第3話 帰郷(一)

文字数 1,126文字

 私が再び新湊を訪れたのは、それから三十年後の夏である。母親が認知症を患ってしまったので、記憶がまだ確かなうちに、生まれ育った町に母親を連れて行こうと思ったのだった。

 滞在期間は三日間であった。当初私は母親が幼い頃に歩いた堤防の内側の通りを、放生津八幡宮まで一緒に歩いたり、母親の生家付近を散策したりして過ごそうと思っていたのだが、仁美伯母が「こんななんにもない町を歩いてもつまらない」と言い、観光スポットに行くことを勝手に計画していた。私は「母さんが生まれ育った町を一緒に歩きたいのだ」と仁美伯母に伝えると「一日目は氷見(ひみ)に行って、二日目は兄の家で寿司を食べて後は好きにしなさい」ということになった。

 新湊での宿泊は、万葉線をはさんで反対側にあるDホテルを予約して泊まった。東京に上京して、そのまま移り住んだ兄弟やその子供達が新湊に行った時の、お決まりのホテルであるらしい。ただ、市内の循環バスが夕方までしか運行しないため、その点は不便であった。

 母親の認知症は、思っていたよりも進行していた。ホテルの部屋のなかに母親を入れると「ここはどこだ」と言い、ドアを開けて自宅の自分の部屋に行こうとするのである。私はただ、ホテルの廊下を歩きまわっている母親の後をついて行くことしか出来なかった。ホテルの風呂にも入ろうとしないため、つきたての白餅(しろもち)のような母親の背中を、お湯で濡らしたタオルで拭いてあげた。

 一日目は予定どおり氷見に行った。仁美伯母の配慮で、恵美子が車を出してくれた。私と母はまず、待ち合わせ場所の仁美伯母の家に向かった。その頃、岳士叔父が仁美伯母と同居していたため、母親を岳士叔父に会わせたが、母親は岳士叔父を認識することは出来なかった。それでも、姉弟が顔を合わせるのは今回が最後になるので、再会出来ただけでも良かったのではないかと私は思っていた。

 氷見に行くことは仁美伯母の強い希望であった。なんともすばらしい絶景の場所があるそうで、若い頃母親と一緒にその場所で写真を撮ったらしい(私はおそらくその写真を見ている。母親のアルバムのなかにその写真が貼ってあった。砂浜で白玉模様の淡いワンピースを(まと)い、白いパラソルをかざして微笑(ほほえ)んでいる若い頃の母親の白黒写真だった。背景の海の彼方には、能登半島(のとはんとう)が鮮やかに広がっていた)。恵美子の運転するランドクルーザーで、その場所に行ったのだが、若い頃に見た景観とはかなり異なるようで、伯母はすっかり気落ちした様子であった。その場所は、ひと気のない(さび)れた砂浜だったのである。とりあえず思い出の場所に来たのだから、記念にみんなで写真を撮ることにした。その後、氷見で海鮮料理を食べて先祖の墓参りをしてから新湊に戻った。
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