踊る千円札(3)(もし半村良が「五十円玉二十枚の謎」を書いたら)

文字数 1,077文字

 大塚は千円札を手の中で軽くもむと、ちぎり始めた。
 湯気の立つ五十円玉の上に乗せる。
 とたんに、紙片はくるくるゆらゆらと踊りだした。
「これこれ!」田端が手を打って子どものようにはしゃぐ。「最高っ」
「〈たこ焼き〉っての見て思いついてさ」大塚が照れながらも得意げに言う。
「そのわりには先輩いつも思い出すのぎりぎりっすよね」田端も酔いが回ってきて、口が軽くなっている。
「悪い」頭をかく大塚。「今日もはらはらさせちまったな」

 この店に入る直前、大塚は「あっ」と小声で叫び、「ちょっといいか」と田端に鞄を持たせてあたふたと駆けだしていったのだ。
(あ、両替か。おれもいっつも忘れちゃうんだよなあ、食うほうが楽しみすぎて)
 重たい鞄を肩でゆすりあげつつ、田端は地下へ降りる階段の入り口で待った。
 それぞれが一週間のあいだにひそかに集めた硬貨を持ちよって、店長に調理してもらっているのだが、〈かつおぶし・オン・たこ焼き〉ならぬ〈千円札・オン・五十円玉〉をやるには、貴重なコインの一部を両替して千円札を作っておかなければならなかったと思い出すのは、二人とも決まって店に入る直前になってからだ。浮かれすぎなのだ。

 目の前に入りやすい大型書店があって、大塚はいつもそこへ駆けこむ。
 ガラスの扉を透かして、カウンター前でせかせかと体をゆする大塚の背中が見え、田端はついくすっと笑ってしまう。
 いや――
 笑いごとではない。これは立派な犯罪だ。通貨にこのようなことをしたら、まちがいなく罪に問われる。
 理性ではそうわかっていてもなお、〈生物〉の根源的な欲望のひとつである〈食欲〉に、田端も大塚もとうてい(あらが)い得ないのであった。

 ちなみにどの法に触れるかというと、「貨幣損傷等取締法」である。
「第1項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。
 第2項 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶす目的で集めてはならない。
 第3項 第1項又は前項の規定に違反した者は、これを1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する」
 ここで言うところの「貨幣」は、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に定められた「五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類」の貨幣および「記念貨幣」であるので、「日本銀行券」、いわゆる「紙幣」は該当しない。
 驚いたことに、紙幣の損傷それ自体を罰する法律は、ない。
 
 だからと言ってあつあつの五十円玉に千円札をちぎってふりかけて食っていいかというと、むろんそういうことにはならない。
 田端たちがささやかな饗宴を愉しむにも、かくも人目を忍ばねばならぬゆえんである。
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