五、安楽死

文字数 4,577文字

 外場・幕張コンビに連れていかれたのは、古い喫茶店だった。幕張が警察手帳を見せると、店員は黙って奧の個室へと案内する。何度かこういった場所には来たことがある。医師という職業柄、大っぴらに話すことができないときによく個室を使う。
 外場と幕張を前にすると、頼んでもいないのに店員がブレンドを三つ運んできた。容疑者には選ぶ権利もないらしい。
「あなたの勤務先でまた不審死がありましたね」
「ええ」
 二回目は質問ではない。こちらが知っている前提だ。外場は手帳を手にペンを走らせる。
「大磯育三。心筋梗塞だったそうですが、入院当日に殺害されたようですね。またペントバルビタールナトリウムが検出されました」
 手を止めると、こちらを凝視する。外場は『殺害』と言った。とうとう確定したな。自分はやってなくとも、手汗が出る。誤魔化すようにコーヒーを飲むのも、刑事達の計算上のことだ。
「あなたのことは確かに容疑者として見ていましたが、その認識は間違えてなかった」
「は?」
「さっきあなた、ソフィア動物病院から出てきましたね。あそこは安楽死も請け負っているとか」
 猛は慎一のことを言うか迷った。うつむいてコーヒーを見つめるが、言葉は出ない。代わりに自分を追いつめるように、外場が発言する。
「こちらの捜査でわかったことは、犬飼慎一医師が関わった多頭飼い失敗のブリーダーが次々と死んでいること。そしてその際、例の薬物が使われていることです」
「……俺は二回、殺人現場に居合わせましたけど、犬飼先生は見てません」
「だから、あなたも重要参考人だということです。あなたも愛犬家でしょう?」
「愛犬家という理由で疑うんですか! どうかしてる!」
 犬を殺す人間は許せない。そう言った意味で、確かに自分は愛犬家だ。だけどタレは犬じゃない。家族だ。外場は何度自分を怒らせる気なんだ。犬を飼っていないから気持ちがわからない? 違う、彼女の発言は、『家族がいない人間』のものだ。
「これ以上話すことはありません。失礼します」
 バッグを持つと、個室の扉を開けて煙臭い喫茶店を出た。

 家に帰り、雄二とテーブルで食事をとる。美佐子はタレのそばで看護をしている。食べ終わると、雄二は美佐子に声をかけた。
「母さん、ご飯」
「うん」
 美佐子の座っていたタレの近くに、今度は雄二が座る。美佐子はご飯を盛らないで、おかずだけをつついた。二人の親は目の下にくまができている。
「……ごちそうさま」
「あんたもタレのそばにいる?」
 きかれたが、首を振った。今日はまだやることがある。本当に慎一がブリーダーの死に関わっているのなら、まだ事件は起こる。だとしたら止めなくては。どんなに罪深い人間でも、殺してはいけない。存分に生かして、殺した犬達の分も苦しませる。病気になっても、生き続けることほど苦しいことはない。それが本当の復讐だ。
 美佐子は寂しそうな顔をした。
猛は一度ダイニングを出ると、廊下から振り返る。優しくタレをなでる父に、げっそりした顔で無理やり食事を口に入れる母。目を閉じると、扉をしめた。
自室に入るとさっそくパソコンの電源を入れる。前に見た、犬の大量殺処分の記事。最新のものに更新されていた。
荒川ドッグハウス。管理者・荒川敬。更新日は三日前。
一度検索エンジンに飛ぶと、『荒川ドッグハウス』の連絡先を調べ、メモを取る。スマホに番号を打ち込む。自分ができることをやれるだけやろう。慎一が復讐をしているなら、自分は別の方法で復讐する。楽になんて死なせない。命の大事さ、重さ。生き残った苦しみをすべて背負ってから死ね。
 スマホを耳に当てる。相手が出た。
「すみません。荒川敬さんのご自宅ですか?」
 猛は偽名の『飯村』を名乗る。保健所の者だと言い、体調についてきく。
「犬の管理ではなく……毛や排泄物、ダニなどから体調を悪くされているオーナーさんが多いので。荒川さんは何かお身体に問題などは?」
 話を聞いた猛は、目を見開いた。

 川沿いにある、少し老朽化が進んでいる病院。ここが、すでに事件が起きた墨東光栄病院だ。スーツを着た猛は、面会時間を確認して二○二号室へ向かう。
 六床ある大部屋はすべて埋まっていた。囲碁雑誌を読んでいる老人に、雑談する男達。一番廊下側のベッド。カーテンは閉まっていたが声をかける。
「すみません、飯村です」
 隙間を開けて確認する自分と同い年くらいの女性と男。奧に点滴と呼吸器をつけた荒川敬が眠っている。ネームプレートを確認した。間違いはない。
「娘の亮子です。こっちは弟の大智といいます」
 二人は座ったままお辞儀をした。どちらも看病疲れなのか、げっそりとしていた。
ああ、苦しめ。お前達も一緒だ。破たんしたドッグハウスを経営していた男の血縁者ならば、彼が生きている分、痛みも分かち合え。それが家族だ。
 弱音を吐いたのは、息子の方だった。
「もう最悪だ。父さんが身体を壊したせいで、ドッグハウスの経営はめちゃくちゃになった」
「お母さんが逃げるのもわかるわ」
 二人の様子を見つめていると、あの家族を思い出した。最期の最期まで笑顔で母親を看取った長田一家。父も娘も息子も、涙は見せなかった。無論、弱音なども本人の前で言ったことはなかった。それが。
軽くため息が出てしまう。気づいたのは亮子だった。
「それで、何の用事ですか。犬達についてはすでに最善を尽くしました。動物病院や慈善団体にお願いしましたし」
「その動物病院のことなんですが、ソフィア動物病院の犬飼慎一先生をご存知ですか?」
 亮子と大智はピクリとした。何か知っている。画策している。慎一と接触している。
「犬のことで……相談に乗ってもらいましたけど」
「それだけですか?」
「他に何があるって言うんですか」
「例えば、安楽死について」
 口から出ると、瞳孔が開いた。猛は二人を苦しめるだけのために話し始める。
「安楽死といいますが、実際犬達は『ドリームボックス』というガス室に閉じ込められ、窒息死させられる……安楽死なんて、保健所ではされない。窒息死は、死に方としては非常に苦しいものだ」
「なんでそんな話を聞かされないといけないんだ」
 大智は震えている。もっと怯えろ。怖がれ。どんな人間でも死から逃れることはできない。それでも楽に死ねる方法ならある。お前の父が育てた犬達は、死ぬ方法を選ぶこともできず、一番苦しい死に方を人間によって選択させられるんだ。それを自覚させてやる。逃がさない。
「わかってるわよ……だから、忘れたいんじゃない。こんな大事になったことを」
 亮子が唇を震わせて出したのは、言い訳だった。忘れていいとでも思っているのか? 犬達の死を。
 ポケットが震えた。十五分、過ぎた。
「おっといけない。電源を切っていなかったようです。失礼」
 スマホを取り出しながら、カーテンをめくる。部屋から出る。スマホの画面には、タイマーの設定画面。切ると、足早に廊下を抜けた。もう荒川一家に用事はない。
次に向かうのは――
 三日月が空に浮かぶ夜。黒い色の壁でシックなデザインの十五階建てマンション。出入り口はオートロック。その前で待っていると、会いたい人物が出てきた。自分と同じように、ボストンバッグを手にしている。
「犬飼先生」
「山口先生」
「ちょっとお話、いいですか。できれば、お出かけする前に」
「あまり時間は取れないのですが」
「安楽死について、です」
 慎一は猛を見つめる。何を思っているのか。猛は探るが、見えない。笑顔しか。
「わかりました。それでは僕の部屋で」
 慎一は手を自動ドアへと伸ばす。マンションの中は敵地。猛は負ける気がしなかった。少なくても身長は自分の方が高い。それ以外に勝ち目などないのに。
 マンションの最上階。生活感のない部屋。黒と白を基調としていて、色合いは最悪だ。想像させるのは一つ。人生最後の祭りだ。壁面収納にはたくさんの本。アラスカンマラミュートの写真。前には赤い花。またポピーだ。それとビーフジャーキーが二本。線香。新しく何本か刺さっている。
「安楽死……タレくんのこと、決心されたんですね」
 電気はつけず、月明かりだけが部屋を照らす。
「違います。先生が行っている『人間』の安楽死についてです」
「人間の安楽死? 物騒な話だ」
 へらへらと笑う。花の甘いにおいが混じった線香の香りは、嗅いだことがあった。慎一のにおいだ。
「都内の病院で、何名かのブリーダーが不審死を遂げています。ペンタバルビタールナトリウムで」
「……それで?」
「先生、そのブリーダーの家族に、ペンタバルビタールを渡していませんか?」
 否定せず、慎一はぽつりと言った。
「人は死を選ぶことができる。たとえそれが、他人でもね。僕は辛い目にあっているご家族を見過ごせないんだ」
 無言。慎一が何を考えているのかを想像する。彼は笑顔の絶えない、自分と似た境遇の男だと思っていた。医療従事者でもある。犬と人間との違いはあれど。だからなぜ。
「犬も人間も家族の絆は一緒。……うちの病院がなんで、安楽死を請け負うようになったか、お話してませんでしたね」
 愛犬の写真を手にすると、さらに目が優しくなる。
「僕が殺したんです。苦しそうに死の縁であがいていた兄さんを、首を絞めてね。父はそれを見ていた。それから安楽死を請け負うようになった」
 写真を元に戻しても、まだ笑っている。ぞくりとした。こんな感覚は初めてだ。信じていないが、霊に会った時の恐怖? 高いところから落ちそうになる怖さ? どれにも当てはまらない。たとえるとしたら、絶望。
「兄は僕に『死』を教えてくれた。だからこそ、本当に許せない人間は安楽死させない」
「だ、だったらブリーダー達はなぜ!」
 スマホが鳴った。着信、美佐子。
「……出たらどうです?」
 鳴りっぱなしで騒がしいのを仕留めると、耳に持っていく。
「……え、タレが?」
 慎一もスマホを見た。
「僕の車で行きましょう。こんな話をしている場合じゃないようだ」
一時休戦だ。タレを看取ると誓った。約束は絶対に守る。急いで駐車場のワンボックスに乗り込む。
車内は無言だ。夜が流れる。タレの終着点に向かって走る。速く、速く。焦る気持ちを抑えきれず、上にある持ち手に汗がつく。――衝撃が襲った。大きな音。何か轢いた。飛び出してきた。慎一は真っ青になり、ドアを開けた。猛は「そんなことより車を早く出せ」と言いに車道へ出た。
血が流れている。猫だ。
「まだ息はある。すぐに輸血すれば……」
猛はホッとして、慎一に言った。
「早く! タレのところへ!」
 慎一がニヤリと笑ったことに、猛は気づいていなかった。

 雄二と美佐子がタレの横に座って身体をなでている。部屋のライトは暗い。タレはまだ息をしていた。
「よかった。生きてる」
「タレ、お兄ちゃん来たわよ。みんなここにいるから。安心して」
「お前は最高の息子だよ」
 時計の音と、古い冷蔵庫のブーンという音が、静寂を唯一誤魔化していた。
「孝……どうかタレを守ってやってくれ」
 時計が午前三時半を指した。
 猛も美佐子も雄二も、涙を流さない。笑顔でタレに触れる。タレは看取った。約束を果たした。ようやくぐっすり眠れるな。最愛の弟達に、最上級の愛と感謝を。
「……山口先生、すべてをお話します」
 慎一は嬉しそうに猛に言った。
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