第2話 追憶(二)

文字数 1,006文字

 新湊に滞在中、私の相手をしてくれたのは、四男の岳士(たけし)叔父と次男の娘恵美子(えみこ)であった。

 岳士叔父は、私が中学に入学する前まで東京でトラックの運転手をしていて、私の家に居候をしていた。私の家に岳士叔父が移り住んだのは、私が小学五年生の時に、父親の会社の社宅から一戸建ての家に転居した時だった。一人暮らしをしていた岳士叔父は、ある宗教団体の抗争にまきこまれてチンピラになりかけていた。その弟の岳士叔父を気づかって、母親が自宅に招いたのである。私の部屋に二段ベッドを置いて、岳士叔父は私の部屋で寝泊まりしていたのだった。

 岳士叔父は私を海釣りや川釣りに連れて行ってくれた。海辺や放生津内川、町中ではいたるところに釣り場があった。ハタ、カマス、アジ、メバル、スズキなどの魚が釣れた。家の近所で釣った魚がすぐに食べられるということが、東京で育った私には信じがたいことだった。江戸川で釣れる汚染されたハゼやコイなど、とても食べられたものではなかった。

 岳士叔父は夜釣りにも連れていってくれた。しかし、消波ブロックに夜釣りに行った時は、岳士叔父は茂義の激しい怒りを買った。消波ブロックに上ること自体かなり危険な行為で、足をすべらせて命を落とす者が多いらしい。地元の釣り人は、軽快に消波ブロックを移動していたが、私が消波ブロックに上った時は、足がすくむほどの戦慄(せんりつ)を覚えた。ブロックとブロックの狭間を覗き込むと、海の底はどす黒く限りなく深淵(しんえん)に感じられた。

 恵美子は私より一つ年下であった。活発でおかっぱ頭のいとこのなかで別格に人懐こい性格の恵美子は、私が立山に観光に行った時も同行してくれた。

 立山の登山はバスに乗って室堂(むろどう)まで行った。室堂平(むろどうだいら)は、緑と白の色彩が鮮やかな山々に囲まれている。八月だというのに私の背丈ほどの雪がまだ残っていて肌寒く、みんなはニットのカーデガンを羽織っていた。私と恵美子は雪の壁に文字を描いて、まるで幼い子供が(たわむ)れるようにはしゃいでいた。

 母親は、恵美子の父親のことをおじこさんと呼んでいた。おじこという名前なのかと思っていたのだが、新湊では次男坊のことをおじこと呼ぶらしい。その次男坊である完次(かんじ)は、兄弟のなかで唯一の漁師であった。完次伯父が乗船しているイカ釣り漁船が帰港するというので、伯父や伯母と一緒に迎えに行ったことを憶えている。夜に点灯している魚灯(ぎょとう)の明かりはきらびやかで、燦然(さんぜん)(まぶ)しい光をはなっていた。
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