第59話 A・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』(講談社)

文字数 1,092文字

 戦争を語り継ぐことが年々難しくなっていることは、反面、長きに渡って日本が参戦せずに済んだ嬉しい代償というべきかもしれない。
 市民生活レベルでは、着実に日本国憲法が掲げる平和理念が根付いている表れである。
 
 二〇世紀最大の負の遺産、第二次世界大戦以降も、世界のどこかで戦争、紛争、内戦、軍事介入が行われ、地球上のあらゆる国と地域が、安らかに眠りにつける日は、一日としてなかった。世界の警察を冠としていたアメリカにいたっては、自国の若者を一度たりとも、暖かい我が家のベッドで、心ゆくまで休ませたことさえないのではなかろうか。

 その平安な眠りを日本は七〇年もの間貪っていたと、自虐的に語る人がいるが、別に現実逃避をして安穏と過ごしていたわけではない。
 時代の転換を迫られた時、その都度、数ある選択肢のなかから、もっとも相応しいものを選んび、憲法の理念を死守した結果、この安らかな眠りを得ているのである。敗戦で焦土化した国を目の当たりして、もう二度とこの惨事を繰り返すまいと強く願う国民の英知が、つねに働いていたからである。

 この本はベトナム帰還兵の著者が、戦争の本質とは何か、戦場とはいかなる場所か、ということを、体験を通じて語られた講演録である。
 そこには平和を切に願う、戦争のない世界への希求がある。貧困ゆえ家族の生活を少しでも楽にさせようと入隊を志願し、海兵で過酷な訓練を受け、ベトナム最前線へ送られる。
 最初の殺人は言葉にできない嘔吐に襲われたが、戦地での生活が長くなるにつれ、人を殺すことに何も感じなくなり、殺人マシーンへと成り果てていく。

 シンプルに語られる言葉は、目の前に戦場が広がっているように生々しい。
 その著者が人間としての感情を取り戻せたのは、ある戦場の村で偶然にも出産を目撃したからだと語る。その瞬間、生命誕生の神秘さ、命の尊さに打ち震え、自分の戦地での行為が、非道で残忍なものだったか痛感する。
 以後、戦場から早く逃れたいと考え、前線から離れることを希望し、帰国の途に着く。しかし除隊すればホームレス生活になり、戦争による精神的後遺症に悩むことになる。
 その後、著者はカウンセラーに恵まれ、精神障害を克服し、家族や友人の助けもあって戦争体験の語り手として、ひとりの平和を願う人間として、アメリカや日本各地を回って戦争の愚かさを説いている。

 この本は、私のような擦れ枯らしの年代よりも、想像力が豊かな若い世代に読んでもらいたい。戦争の本質や現実を深く考えた上で、国際貢献は派兵することだけではないと肝に銘じて、この国が歩むべき道を選んでもらいたいと願うからである。
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