は前世の自分たちとプラヴァシーを受け入れる。

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