文字数 1,906文字

哲郎は現場から少し離れたコインパーキングにフィットを停めた。黄色いビニール袋を持って、スマホで目的地までのルートを確認しながら歩いた。
雨はもう降っていなかった。現場まで、あと信号二つほどの距離まで歩くと、そこからでも小さい銀の事故車がボンネットを開けて、歩道に停っているのが見えた。助手席側のヘッドライトは割れており、バンパーも割れていた。哲郎は矢島のフィットへの悪口を思い出して、思わず口角が上がったのを感じた。
事故車が停っている交差点手前の信号まで近づくと、矢島が運転席から出てきて哲郎に向かって手をあげた。哲郎も手をあげて、矢島に近づいた。
矢島は、黒い無限のスナップバック、灰色のパーカー、明るい茶色のドライビンググローブ、着古したジーンズ、黒いエアフォースワンを身につけていた。新品のように綺麗な無限のスナップバックとドライビンググローブは、事故車とは不釣り合いで、哲郎には矢島がコメディドラマのキャラクターのように見えた。
「おつかれ」
「おつかれ。お前フィットは?」
「一旦離れたとこに停めとんねん」
哲郎は黄色い袋を矢島に渡した。
「とりあえず2600円もらえる? レシートも一緒に入ってるから、見てもらってもええで」
矢島はレシートを確認すると、財布から3000円を哲郎に手渡した。
「釣りはいらん」
「小銭あるから渡せるで」
「いや、ええよ」
矢島は黄色い袋をビートの助手席に置くと、モンスターエナジーを取り出してタブを開けた。そして、セブンスターをくわえて、濃い青色のBicのライターで火をつけた。
「そのグローブなんやねん」
「ええやろ。ドライブって映画の影響で買ったんよな」
「それ知らんかったらウィッシュにしか見えんけどな」
「しばくで」
哲郎もアメスピに火をつけた。
「ほんでどうするん」矢島が言った。
哲郎は先程まで牽引ロープの代金をもらって、さっさと帰る予定だったが、矢島の顔を見て一言二言かわすうち、とてもそんな気にはなれなくなってた。
「とりあえず、フィットここまで持ってこいよ。その間にロープ用意しとくし」
「でも、お前、正直言うて、警察に言うてへんやろ」
「まあな」
「ほんな、おれ共犯なるんちゃうん?」
矢島は煙草を一口吸って、指で飛ばして排水溝に捨てた。
「知らんかった、言うたら大丈夫」
「ほんまかいや」
「当て逃げの車、牽引して捕まる罪なんか存在せんと思うで」
「ほう助にはならんの?」
「当てて逃げた後の話やからなんもならんと思う。もし、そうなっても、お前はおれに騙されてるねんから、責任はおれにあるよ」
哲郎は矢島の煙に巻くような話し方を聞いていくうち、助けたくない気持ちが大きくなってきた。
「悪いけど、おれが捕まらんかったとしても、今回は牽引したくないかな」
哲郎がそう言ったのを聞くと矢島の目つきが変わって、殴りかからんばかりの殺気を放った。
「は?」
「いや、もうこんなこと、大人になっても付き合いきれんて」
「でもお前が牽引してくれな、おれどうせえ言うねん」
「ごめん。おれができるのここまでやわ」
矢島はモンスターエナジーを一気飲みして、大きく息を吹き、自分を落ち着かせている様子だった。
「じゃあ、3万やるから助けてくれよ」
「その金でレッカー呼べや」
「レッカーは通報しな引っ張ってくれんらしいねんな。頼むわ」
哲郎は迷った。3万もらえるなら引っ張ってやってもいいかもしれない。
「今3万あるんか?」
「ない。けど、ビートのパーツ基本高いから、バラして売っただけで3万は余裕。これバージョンZやからメーターだけで3万はするし、テールランプ片方で最低5000円はするし」
矢島はスマホでヤフオクの落札相場を見せて説得してきた。
「じゃあ、今すぐ3万はないんや?」
「あるよ。けど生活費やから勘弁してくれ」
「わかった。牽引するわ、ただ」
「なんやねん」
「3万の担保としてNSRの鍵渡しといて」
矢島は明らかに不快な表情をした。
「わかった。けど、3万渡したら絶対返せよ。返さんかったら本気で殺したるからな」
「で、期限はどんくらいにする?」
「念の為半年にして。それより絶対早よ3万渡すけど」
「わかった」
矢島は哲郎の目を見据えて言った。「じゃあ、引っ張ってくれるでええねんな?」
「しゃーなしやで。てか、お前灰皿ないん」
矢島はビートの車内から筒形の灰皿を哲郎に手渡した。哲郎は煙草をもみ消して、灰皿を矢島に返した。
「ほな、取ってくるわ。ロープ準備しとってな」
「ほな後でな」
哲郎はフィットを停めたコインパーキングに向かって歩きだした。空はそろそろ明るくなりそうだった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み