第10話 哀惜(五)

文字数 937文字

 母親の葬式はとても簡素なものであった。斎場に着いた時、いくつかの部屋で葬式が行われていた。斎場の案内人はそれらの部屋を通り過ぎ、冷気が漂う火葬炉の前に私を導いた。ここで葬式が行われるのだろうと私は直感した。

 斎場には、すでに母方のいとこの京子さんとその息子さんが来られていた。参列者はこの二人だけだった。

 私達がそろった頃をみはからって、坊さんがやって来て読経をはじめた。遺族が立ったまま読経を聞くという経験はしたことがなかった。読経を終えて、母親に花束をたむけると、母親が眠る棺桶が火葬炉のなかに入れられた。

 火葬炉から母親の遺骨が出てくると、担当者が慣れた手つきで金属を取り除き、ひとり一つずつ骨を骨壺(こつつぼ)に入れたあと、遺骨を納めた骨壺を渡された。葬式はそれで終わりだった。

 後日あらためてお別れの会を催すということになり、京子さん達とはそこで別れて、私はタクシーを拾って帰路についた。

 家に着くと、かつて母親を介護していた部屋に遺骨を運んだ。私は、遺骨を前にひとりぽつねんと座っていた。線香に火を(とも)すと、ひとすじの煙が立ち昇る。まるで、母親が天国に召されていくかのようだ。

―あっという間だった。救急搬送してからもうすでに二年も経っている―

 母親が使用していた介護用のベッドは、レンタル業者がすでに引き取りに来てなかったが、ベッドが置いてあった日の当たらない畳の部分はその痕跡(こんせき)を残していた。私は、ベッドが置いてあったその痕跡のある畳の上に仰向けに寝て、母親のぬくもりを感じようとした。

―母さんはいつも天井を眺めていた。何を話しかけても、天井のある一点に視線を向けていた。天井を覆っている木の木目を眺めながら、母さんは何を思っていたのだろうか―

 仁美伯母が言うことには、若い頃母親は兄弟五人と一緒に富山から上京した。他の兄弟達は、母親が中学しか出ていなかったため、一緒に上京することを反対していたが、反対を押しきって強引に東京に出て来たらしい。

―母さんは、東京で生活をして幸せだっただろうか―

 中等教育しか受けていない母親には、殺伐(さつばつ)とした東京で生活するよりも、あの静穏(せいおん)とした海の町で、親や兄弟達と一緒に暮らしていたほうが、母親にとっては良かったのではないかと私は思っていた。
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