第二回 フランシスコ・ザビエルの奇蹟
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教師役のウルスラさんは元気よく生徒の右近に宣言した。
日本のキリスト教伝来は西暦1549年のこと。日本にキリスト教を持ち込み布教したのはご存知、宣教師ザビエル。
ザビエルは2年に渡り日本での布教活動を行った後にインドに帰還し1552年に死没するため、1553年生まれの右近に面識はない。
しかし、右近にとってアジアを股にかけてキリスト教の教えを説いたザビエルは憧れの存在である。
右近はきょろきょろと首を回すが、ウルスラさんの周囲には人影ひとつ、猫の子一匹見当たらない。
ウルスラさんは手のひらに何やら白いものを乗せて右近に差し出した。
それもそのはず。ウルスラさんが差し出したものは、ザビエルの骨の一部だったのだ。
いやー…彼、ザビエルさんは実に布教熱心な人で…ね。カトリック教会では日本の他にも東アジア、東南アジア諸国、オセアニアの守護聖人とされていて──遺骸の一部が世界各地に保存されているの。今日本に保管されていてすぐに呼べたのは胸骨の部分!ってわけですね。アハハ!
宣教師フランシスコ・ザビエルは1506年、ヨーロッパのイベリア半島の根元に位置する小国ナバラ王国の貴族の家に生を受け、1534年に同郷の学友らとともにイエズス会を設立する。
ザビエルらの創設したイエズス会は、ルターの起こした宗教改革により反動革新を迫られるカトリック教会の改革の一端となり、直に世界への宣教活動を推進するようになる。
ザビエルは世界への宣教を掲げるイエズス会の信念のもと、1541年にポルトガルを発ち、インドや明を経由して8年後、薩摩の島津氏の統治にある鹿児島に到着したのだった。
右近は心底がっかりしたような声を出した。憧れの聖人には当分の間、骨の一部にしか会えないだろう。