第43話 下川裕治『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)

文字数 1,276文字

 仕事に追われる日々が続くと、旅行記を読むことが多くなる。それはひとときでも現実逃避したいという願望の表れかもしれない。
 とくに困難極まる破天荒な旅に惹かれる傾向がある。その視点から見れば、この本の題名は、世界最悪のというタブロイド紙のような見出しはいただけないが、ユーラシア横断二万キロという言葉は、充分に魅力的である。

 巻頭の地図を見ると、ロシアの極東からポルトガルの最西端の駅まで、すべて鉄道で走破しようという大胆な旅程。しかもシベリア鉄道は使わずに、中国大陸、中央アジアを駆け抜け、トルコからバルカン半島、イタリア、スペインと巡り、ポルトガルに到達する。この鉄道旅行が過酷で、幾多のトラブルに巻き込まれたのだろうと容易に想像できる。
 飛行機の旅とはちがい鉄道の場合は、通過する国ごとに出入国審査を受けなければならず、そこには難癖をつけて賄賂を要求する職員がいたり、線路の規格ちがいで台車交換があって、思いがけず時間が浪費されたりと、時刻表とおりにコトは運ばない。
 それ以外にも政情不安を抱えた国があり、鉄道自体が運行されない場合もある。

 旅行は成田からサハリンのユジノサハリンスクまでのフライトから始まる。
 そこからフェリーで極東の町ワニノに向かう。著者が調べたところによると、ユーラシアの最東端の駅はワニノではなく、隣のソヴィエツカヤ・カヴァ二が緯度では該当駅と判明し、そこまで戻ってから始める念の入れよう。
 そこからの列車はゆっくりと時間をかけてウラジオストクに向かう。平均時速三十四キロ。都電荒川線並みの速度ではなかろうか。

 そして中国国境へ。
 入国審査の横柄な態度、切符を買うのに列をつくらない国民性、人で溢れかえった駅の構内。そういうものに辟易としながらも、中国が世界に誇る新幹線「動車組」には、割り込み防止バーが備え付けられていることに、妙な関心を覚えたりする。
 さらに中国以上に驚愕するのは中央アジアの国々。職員の怠惰な仕事ぶりと時間感覚、ソビエトの構成国だった頃からの態度に、開いた口が塞がらない。
 挙げ句の果てには、コーカサス地方に入った途端、一つ前の列車が爆破テロに遭い、そのおかげで足止めされ挙句、ロシアのアストラハンに戻され、列車運行の報せを待つうちにビザが切れるという最悪な状況へと追い込まれていく。
 この苦い思い出が、つい世界最悪と名付けてしまった要因だと想像に難くない。
 
 様々な困難や問題が雷雨のごとく降り注いだ末、トルコへと抜けることができたのだが、そこはヨーロッパ。
 嵐が去ったかのように災難は去り、誰もが憧れる「世界の車窓から」的な世界が訪れる。著者も緊張から解放された虚脱感からか、筆先も急に淡白になっている。
 鉄道による世界旅行が二〇世紀の遺産になりつつある現在、心身を削ぐような旅を成し遂げたことに、驚嘆の念を抱くし、アジア諸国には、先進国の概念では計れない魅力を知ることができたのが、大きな収穫。紙の上でしか旅ができない者には、嬉しいことこの上ない。
 世界はまだまだ広い。未知なるものに溢れている。
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