鰈[かれい](2)(もし内田百閒が「五十円玉二十枚の謎」を書いたら)

文字数 725文字

「いやだわ、ちゃんと持ってるじゃないの」女はくすくす笑って、私の肩に頭をもたせかけるようにした。女の化粧くさい息が私の耳にかかった。
「早く出してしまいなさいよ」
 私は冷たい汗が背を流れるのを感じながら、売り子の前に二枚の五十円玉を置いた。
「千円札と両替してください」と私が言った。

 私ののどから出てきた声なのだけれども、私の声ではなかった。
 私はぞっとして、髪の毛が一本立ちになった。
 売り子が五十円玉を数えだした。ひどくゆっくり数えている。まわりの空気はますますあいまいになって、本棚がぐらぐら揺れているように思われだした。
「十八、十九、二十枚」と売り子が言った。「たしかに千円になります」
「ほらね」羽織の女は声を立てて笑った。「消えてなかったでしょう」
 私の目の前に、五十円玉が二十枚、並べてある。

「わっ」という声がまた私ののどから出た。私の声ではなかった。
「認めてしまいなさいよ」また女が言った。
 私は売り子のさし出した千円札を引ったくるなり、駆けだした。
「毎週毎週、ご苦労さま」
 女のまのびした笑い声が背中で聞こえた。私は閉まりかけた扉に身体をぶつけながら、夢中で表に飛び出した。大通りを渡りきる前に信号が変わり、私は交差点のまん中で立ち往生した。
 激しく警笛が鳴った。こちらからも、向こうからも。
 自動車ではなく、地の底からわいてくるような響きだった。

(そうか)ようやく私は理解した。(いままで私が始末した五十円玉は、みんなここへ来ていたんだ)

 天から、地から、小粒のレンズが無数に私をねらっていた。私はついに観念した。もう認めてしまおうと思った。
 レンズの一つが焦点を定めたらしく、私の胸のポケットから、黒い煙が立ち昇りだした。


―鰈 了―

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