踊る千円札(4)(もし半村良が「五十円玉二十枚の謎」を書いたら)

文字数 1,234文字

「ああ、くそっ。飲みすぎた。うう、気もちわる……」
「先輩、先輩、がんばってください。もうちょっとで着きますから」
 よろよろする大塚の体を支えて、自分もふらつく足を踏みしめる田端。
(あああ、調子に乗って飲みすぎた。店長がいけないんだ、店長が)
 おとなしくハイボールなどすすっている二人を見て、店長がにやりと、ワルい笑みを浮かべたのだ。
「これあるんですけどね」ラベルの貼られていない瓶をちらりと見せてきた。
「何それ。まさか」
「自家製。仕込んでみました」
「嘘だろ」

「超・強炭酸水!!」

 店長が軽く瓶を振って、すぽんと栓が飛び、あとはもうシュワシュワざんまい、狂喜乱舞の祭典だった。
 田端たちの身体はアルコールには反応しない。ウイスキーはたんなる香りづけだ。そのかわり、炭酸水は彼らにとてつもない快感と酩酊をもたらす。消化を助けるとも言われるが、ただの酔っぱらいの言い訳だ。
 ふだん人間たちのあいだに混じって〈擬態〉を余儀なくされているものだから、大塚も田端もそうとうストレスがたまっている。
 飲んで飲んで飲みまくり、気づいたときには遅かった。

「ごめん……おれ……寮まで持たないかもしれない」なさけない声で大塚が言いだした。「やばい。ほんとごめん」
「ちょ、待って。待って待って」田端も焦る。
 こういうときのために、それ用の袋を持ち歩いてはいるのだが、彼自身も酔いが回ってふらふらだから、手先が思うように動かなくて鞄から袋をとり出せない。
〈女子会〉の帰りらしい女が数人、ちらちらとこちらを見ている。どこからどう見ても酔っぱらったサラリーマンが二人、肩を支えあいながらよろよろ歩いているのだ。警戒しないわけがない。
「ああもう無理」ついに大塚が膝をついた。「ほんとごめ……」
「先輩っ!!!」

 天の助け、ちょうどそこに、電信柱が立っていた。大塚はその根もとに崩れ落ちた。
 


 きゃあっ、という押し殺した悲鳴が女たちから上がり、その刹那、田端はさっと袋をさし出した。まにあった。すんでのところで。
「先輩、大丈夫ですか、先輩。もうーしっかりしてくださいよ、こんなところで。あーあ」
 田端はわざと声をはりあげた。そしてふりむくと、すまなそうな、はにかんだ笑顔を女性陣に向けた。それがまた絵に描いたような〈好青年〉、〈酔った上司を介抱する優しいイケメン〉だったものだから、彼女たちも気を利かせて、見て見ぬふりをしてその場を去ってくれた。
「先輩、もう、楽になりましたか。大丈夫ですか。立てますか」
 彼女たちがじゅうぶん離れていくまで、田端は声をかけつづける。あたかも電信柱の陰、袋の向こうに、



 その誰か――大塚耕司の本体は、すでに安全に、すっぽり袋の中におさまっていた。
〈固体微粒子懸濁液〉、別称、スライム。擬態が解けて本来の姿に戻ってしまった彼は、袋の底でコバルトブルーの身をふるふると縮めつつ、全身でこうつぶやいていた。

(ごめんね)


―踊る千円札 了―

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み