第7話

文字数 983文字

 外にでたところで、店の前に緑色の公衆電話があることに気づいて足を止めた。母親はスマホが普及しはじめた十年前でもガラケーすらもっていなかった。不便だから携帯電話を持って欲しいという子供たちの要望に、笑いながら首を振ってよく言っていた言葉を思い出す。

『線が繋がっていない電話なんて、落ち着かないもの。私は不便じゃないし、なにより言葉がしっかり伝わる気がするのよ。だから私は携帯なんていらないの!』

 美里は微笑んで頷くと財布から小銭をだして、公衆電話の受話器を取って耳に当てた。スマホよりもズシリと重い。悠太の携帯番号をスマホをみながら丁寧に押す。普段意識していなかったその番号が、しっかりと指先に残る気がした。



『……もしもし?』

 数回のコール音が鳴ってがちゃりと硬貨が落ちる音がした後、受話器の向こうから警戒するような声がきこえて、美里は思わずふきだした。

『……なーんだ! 美里さんか。公衆電話からかかってきたからびっくりした! スマホでも落としたの?』

 どこか慌てたような悠太の声が携帯の通話よりクリアに聞こえてくる。美里はゆっくり答えた。

「違うよ。悠太くん、あのね、報告があって」

『うん?』

 ひとつ吐息をついて心を落ち着けてから、言葉を続ける。

「私、妊娠したみたい」

『え?! ええ?! それは間違いないの?」

「うん。検査したから」

 数秒の沈黙。美里は受話器を握りしめる。この間に耐えられず口を開きかけた時だった。

『わかった。そっちにすぐいく! これからのこと決めなきゃいけないよね。あ、今会社?』

「ううん、今日は会社やすんだの。駅の近くのゆくすゑっていう喫茶店の前にいてね……」

『じゃあ動かないでそこにいて! 転んだりしたら危ないから!』

「別に妊娠したからって動いたら危ないとかそういうのは……」

『油断禁物! それよりその喫茶店ひろすえってどこ? よくわかんないから スマホに場所の詳細送ってくれる? もう出る!』

「ひろすえ、じゃなくてゆくすゑだよ。午後から授業でしょ? ムリしないで……あれ? もしもーし? ……切れちゃった」

 美里はゆっくりと受話器をフックにかけた。笑いが込み上げてきて、つい声にだしてひとり笑ってしまう。それから小さくつぶやく。

「お母さん、私がんばるから。大丈夫だよ」

 隣で母親が微笑んでいる気配を確かに感じて。美里はそっと笑みを深くした。

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