2.

文字数 4,967文字

「一哉、○○兄弟姉妹から手紙届いてるよ」
僕が家に帰って、ただいまと言って玄関で靴を脱いでいると、父親はおかえりも言わずにそう告げてきた。
玄関からリビングに出ると、リビングのテーブルの上に色んな雑誌やら冊子やら広げた状態で、父親がテーブルのイスに腰掛けている。そして、手元の宗教の教理本に目を通していた。
父親の仕事が休みの日は、僕が帰ってくると必ず広がっている光景だ。僕はそれを見る度に、大きなため息をつきそうになるんだよな。
もう一度僕はただいまと言って、色々と散乱しているテーブルの上から父親の言う手紙を探す。
父親はそれでも何も返さずに、目線を宗教の教理本に向けたまま僕に向かってその手紙という物を突き付けてくる。
僕はそれを手に取った。差出人はつい最近まで父親に無理強いさせられていた宗教の信者で、宗教の集まりでいつも僕や父親と顔を合わせたとある夫婦だった。

さっきも話したけど、僕はここ最近まで父親に無理強いさせられて、あるカルト宗教の信者活動に参加していた。というよりもやらされてきた。
まずそのカルト宗教の教えは絶対服従。ほどほどにやるなんて無し。二人の主人に仕えることはできないとして、宗教第一の生活。
宗教が禁止している事柄は決してしてはいけない。毎週2回は信者同士で集まる集会、町中を歩く勧誘活動に参加。そして毎日夜遅くまで教理の勉強をさせられた。
それを学校生活と両立していく内に徐々に疲労が蓄積されていって、僕はよく体調を崩すようになった。その時ぐらいから倦怠感と虚無感が付きまとうようになり、それが今でも続いている。
また途中から、その宗教の集まりで話される講演を聞いていたり勧誘活動をしていたりすると頭痛や動悸、嘔吐が起こるようになった。これは明らかな拒絶反応だった。
僕より早く宗教から離れて、成人していた姉がそれを知って、身体的に悪影響が出ている弟を宗教から離れさせないなら社会的措置を取ると父親を脅迫。問題を起こせば自身の信者としての立場が危ういと考えた父親が黙って容認する形で、僕は宗教から離れることができた。
ただそれを正直に言えない父親は周りの信者達に、息子は体調不良で一時離れているだけだ、と主張しているらしい。恐らく父親本人は、体調が良くなれば僕がまた宗教活動に戻ると本気で思っているらしい。というよりそう思いたいのだろう。
それで、僕の父親の言葉を間に受けた信者の数人が、文面だけ心配している体の手紙を僕宛に送りつけてくるんだよな。
その手紙を読んだら父親にどんな内容だったか教えないと、本当に読んだのかとうるさく言ってくるから、一度は目を通さなくちゃいけないんだよな。本当に面倒くさい。

「ほら一哉、今日はちゃんと聖典を読みなさい」
そんでもって、このクソみたいな父親は今日も僕に向かって宗教の聖典を押し付けてくる。僕はまず宗教からは離れている訳だし、今の僕はそういう宗教関連の物を見たり聞いたり触れたりすると頭痛や動悸や嘔吐が起こるというのに、未だにこういう行動をしてくる。
「だから、自分はいいって……」
僕がそう言って断ると、父親は露骨に大きな音が出るように宗教の聖典をテーブルの上に置いた。
そうやって宗教の聖典を乱雑に扱っていいのかよ、とツッコミたくなるがグッとこらえる。
リビングの隣の台所にある冷蔵庫の扉を開けて中身を見る。あらかじめ父親が買ってきたのか、コンビニ弁当が二つ入っていた。
今日の夕飯はコンビニ弁当一つか。まだ成長期真っ盛りの男としては全然物足りないが、いつもみたいに何も準備されず、僕自身が何か作るはめになるよりかはマシか。
「夕飯買ってきてくれてありがと」
父親の方を向いて、きちんと感謝の言葉を口にする。父親からの返事はない。でもこうしないと、父親はわざわざ買ってきてやったんだぞとキレだすんだよ。本当に毒親だよ。
「ちょっと自分は寝るから、いい時間帯になったら夕飯食べてていいよ」
僕は冷蔵庫の扉を閉めて父親に一言入れておいてから、いつものように睡眠を取ろうとリビングの隣にある自分の部屋に向かおうとする。
「ええ⁉ もう寝るの⁉ 寝るぐらいだったら、教理の勉強とか聖典の通読とかしなさいよ‼ せめて○○兄弟姉妹からの手紙を今読んで、父さんに聞かせてよ‼」
するとさっきまでの無反応が噓みたいに、父親が要求の言葉を乱射してきた。今日は部屋に逃げ込む前に捕まったなぁ。
「いや、手紙はあとでちゃんと読んでおくよ。今日はもう疲れているから・・・・・・」
「疲れているって、そりゃ父さんもそうだよ! でも今は終わりの日なんだよ⁈ 一哉も少しは学んだのだからわかるでしょ⁈ そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ‼」
終わりの日ってのは、父親が信じている宗教の教理的に、その宗教の熱心な信者じゃないと滅ぼされる裁きの日の寸前の期間のことを言うんだ。世の中に悪いことが蔓延することがその証拠とされ、その終わりの日の期間に熱心な信者になっておかないと滅ぼされると信者達を脅迫する手口の一つだよ。
今は終わりの日でもなければ裁きの日という物も来るはずもないのに、熱心な信者達はそれを信じているんだ。それで自分やその子供が熱心な信者になれるようにするから、親はともかく必然的に子供達から自由は剝奪される。
結果的に、人生の大事な期間を不意にされた子供達はその後の人生に苦しむことになる。SNSで見た情報だけど、僕みたいに身体や精神の疾患を患う人々が多くて、最悪自死を選んでしまった人々もいるらしい。
信者の親は子供のことを思ってやっているのかもしれないけどさ。最終的にそれが子供の苦しみになっていたら、信じている裁きの日よりも子供が自死を遂げたら本末転倒なんだよ。
まぁ、こういった宗教の教理に反するような発言を今したら、父親はイカレ狂って大変なことになるから、本人の前では言わないけど。
「はいはい、わかってるよ・・・・・・」
ここで何か下手な反応をすると話が長引く為、僕はへこへこと気を配って言葉を返す。
「はいはいってね、気をつけないとダメなんだよ。現実逃避しちゃいかんのよ。今の世界には悪魔の手先みたいな奴らが、一哉を喰らおうと吠えるライオンのように歩きまわっているんだから」
今も父親が入信している宗教の教理に、正しい行いをする信者の信仰を弱めようと神様に敵対する悪魔が世の中の人間を操っては、獲物を喰らおうと吠えるライオンのように動き周らせているというのがある。
僕を喰らい尽くす吠えるライオンというのは、あんたのことじゃないか。僕が今生きているのか死んでいるのかわからない状況にした、その大半の元凶はあんたじゃないか。
そんな言葉が舌先まで出掛かったが、喉奥に引っ込めた。
こんなクソみたいな父親に色々と言い返してやりたいのは山々だが、まだもう少しの期間は衣食住を人質にとられている為、結局は未だに父親が怖いのだ。
そんな何も言い返せない僕自身が、ひどく惨めに思えた。
「とにかく自分は寝てるから。お腹が空いたら自分で温めて一人で食べなよ」
父親の喚きが鬱陶しく感じた僕は、そう言って自分の部屋に向かった。
「全く‼ せっかく神様が救済してくださる、自由に生きれる命の道を教えてくださったというのに、何でその道を選ばないの⁈」
父親の喚きを背に僕は部屋のふすまを閉めた。

少しの暗闇と静寂が僕を包む。
僕の部屋には、僕が失い、殺し、また奪われた物達が残した穴がぽっかりと空いている。そして、それを埋めてくれるらしい神様や偶像の気配は微塵もなかった。
その神様による救済とか、命の道とかがなんだって言うんだ。それよりも一刻も早く、僕の欠落を無くしてくれよ。虚しさを消す方法を教えてくれよ。心身両方の痛みを治してくれよ。
手紙の封を切って、一応中身を読んでみる。その宗教の信者らしい、文明だけ心配しているように見せかけた、上から目線でテンプレートな内容だった。
「一哉君が無事に私達の元に、そして神様の元に戻ってきてくれることを、隣人愛と共に心から祈っています」
一通り読み終えると、僕はその手紙を乱雑な手つきで自分の机に放り投げる。
結局どいつもこいつも、人を心配してる体で監視してきて、気持ちを踏みにじる人殺しじゃないか。自分の思い通りにならないと気が済まない、まるで自分のエゴしか考えない獣の群れだ。
先程の父親が喚いていた内容を思い出す。
自由ってなんだよ。
神様とか教理とか社会とかの言うことを聞いて過ごすのが自由と言うのか。もう何もかも諦めて、痛みも喜怒哀楽も全部無くして生きるのが自由と言うのか。
クソ喰らえ。
もう知らねえよ。これからは僕の行きたい所に行ってやる。どっちにしろ、ここ以外の所に行く他に道は選べないんだ。

そうか。
僕はもう、後戻りができないぐらいに追い詰められていたのか。

僕は思わず俯き、握り拳を作る。爪が手のひらに食い込む。全身がわずかに震えて、肩を上下させるほど息があがっていた。
僕が今見下ろしている部屋の床から、僕が失い、殺し、また奪われた物達が、胸底に飲み込んできた怨みや苦しみの屍達が睨みつけてきた。

幼さと純粋さから描いたのに、宗教の時間が無くなるからと否定されて砕け散った夢の数々。戦いを学ばないと言われ、せっかく他人から貰ったのに捨てられた戦隊モノの人形。僕や姉の意思などお構い無しに連れ回された、宗教の勧誘活動。夜遅くまでさせられた宗教の教理本の研究。体調が悪くても、殴られて無理矢理引っ張られて行った宗教の集まり。集まりで寝たり教理的に間違ったことをしたりして、矯正と言われて受けた鞭打ち。鞭打ちの後に放置されて、痛さでその場にうずくまって泣いた。
学校で七夕や全生徒による校歌斉唱の時は隅に一人座って参加できなかった。家が変な宗教やってると指差された。冷たい視線と嘲笑。階段から突き落とされた。殴られた。蹴られた。カッターで首元を切りつけてきた奴の顔。泥が溜まった排水溝に捨てられた運動靴。ゴミ箱に入れられた教科書。笑われた国語の教科書の音読。イジメなんて嘘をつくなと担任の教師に胸ぐら掴まれた。
破られた入部届け。震災や大火事で大勢の犠牲者が出る度に、終わりの日だと笑ってた。宗教的に大罪を犯した人を村八分してた。毎日読めと突き出された聖典。宗教の講演中に噴き出した鼻血と吐瀉物。黙って従えと衣食住を人質にされて脅迫された。

今まで受けてきた仕打ちや奪われてきた物、怨み、苦しみがフラッシュバックする。顔に血が集まってくるのがわかった。
怒り。憎しみ。
この二つの炎が徐々に僕を焼き尽くしていく。
過去の痛みが消えた訳じゃない。なのに傷口にわざわざ塩を塗ってきやがる。
信者共には確かにその神様が感じられるのかもしれないし、その絶対的存在が救いなのかもしれない。でも少なくとも僕にとっては救いの存在じゃない。呪いだ。縛りだ。姉の助力が大きいが、だからそこから離れたんだ。なのにそれをいつまでも押し付けて来るなよ。
何が隣人愛だ、いい加減黙れ。
頭に来る。イライラする。自分以外全員死ね。
僕は自分でも驚くほど込み上げる怒りを抑えるのに必死になるが、世界は全て敵だ、仇を打て、と僕の声が僕の頭を支配してめちゃくちゃになってくる。
なんでいつも僕ばっかり。なんで僕ばっかりいつもこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
たまらなく悔しくて、何もかもが許せない。
頭に来る。イライラする。自分以外死ね。

窓の外から何かの鳥が鳴き声が聞こえた。それはまるで、僕の尊厳や魂から発せられたSOSを伝えるカナリアの鳴き声のようだった。
今まで、人間は皆んな生まれながら罪深き生き物だから神様の言う通りにして救われなさい、と言われ続けてきた。さも服役囚かのごとく、宗教第一の生活という檻に入れられた。
ここは牢屋だよ。
ならば今こそ、その牢屋の檻を蹴破ってやる。
僕は我慢しきれずにスマホの電源を入れて、SNSを開いて書き込む。そして僕のSNSアカウントにそれを固定した。
「「命の道」とかとか言って自意識を殺させ、「矯正」とか言って鞭打ち、いずれ無くなる物だと言って純粋さも夢も願い焼き殺し、いざって時には容赦なく忌避しておいて、「隣人愛だ」と言ってみせろよこの獣どもが」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み