第22話  伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書)

文字数 1,419文字

 スペインに滅亡されられたインカ帝国の遺産として、今や全世界で栽培されるに至ったジャガイモ。
 生産性が高く栄養も豊富ゆえ、「貧者のパン」とまで言われるようになったジャガイモが、如何にして海を渡ってヨーロッパへ、アジアへ、そして日本へ辿り着き、飢饉や動乱であえぐ庶民の空腹を満たす食材として重宝されたのかを紐解いてくれる。それは戦争や自然災害で翻弄される庶民の歴史でもある。

 日本史で初めての公害事件として記される足尾鉱毒事件。
 公害により先祖代々続く土地を、泣く泣く離れなければならなくなった住民を、県と国は言葉巧みに、北海道開拓移民の道を勧め、オホーツク海をのぞむ極寒地の佐呂間へと入植させるのである。そこは未だ人間が足を踏み入れたことのない原生林が生い繁る太古の原野。その未開の土地を額に汗をして、少しずつ開墾して、何とか人の住める土地へと変えていく。
 この本に当時の写真が掲載されているが、住居は藁葺きの掘っ立て小屋。冬にはマイナス二〇度を超える厳しい生活が見てとれ、この入植が過酷極まりないものだと想像できる。その地で人々の生命を現世に繋ぎ止めてくれたのは、ジャガイモだったという。

 ロシアでもジャガイモに救われた話が、二〇世紀の終わりに起きている。
 それまでは民話「大きな蕪」が代表するように、蕪が主食として食卓にあがっていた。ジャガイモが伝来したときは、土のなかに埋まっている得体の知れない食べ物として、なかなか庶民の口に入るまでは時間がかかったらしいが、粘り強くジャガイモの栄養価について説き、やがては蕪から主役の座を奪った経緯がある。
 ソビエト崩壊後の経済が混迷するなか、自給自足で何とか食をつなぐことができたのは、ダーチャとジャガイモのおかげだと、当時を知る者は口々に話す。人々はスーパーに並ぶ一日ぶんの給料を超えるような食材を尻目に、ダーチャで畑を耕し、ジャガイモを植え、家族の飢えを満たすことができた。

《ジャガイモは五百キロぐらいとれたから一年分あったね。野菜類を含め、食べ物の半分はダーチャの作物で賄えた。両親は本当に喜んでくれた》

 この言葉に、当時のロシア人がダーチャとジャガイモに助けられた事実に実感がある。
 
 第二次世界大戦敗戦後のドイツでは、国民ひとりあたり一日千キロカロリー以下にまで貧窮したため、公園の敷地を耕作可能な土地にして、市民農園として貸出したという。もちろん、主に植えられるのはジャガイモ。ナチス帝国の願望を熱烈に支持したことで国が崩壊したことを後悔しながらも、腹が減るのは自然の摂理と、せっせとジャガイモ栽培に精を出したのであろう。
 ドイツ料理は美味しくないとヨーロッパに精通している人は、よく口にするけれども、ジャガイモを使ったレシピの多彩さでは、他国には引けを取らないのではないか。そして想像よりも美味である。

 またジャガイモが疫病に罹り、大飢饉に陥ったアイルランドの例も紹介している。やむなく母国を離れ他国へ移り住んだ人と餓死した者を合わせると、二五〇万人以上だという。ジャガイモの収穫の良し悪しが、国の根幹さえ揺るがしてしまうのである。世界を揺るがした歴史の背景にジャガイモが関わっていることに、うむと唸ることさえできず、ただ眼を瞠るばかり。

 そして、ふと思う。
 スペインに侵略され滅亡に至ったインカ帝国だけども、ジャガイモによって平和裡に世界の食卓を征服しているのかもしれないと。
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