第13話 懐郷(三)

文字数 1,936文字

 十月一日の朝、空があまりにも鮮やかな青色の晴天であった。日差しを遮る窓のカーテンの端からは僅かに光を漏らしている。仁美伯母が言うことには、曳山祭りの日は毎年天気が悪いそうで、今年ほど天気のいい日は珍しいらしい。「あんたは本当にいい時に来たよ」と後に叔母が感心した様子で話していた。実際に私は天候に恵まれていた。十年前新湊に来た時に霧雨ほどの雨にあった程度で、ほかの日はすべて晴天だったのである。

 ベッドから起き上がって、昨日コンビニで買っておいたサンドウィッチと缶コーヒーで朝食を済ませた。どこに行ってもコンビニは同じ物を売っている。今回ほどコンビニのありがたみを感じたことはなかった。

 朝食をとった私は、早々にホテルを出て万葉線に乗った。曳山祭りの日だというのに車両のなかは割と空いていた。家族連れの乗客が何組かいたので、曳山祭りを見に行くのだろうと私は思った。運転手が、乗車した客に帰りの無料乗車券を配布していた。町おこしのためか。東京では珍しい町をあげてのこのような些細(ささい)なふれあいに、心が(いや)される思いがする。商店街を通り市内を抜け、人気のない住宅街を走り庄川を渡ると西新湊駅に着く。進行方向には青黛な立山連峰が連なっているのが眺められた。

 仁美伯母の家には午前中に着いた。しかし、時期尚早(じきしょうそう)だったようだ。曳山祭りは午前九時からはじまるのだが、曳山は放生津八幡宮を出発して各町をゆっくりまわって来るので、仁美伯母が住んでいる射水市の端にある港町に曳山が来るのは、午後三時頃になるのである。

 時間を持て余した私は、十年前に果たせなかった計画をひとりで実行することにした。それは、母親の生家付近を訪れること。母親が子供の頃に遊んでいたと思われる神社を探すことである。

 祖母の家系は、加賀藩(かがはん)の上級藩士であったらしい。祖母が幼い頃、お駕籠に乗っていたのだと母親が話していた。その祖母が漆塗師(うるしぬし)の祖父に嫁いだのである。祖父は気まぐれな性格で、気が載らない時は仕事をしなかった。そのため、一家の生活は困窮(こんきゅう)を極めたのである。それでも母親は、網元であった親戚に預けられていたので、衣食には困らなかったようだ。その後、その親戚とは悶着(もんちゃく)があったようで関係を絶っている。その網元があった場所を知っているのは、今となっては仁美伯母だけであった。

 私は、仁美伯母からその網元があったおおまかな場所を聞いてそこへ向かった。

 仁美伯母がいま住んでいる家は、もともと完次伯父の家だった。完次が亡くなって娘の恵美子が嫁いだ後に、仁美伯母と岳士叔父が移り住んだのである。

 漁師であった完次の家の裏を少し歩くと新湊西漁港にでる。昭和六十二年に新湊東漁港が開港した影響により、西漁港は荒涼(こうりょう)としていた。停泊している船はあるが、漁港としての機能はしていないようである。地元のひとの話では、セリは東漁港で行っていて、西漁港は船着場や倉庫として使用しているらしかった。もはや、中学生の頃に見たきらびやかな漁港ではなかった。奈呉の浦大橋は、新湊東漁港が開港した時に、西漁港と東漁港を連絡するために架けられたのである。

 漁港近くの浜にでると、透き通った海水の波が静かな音を立てて揺れている。穏やかな日射しを受けて小さな波をうつごとに、鏡にあたる光のようにきらきらと目のなかに光が差し込んでくる。のどかな波の音をすまして聞いているかのごとく、地元の釣り人が海辺に糸を垂らしていた。

 私はまず、すでに他界した茂義の家に向かった。奈呉の浦大橋を渡って堤防に着いた時、その光景を目にした私は、十年前とは比べものにならないほどの衝撃を受けた。茂義の家が無くなっているのである。茂義の家だけではなかった。そのまわりにあった家々が跡形もなく消失していて、新しい家が何件か建てられているだけだった。母親の生家付近もまったく見当がつかない。そのため、母親の生家付近を訪れることはあきらめて、町中を歩きまわって神社を探すことにした。

 祖母が住んでいたと思われる家のあたりを歩きまわっていると、気比住吉(けひすみよし)神社にたどり着いた。その神社は、どこの町にもあるこぢんまりとした神社で、昼間だというのに参拝者もいなければ遊んでいる子供もいない閑散とした神社だった。しかし、おもだった神社はその神社だけであった。

―ここだ、何となく面影がある。ここに違いない―

 拝殿が、祖父の葬式の時に撮った写真に写っている拝殿に似ている。母親が子供の頃、この神社で遊んでいたはずだと私は確信した。気比住吉神社の拝殿で祈願をした私は、母親が遊んでいたと思われる境内をしばらく歩きまわった。そして、かつて母親がふれたであろう神木の幹を触り、かつて母親が見たであろう狛犬を眺めた。
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