六、自有自罪

文字数 1,510文字

 慎一のマンションにまた戻ってきた。弟は明日、荼毘にふされる。慎一が知り合いの動物葬儀社に連絡してくれた。その手続きもあった。
慎一が、ブリーダーの家族に薬品を渡していたことは事実だ。だが、理由がわからなくなってきた。犬達の復讐のためだと思っていたのに、まだ他にも話すことがあるというのか。
「こちらの部屋です」
 ドアを開けると、中にはベッドで眠る女性がいた。年の頃、美佐子と同じくらい。医療電子機器と点滴、呼吸器。意識はなさそうだ。彼女が慎一の母だということは、たやすく想像がついた。
 猛を部屋に入れ扉を閉めると、慎一の表情から初めて笑顔が消えた。
「紹介します。この世で最も憎んでいる、僕の母です」
「憎む……?」
 病院や施設ではないので手厚く、とは言い難いのかもしれないが、彼女は生きている。憎んでいるのなら、ブリーダー達と同じように安楽死させてしまえばいいのに、慎一はどうして憎んでいる彼女を生かしている? 一瞬で考えがわかり、青くなる。慎一は自分と一緒だ。自分とは違うと思っていたのに、まったく同じ思考だったんだ。猛は自分で立っていられなくなった。壁に手を、背中をつける。
「母はポピィを家族とは認めていなかった。『ペット』に過ぎなかったんです。だから許せなかった。そんな母ですが、四年前に事故に遭いましてね」
 心電図が音を刻む。
「母は許しません。だから絶対に安楽死はさせない。息絶えるまで苦しませる。楽なんてさせない」
 ベッドサイドの花瓶には、たくさんの枯れた白いポピー。枯れた花の上に、さらに新しい白い花を活けている。
「僕がずっと笑顔を崩さなかったのは、死が近い相手の前では涙を見せないと父と約束したからなんです。でも、母は死なない。死なせない。どんな手を使っても」
 慎一はベランダの窓を開けた。風が入り、レースのカーテンがふわりと慎一を包む。風が止むと、またいつも通りの笑顔を見せた。
「事件の真相ですが、お察しの通り僕ですよ。ブリーダーの家族に、ペンタバルビタールナトリウム入りの注射を渡したのは」
「……犬を大量に殺処分したから」
「違うのは、お分かりなんじゃないですか?」
 そうだ。自分は気づいている。白いポピーがたくさん咲いている草原。花が揺れる。
「家族の犯した罪を忘れるため……?」
「……ただ、あの人達は死を選んだ。そして僕も」
 慎一はベランダに出ると、手すり部分に腰かけた。
「人間には確かに死を選ぶ権利があります。生死を自由自在に操れる。でもそれは『自有自罪』でもあるんですよ」
「え……?」
 ふと目を閉じると、困ったような顔を見せた。無理に笑顔を作るのに、見事失敗している。
「あなたにすべて話した。僕も死を選択しましょう。あの世でポピィと再会するころがずっと楽しみだったことですしね」
「犬飼先生、やめてください。ポピィくんだって喜ばない」
「あなただって一緒ですよ。死を選んでる」
「タレは看取った!」
「違いますよ。その前の猫です」
 血の気が引いた。
「それがくだらない人間の特権なんです」
「そんな特権なんていらない!」
「……そう。でも僕は使わせてもらいます。あなたもきっと、いつか同じ選択をする日が来る。あなたは、僕とそっくりの考えを持っているようですから」
 絶対に違う。否定、首を振る。頭を押さえてしゃがみ込む。お前なんかと俺を、一緒にするな――! 俺は、俺は、俺は! 何度も胸の中で絶叫する。
「いつかまたお会いしましょう。待ってますよ」
 背中から目を閉じて倒れる。猛は咄嗟に立ち上がって手を伸ばす。空を切る。
会うときは、地獄か。弟達には会えないかもしれないな。犬飼さん、あんたもポピィくんとは再会できないよ。
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