第四回 聖セシリアの奇蹟
文字数 1,616文字
右近の友人細川忠興の妻、細川ガラシャはよく知られた戦国時代のキリシタンである。
ガラシャは関ヶ原の合戦の折に西軍の人質になることを良しとせず、家老に胸を突かせ死を選んだ。ガラシャは右近と親交の深い宣教師オルガンティノにより手厚く葬られている。
首を斬り落とすことは難しく、介錯人は剣の腕の立つ人が選ばれることが多い。頭部が地面に落ちて汚れないよう、首の皮を一枚残して抱き首の形とするのが達人の技とされた。
突然の死刑宣告に右近は肝を吐き出すように驚いた。ウルスラさんはぎらりとした光を放つ処刑斧を手にしている。
右近は3メートルほどウルスラさんから距離を取った。
京の都を騒がせた盗賊の頭目 石川五右衛門は京都所司代 前田玄以(創作においては秀吉の寝所に忍び込み仙谷秀久に捕らえられるなど諸説うんぬん)に捕らえられ1594年に三条河原で処刑された。詳しい出自はわかっておらず、伊賀忍者の抜け忍であるとも、秀吉に滅ぼされた丹後国一色家の家臣筋であったとも言われている。
ウルスラさんの目の前にはぐつぐつと煮えたぎる釜が用意されていた。
聖セシリアは2~3世紀ごろの聖人である。
安土桃山~江戸時代初期の人物である右近が江戸っ子の概念を知っているのはおかしいのだがその辺はスルーしていただきたい。
後年1599年に彫刻家が彼女の墓を掘り起こしましたが、彼女の遺体は殉教した時のまま残っていたといい、彼はそのまま彼女を写した『聖セシリアの殉教』という彫像を作りました。どういう彫像かはぐぐってみてくださいね
ウルスラさんはまた電話を取り出しておもむろに聖霊通信を始めた。
おとめ殉教者セシリアは寝坊したことによりアルバイトをクビになった。