5.

文字数 2,640文字

息を止めた町全体を覆うかのような、7月の空に似合わぬ曇天。
その空に向かって、一筋の白い煙が立ち上っていく。

僕は今、就職した東京の会社の寮で、僕自身の狭い部屋のベランダから、セブンスターを片手に前の景色を眺めていた。
休日の昼間に見ても、ベランダから見える東京の町やけには静まり返っている。
東京の会社に就職して地元から上京した僕は、一人暮らしの生活に胸を躍らせていた。
元々会社からは、一年ぐらい東京で仕事をしたら地方の職場に移って、そこでしばらくは働くことになると聞いている。
それでもまず、これから一人暮らしで自由に過ごせること自体に胸が躍った。
それに一年もあれば、東京や周りの県のどこか行きたい場所に行ける。SNSを見ると、僕と同じ宗教二世のオフ会が関東ではたまに行われているから、そこに赴くこともできる。また東京で過ごしている内に、何かやりたいことを見つけられるかもしれないし、それが見つかれば一年後に地方に移ってもそれをやり続けていけばいいと思った。
でもそんな折に、新型の伝染病が世界全体に蔓延し始めた。その伝染病は感染力が強くて、この国でもその伝染病の感染者数が日に日に増えていった。
感染を少しでも食い止める為に政府から、国民全体は不要不急の活動を自粛するように発せられてしまう。
それで皆んな必要な時以外は各々の家に閉じこもっているから、休日の昼間の東京なのにこんなにも静かなのだ。
皆んなが外に出ないから当然経済が回らなくなり、小さな飲食店とか旅館とか、客寄せが肝心な店や仕事場が次々と潰れていった。それ以外の企業や仕事場も多大な影響を受けていて、今の自分が勤めている職場が潰れるんじゃないかと大多数の人間が不安に煽られるようになった。
またその伝染病は体へのダメージが大きく、免疫力が低い人間ならぽっくり逝ってしまうほどの強さを秘めているから、その伝染病への恐怖も上塗りされていく。
近い将来の安定すら、誰もが手に入れられる物ではなくなったのだ。

今まではやりたいことのほとんどが、宗教の教理のせいでできなかった。だから我慢せざるを得ない度に、いずれ自由になれるからと僕自身に言い聞かせてきた。
でもやっと自由になれたと思ったら、この有様だ。
寮の小さいベッドに寝転がると、これがお前の日常なんだ、お前は一生自由に生きられないんだよと、軋むベッドがうそぶいてくる。
もうこれだけ続くと、僕自身もそう疑うようになっていた。
やはり無気力に生きる屍となった僕には、一生自由に過ごすことはできないのだろうか。そもそもそんな資格すらないのだろうか。
何を言っている。この疫病が永久に蔓延し続けることなどありえないのだ。あと少し耐えればいい。
そう思い自分に言い聞かせた。
いや。そう思いたかったのかもしれない。

そうなると将来自由に動こうとした場合、やはりこの倦怠感がつきまとった体が弊害だ。
だからひとまず、ちょっと休んで気力を取り戻そうと思った。
今までは親の宗教の教理的に、ゲーム禁止の家庭だったから、これまで真面目にゲームをしたことがなかった。せいぜい仲の良かった奴らの家で少し触らせてもらった程度だ。
それで反動的に、スマホのアプリでスポーツゲームやシュミレーションゲーム、シューティングゲームをダウンロードして、それに夢中になった。仕事のある平日でも深夜までプレイするほどだ。
けど、それも徐々にやり続ける途中で、何故だが虚しくなってきた。どうしてか、気づけば号泣していたこともあった。
私生活でストレス発散できる方法が見つからず、徐々にストレスが溜まっていった。
そのくせ就職した会社でのの社会人生活も大変だよ。
世の中ではテレワークという自分の家で仕事をする行為が推奨されていたけど、僕が就職した会社の仕事は肉体労働が多く、実際に経験して慣れていかないといけない職種だった。でもその会社は大企業の子会社だから、世間体も考えないといけない。
だから毎日、寮から関東の満員電車に揺られたり長い登坂を登ったりして1時間かけて仕事場に通勤。一日肉体労働して、帰りは重たいパソコンを持ってまた1時間かけて寮に戻る。次の日はテレワークで家で仕事をして、その次の日にまた重たいパソコンを持って会社に通勤するサイクルになった。
だから私生活でストレス発散できない上に疲労も積み重なっていく。
それで僕は酒の耐性が無いから飲まない代わりに、タバコに手を出すようになった。最初はニコチン濃度が低い物をたまにたしなむ程度だったが、段々と濃度が高い物を頻繁に吸うようになった。
それで今では、仕事の休憩時間には毎回、休日ではベランダに出て毎日一本以上はセブンスターに火を灯している。
また同期で同い年の同僚に、仕事辛えなと愚痴ることも多くなった。同じ寮に今は住んでいるから、通勤や夕飯を一緒に過ごしてくれて励ましてくれるが、きっとウザがられているんだろうな。僕だったら絶対ウザく感じるし、面倒くさいと思うからね。

あと、結局地元から離れても背後霊が消えることはなかった。
既視感のある出来事を見聞きしたり経験したりすると、相変わらず僕の後ろから微笑みかけてくる。
逆にこうやって一人タバコを吸ってると、もっと体を大事にしてと後ろで泣かれているような気がするよ。
僕自身が行きたい場所に行ってやる。やりたいことをやってやる。そう勇んで地元から飛び出してきた。
でも今の僕を見れば、国の権威に従って行動自粛。僕はひどく不器用だから仕事場でよく失敗して、怒られるとヘコヘコと謝る。会社とか社会とかの規律や指示を守ってこそこそ過ごしている。
結局、僕はどうしたいのだろう。どうすればいいのだろう。
清く正しく、誰も傷つけず、騙し騙し動いて、社会の行列からはみ出さずに生きるのがいいのか。
それとも最初に勇んだ通り、ありままで自由に生きるのがいいのか。
僕は結局、わからないままだ。

吸っていたタバコの煙がプカプカと空に立ち昇っていき、燃え尽きた吸い殻が足元に落ちる。空に立ち込める黒い雲が、今の僕のやるせなさを現しているかのようだった。
「苦しんだ一哉君にしか歩めない、一哉君だけの生き方がきっと見つかるから」
うるせぇぞ、背後霊。
元々夢とか目標とかがない上に、日頃の楽しみがなければ、過ごし方も今ではわからない。どこまで行っても、僕は無気力に生きる屍でしかない。
近い将来の安定すら得られない世界の中で、これからの生き方を見つけられるほどの才能なんか僕にはないんだよ。
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