第58話 下嶋哲朗『平和は「退屈」ですか?』(岩波書店)

文字数 893文字

 終戦を迎えてから七五年が過ぎた。
 この時期、テレビや新聞では特集を組み、あの戦争は何だったのだろうかと、改めて問いかけて、平和の尊さを再認識させてくれる。
 ただし、ここ数年言われて続けているのは、戦争体験をされた世代の多くが、天へと旅立たれていくにつれ、戦争の悲惨さをどう語り継ついでいくべきかという問題に直面していることである。
 政治が数の論理で反動的な方向へと舵取りがなされると、戦争体験者は再び同じ道を歩むのではないかと危惧し、戦争を知らない世代は、国際貢献として、もしくは集団的自衛権の名の下に正式に軍隊を保持して良いのではないかと、漠然と思う。

 そういう私も戦争を知らない世代。
 戦争はいかなる理由があろうとも断固拒否という立場なのだが、もし戦争について討論があった場合、曖昧な理由と論法でしか反戦を語れない。
 もっとも正しい戦争という名の下(湾岸戦争、NATO軍空爆など)での武力行使を認める論者も、国際協調のためという、世界における日本の立場からの意見であって、戦争の本質を説いての意見ではない。
 戦争を知らない世代同士が、戦争に対して貧弱なイメージしか持ち合わせないままに、非武装中立、正戦、反戦、平和国家、国際社会、自立国家といった言葉で、巧みにお互いの意見を主張したところで、所詮、机上の空論を越えていないのではなかろうか。

 もう一度、戦争とはいかなるものなのだろうかと、真摯に向き合い、様々な視点から見つめ直して、過去の歴史を学び、あらゆる考察を組み立てた上で、その本質に迫ったほうがよいのではないか。いざ戦争が始まれば、悠長に平和について論じる機会は失われてしまうのである。

 この本は沖縄の元ひめゆり学徒が、高校生と大学生に戦争の無慈悲さを伝え、さらに戦争体験のない世代が同世代に対して、いかに戦争体験を語るのかという難題にチャレンジした記録である。
 この本が示すかぎり、戦争を知らない世代が戦争について語ることは、決して不可能なことではない。戦争の記憶がないことで、逆に想像力が自由に羽ばたきはじめる。
 人には想像力という、誰も殺すことのない武器があるのだ。
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