文字数 1,545文字

真っ暗な部屋にスマホの明かりが広がり、着信音が鳴り響いた。午前3時42分。哲郎はこの時間にアラームをセットした覚えはなかった。スマホを見ると矢島からの着信だった。
「もしもし、遅くにごめん。今いける?」
「なに? おもくそ寝てたんやけど」
「いや、哲郎にしか頼めんから電話してんな」
この言葉を聞いた瞬間、哲郎は闘争か逃走かの選択を迫られているようなアドレナリンラッシュを感じた。
「なんなんマジで」
「ビビるかもしれんけど、刺さってもうたんよな」
「何が?」
「あれやん、ゴマメ的な」
「意味わからんねんけど」
「普通に言うたら車で単独事故してもうて困ってるってこと」
哲郎は矢島が望むことを理解したが、正直なところ昼まで寝ていたかった。それに警察が絡みそうだし、今から着替えて出るのも面倒だと思った。哲郎は世間話をして話題をそらしつつ断りやすい空気をつくり、やんわり助けにいけないことを伝えることにした。
「てか、お前車買ったんや」
「うん、ビート。もう動かんねんけどな」
「ははは。やったら最近仕事うまく行ってそうな感じやん」
「いや、借金して買うたし、事故ってもうてるし。なんもうまくいってないわ」
「JAFとか呼んだん?」
「電話したけど高すぎて払えんと思ってさ、やから頼むから車で迎えにきてくれん?」
哲郎は直接的な言葉で断る以外に助けにいくことを拒否する方法がないことを感じ取った。
「悪いけど行かれんと思うで」
「いやいや。車で来るだけやんけ、来てや」
「めっちゃ急やし、無理かな」
「おれも事故したくてしたんちゃうねん。頼むから来るだけ来てえや」
「知らんやん」
「牽引とかしたってくれんかな」
「自分でなんとかしろよ」
「押して帰るとか無理やからな。バイクとちゃうねんぞ」
哲郎は矢島の軽口を聞いていて、一緒に遊んで楽しかった日々の記憶を思い出した。矢島はどんな状況でも軽口を叩くので緊張した場面ではなぜか頼もしくすら感じることがある。
「てかロープ持っとんやったら別の人に頼めば?」
「無いねん。やからドンキで買うてきてや。あとでお金渡すから」
「売ってないやろ」
「なんでもあるって。無かったら最悪似た感じのロープとか縄跳びとか、なんでもいいから紐買ってきてや」
「ふざけとん?」
「ごめん。いや、マジで見たことあるねん、ドンキで。頼むから来てくれ。明日休みやろ?」
哲郎は『確かに休みやな』と思った。もう日付をまたいで土曜日になっていた。今日、哲郎にとくに用事はなかった。哲郎は自分が助けに行く前提で話が進んでいることを感じつつも、もう断る口実をつくるのも面倒になってきていた。
「ほな行くわ。どこなん」
「ありがとう! 福元浄水の交差点にあるバーミヤンの近く」
「中途半端に遠いな。そんなとこで事故ったん?」
「いや、事故ったん山やねんけど、途中で走れんくなってもうたんよな」
「 警察に言うた?」
「大丈夫」
「どっちやねん」
「言うた」
「もし嘘ついとったりしたらロープの金だけ貰って速攻帰るからな」
「わかった。ほな待っとくで、ドンキでロープ忘れんとってや」
「オッケー」
矢島はいつも深刻な状況を嘲笑うかのような軽口を言う。その口調はときに深刻さや危険のにおいを覆い隠すことがよくあった。高校のときに矢島との付き合いがはじまってから、哲郎は面倒なことに巻き込まれることもあったが、それを楽しんでいた。電話を切り終わって、哲郎は高校の頃から変わらないままだなと思った。矢島は行動による結果をあまり考えてるわけではなさそうだが、いつも最悪の結果は避けてこれたので、一緒に遊ぶときは危険をすり抜けるスリルを味わえることが多かった。哲郎は金のために我慢して働く毎日の退屈のさなか、非日常を味わえる期待を久しぶりに感じていた。
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