ホロン伯父さんの木箱(2)(もし宮沢賢治が「五十円玉二十枚の謎」を書いたら)

文字数 1,414文字

(本の精だ)
 一郎はとっさにそう思いました。
(この箱に入ってる本のどれかが、この子なんだ)
 透きとおった子どもはうつむいて、いちごのような目で箱の中を見つめています。
 一郎はそれらの本を一冊ずつ手に取っては子どもに見せ、(これかい)と声に出さずに唇だけで聞いてみました。けれども子どもは首をふりもせず、うなずきもせず、ただうつむいたままなので、一郎もすっかりまごついてしまいました。
 一度、ホロン伯父さんが表に顔をのぞかせて、
「どうした」
 と言いましたが、まばたきもしないで何か言いたそうにしている一郎をけげんな顔でながめただけで、すぐに引っこんでしまいました。
(伯父さんにはこの子が、見えていないんだ)
 その子どももまた、ホロン伯父さんなんていないかのように、黙ってうつむいたままでした。

 一郎は一日、店番を手伝いました。
 伯父さんは店の奥にいて、一郎は戸口の近くに小さい椅子を置いて座っていました。そして店に入らず〈五十円均一〉の本だけを買っていくお客の相手をしました。
 一郎はお菓子の白い空き箱を持っていて、お客たちはそこに五十円玉を入れました。
 そのあいだ、不思議な子どもは、黙ってずっとそこにいました。手もだらんとたらしたままで、そうして誰かが木箱の中の本を取り、一郎のぺかんとした白い紙箱に五十円玉を入れると、哀しそうに、お客の手の動きをつめたい目で追いました。
 一郎は、はらはらして、いつその子が本のあとについて行ってしまうかしれないと見守っていました。
 お客の誰にもやっぱり子どもは見えていないようでした。

(友だちが一人ずつ取られていくのは、どんな気分だろう)
 一郎は考えずにいられませんでした。

 夕方になり、ホロン伯父さんは店じまいをしました。一郎の白い紙箱には五十円玉が三つきり入っていました。
 きゅうに伯父さんが忙しくしだしました。伯父さんはこの時分にはいつも忙しくなるのです。
「ちょっと待ってな」
 そう言うのもいつものことです。そして茶封筒からざらざらと五十円玉ばかり手のひらにあけると、一郎の紙箱からも三つの五十円玉を取りました。
「伯父さん今日は三冊でしたよ」
「うん」と言っただけで伯父さんは出ていきました。
 初めてのとき、一郎は驚いたものでした。その日も木箱の本は二冊か三冊しか売れなかったのに、伯父さんは出ていったかと思うと帰ってきて、「ほら」と一郎に千円札を一枚渡したのです。
「伯父さん、ぼくはそんなに売れなかったですよ」一郎はびっくりして言いました。
「いいんだ」と伯父さんは言いました。
「この箱の本を売ったぶんの金は、一郎くんにやりたいんだ」

 伯父さんが、一週間かかってためた五十円玉二十枚を握りしめて、通りの向かいのぴかぴか光るガラス張りの大きな本屋まで両替に行っていることなど、一郎は知りませんでした。
 まして、その本屋が建ったせいで、伯父さんがもう仕入れをやめて、いまある在庫を売りつくそうとしていることなど、知りませんでした。

 ホロン伯父さんのお店があった土地は、いまではすっかり掘りかえされて、何もなくなっています。
 冬が来る前に、一郎ははがきを受けとりました。はがきには外国の切手がぺたぺた貼られていて、ホロン伯父さんの字で、一郎くん元気かと書いてありました。

 そう言えば、あのいちごの目をした子どもがいついなくなったのか、
 一郎もおぼえていないのです。


―ホロン伯父さんの木箱 了―

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