第39話 アファナーシェフ『ロシア民話集(下)』(岩波文庫)

文字数 1,213文字

 昨日紹介した本の下巻。上巻は動物が登場する童話や滑稽譚が、比較的に多かったのに対し、下巻は宗教的色彩を帯びた訓話、物語の展開も、血族同士の争い、欲深い商人が悲惨な末路を辿るもの、地の果てまで魔王を倒しに旅をするというようなドラマティックなものが主になっている。
 もちろん「その酒盛りにわたしも呼ばれて蜜酒を飲んだけど、蜜酒はひげをつたって流れてしまい、一滴も口に入らなかった」というユーモア溢れる締めの言葉もない。

 瞠目するのは「金の卵を生む鶏(鴨)」。
 周知の粗筋は、金の卵を毎日生む鶏を手に入れた老夫婦が、毎日一個の卵では飽き足らなくなり、もしやこの腹のなかには大きな金塊が入っているのではと思い立ち、絞め殺してしまうが、お腹には何もなかったというもの。
 欲をかき過ぎると、毎日一個の金の卵というささやかな幸せさえ失ってしまうのだという教訓譚。

 しかしこちらに収められている話は、知られているものとはまったく違う粗筋と結末。金の卵を生む鴨を手に入れたことで、貧乏家族の暮らし向きが良くなった頃、夫の留守中に妻が不貞をはたらき、鴨の存在を間男に話してしまう。
 その鴨のお腹を見ると「この鴨を食べる者は王になり、心臓を食べる者は金の唾を吐くべし」と書かれていたので、すぐさま鴨を絞め殺すが、間男が席を外した隙に、二人の息子がその重要な部位を食べてしまう。
 間男はその母親に息子殺しを命じて、同じ部分の肉を取り出してこいと叫び、慌てた二人の息子はお互いを励まし合いながら逃げていく。それはそうだろう。実の母親に命を狙われるのだから。
 そして最後に悪は成敗され、息子たちと父親には未来永劫続く幸せが訪れ、母親は元の貧乏人に成り果てるという現実味のある物語となっている。母親が息子たちを殺害しようと企てる様は血なま臭く、現代社会の病巣にも通ずるもの。
 背筋が薄ら寒くなる話である。

 ほかにも血を分けた兄弟が殺し合う話、魔王である実の父親を殺害するのを手助けする王女の話など、血縁関係をめぐるおどろおどろしい物語が多い。
 「カラマーゾフの兄弟」が書かれた時代に、このアファナーシェフの民話集が出版されたことも興味深い。
あとがきで「十九世紀中葉のロシアはツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイなどの大作家を輩出させたが、彼らが最も盛んに活動した「小説の黄金時代」は、この国でフォークロアすなわち口承文学の収集と刊行が本格的に開始された時期と一致している」と冒頭に書かれていて、膝を叩き、小さな眼を瞠り、大きく納得した次第。

 民話に登場するイワンは、お人好しでバカな人物ばかり。それゆえに住んでいる国や家族に幸せをもたらしてくれる、尊い存在として描かれている物語も多い。
 そういえばトルストイ「イワンのばか」のあとがきで、ばか=白痴を純粋無垢な存在、神にも似た存在として信仰の対象になっていたと書かれていたと思う。
 ロシアは奥深い。
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