第16話 追懐(一)

文字数 820文字

 仁美伯母が新湊に帰ったのは、私が大学卒業後就職してしばらくたった頃であった。しかし、伯母は東京に戻りたいと常々言っていた。私が仁美伯母に連絡すると「東京に行きたい。また東京に住みたい」と言うのである。その理由は、北陸の厳しい冬にあった。東京で育った者は、富山で冬を越すことが出来ないほど酷寒(こっかん)であるらしい。東京の一月、二月の厳冬(げんとう)ですら耐えられない私には、北陸の冬は想像を絶するものなのだろう。母親も子供の頃は、一階が雪で埋まっているので、二階から出入りしていたと言っていた。それでも、私は仁美伯母が新湊に帰ってよかったと思っている。結婚していればよかったのだが、独身の仁美伯母は老後の世話をしてくれる者がいないのである。東京に残っていたら、施設に入所して孤独な老後を過ごすことになるので、兄弟が仁美伯母を新湊に呼び寄せたのだった。

 仁美伯母が新湊に帰った当時は祖母も兄弟も生きていたし、幼なじみもいたので孤独になることはなかった。兄弟がみんな亡くなった今も、加代子と恵美子が仁美伯母の様子を見ているし、死んだ後も遺骨を先祖の墓に入れてもらえることが出来るのである。

 仁美伯母は、若い頃に兄弟五人と一緒に上京した。他の四人は母親の他に、二女の津恵子(つえこ)、三男の昌吉(しょうきち)、四男の岳士である。二女の津恵子は結婚して群馬に移住した。その津恵子の娘が母親の葬式に参列した京子さんであった。三男の昌吉は和菓子職人になって川口で店を開いた。娘がひとりいるのだが、私や京子さんとは馬が合わなかったようで今となっては疎遠(そえん)になっている。この五人の兄弟のなかで母親と仁美伯母は特に懇意(こんい)であった。二人はいつも双子のように行動を共にしていて、母親が結婚してからも卒中私の家に出入りしていた。そのため、私にとって仁美伯母は母親と同じような存在だった。加代子と恵美子が仁美伯母を施設に入れたがっていた理由のひとつとして、子供の頃に仁美伯母が身近にいなかったこともあったのである。
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