6.

文字数 2,299文字

11月上旬。とある地方の深夜の町は静寂に包まれる。
その町の外れに建つアパートのワンルーム。僕はパソコンディスクとパソコンを前にして、ディスクチェアに深く腰掛けていた。

外は未だに全世界に蔓延した伝染病が収束していない。
おかげで1年間いる予定だった東京からも早めに離れることになって、8月から地方に移って仕事をし始めた。
地方の職場には、毎日電車と職場への送迎バスに揺られて通勤している。
まだ新参者なのに毎日色々と教わりながら仕事をしているから忙しいよ。パソコンに向き合って連絡書を作ったり別会社の人間とやり取りしたりね。でも職場の先輩方は優しくて、上司も僕の宗教二世の過去に理解を示してくれている。
まあ、もし嫌になった時はすぐ転職先を探して移ればいいしね。そこまで仕事は深く考えていないよ。
またこの地方で働き始めるにあたって、地方の町の外れに建ったアパートの一室を会社が用意してくれて、そこで僕は8月から暮らし始めた。
僕が暮らし始めた町はその地方にとっては一番栄えている場所らしいけど、まだまだ発展途上の町だから、僕の地元の都会や東京を知っているとたかが知れているよ。通勤する時に少し電車に揺られていると、工場の煙突や田んぼしか見えなくなるぐらいだからね。
でも僕にとっては、東京みたいな都会よりもこういう静かな場所の方があっているらしく、仕事以外の時間を一人でゆっくり過ごしてしていると、徐々にストレスや疲労が軽減されていった。おかげで東京ではよく吸っていたタバコも、今ではあまり吸っていない。

しばらくして僕は、僕自身の中から消えない悲しみや怒りからの逃避行や、僕自身の生き方を無理に意識することに疲れ果てていることに気づいた。
もうきっと、僕の中に居座り続ける過去の悲しみも、燃え続ける怒りの炎も一生消えないだろうなとわかり始めていた。
それに未だに僕の後ろで背後霊が笑っているけど、僕自身の生き方とか生きる理由とか、何はなくとも、結果的にはこれからも僕自身が色々と決めて生きていく他にないのかなって思うようになった。
ならもう、色々と思い煩うのはよそうと思った。明日どうなるかなんて、この先、どうなるかなんてどんな神様や救世主だってわかりやしないんだから。
なら今日一日、故意に人を傷つけない程度に、主体性を持って僕自身がやりたいこと、やれることだけをして過ごす。それで十分じゃないか、と思った。
そもそも世間一般的な人間と比べたら、マイナス地点から始まった僕に、失う物なんてほとんどないじゃないか。むしろ手に入れていく物の方が圧倒的に多いじゃないか。ならもう僕の好きなように過ごそう。
そう思って適当に日々を過ごしていると、特に憂鬱にならずに一日を終えている日が出始めた。
僕は昔から、人間三百六十五日の内の一日、いや半日でも何かに心配せずに過ごせる人は幸せな人だと思っている。
そうなると、今の僕は幸せなのだろうか。何も考えずに適当に過ごしているだけだけどね。

そんな時にふと気がつく。ここ最近の僕の生活は、執筆活動からひどく遠のいていた。
地元から出てくる時に、執筆で使っていたルーズリーフやシャープペンシルを持ってくるのを忘れてしまったから今は手元にない。それに地元から出てきてからは、ずっとスマホゲームばかりしていて、執筆活動のことなどすっかり忘れていた。
でも働き始めて地方に移る際に僕個人のパソコンは買っていたから、ストレスや疲労が軽減したのに伴ってパソコンで執筆をするようになった。また執筆を再び始めると同時に、学生時代に浸っていた読書にも再び手を染め始めた。あともう一つ、地方の夜の町はとても暗くて静かで、僕はそんな空間がたまらなく好きだから、よく散歩に行くようになった。
それらを生活の狭間で行っていくに、僕は徐々に落ち着きを手に入れていった。僕には、SNSで出会ってからよくやり取りをしていて、現実でも何度か会って話したことがある同じ宗教二世の友人がいるんだけどさ。ここ最近はその友人からよく僕が落ち着いたって言われるんだけど、きっと今の生活の影響だろう。
あとその友人は、僕の書いた小説を読んでくれるし感想も言ってくれるから、執筆のモチベーションをくれる。本当にありがたい存在だよ。

そして今も、何か書くか、と思ってディスクチェアに腰掛けて、パソコンディスクを目の前にして、書く内容について考えていた。
ディスクの上に置いたスマホから、アコースティックギターの音色と独特な鼻濁音を持った男の歌声が響く。
僕は今の家で執筆するようになってからは大概、学生時代の頃から聞いているバンドの曲を聞きながら執筆をやっているんだよ。そのバンドの曲は歌詞が文学的で、どん底にいる人間を優しく起き上がらせてくれるような曲なんだ。だから、そのバンドの曲を聞きながら執筆をしていると書きたいフレーズが湧いてきやすいし、執筆のモチベーションが上がるんだよね。特にそのバンドのボーカルと、そのボーカルが弾くアコースティックギターの音色だけで歌われる弾き語りを聞いていると、僕自身の思っている気持ちを言葉にしやすいんだ。
少しそのバンドの弾き語りに耳を傾ける。
ちょうどその時は、全世界に伝染病が蔓延した影響でライブやイベントが中止になり、やるせないここ1年を現した曲を弾いていた。
そうだ。僕も僕自身のここ1年を書き残しておこう。
そう思って、僕はパソコンを開いて文章を綴る。
何か書き残して、この何もできなかった1年から、後々何か得られたらと考えた。

まだ未熟な僕が書き残した出来事が、内容が、この先の僕か誰かの為になればいいと思っている。
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