まえがき レーモン・クノーとか『もし文豪たちがカップ焼きそばの』とか読んでみた

文字数 1,110文字

こんにちは。ヒツジのミミュラです。



創作論、番外編です。というか、実践編です。

「文体」って何だろうと、考えていました。
それで
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
という本や、さらにその本がリスペクトしている
『レーモン・クノーの文体練習』
という本を読んでみました。
「こういう文体で書いてみたい!」
っていうのが見つからないかなと思って。

でも、見つかりませんでした。
どちらも、そういうための本じゃなかったんですね。

レーモン・クノーさん(1903-1976)はフランスの作家で、「言語実験」というか「ことばあそび」的な作品をたくさん書いたかたで、
『文体練習』(1947)もその一つです。
同じエピソードを99通りで書きわけてみた!という小説です。
なのですが、
99通りのうち何割かは……「文体」という以前に、「文章」になってませんでした。

「日ある 正午の Sごろ の線 のバス デッキ後部 私で 首は 長いの 紐あみ 帽子を つけに 若いた を男 た見。は突然この男 の人乗り降り たびにを通す の足わざと自分 といっを踏む の男て隣 しはじめを詰問 た。(後略)」

みたいなね。

「言語実験」だから、しかたないんです。
「こんなに遊んじゃっていいんだ」
と、ただ感嘆する、というのが、正しい読みかただったみたいです。

それに比べると『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』のほうは、
「わあこれすごく村上春樹っぽい!」
などというののオンパレードで、笑えました。

「完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

みたいなね。

笑えて、面白かったんですけど、
読み終わってみたら、やっぱり スン てなりました。
だって、しょせん、カップ焼きそばの作りかたですからね?
「ものがたり」にはなってないんです。
カップ焼きそばを作った

、何が起こって誰とどうなった、という話は、とくにないんです。

クノー先生の『文体練習』もそうでした。
基本のエピソードは、バスの中で足を踏んだ踏まれたという、たあいもないスケッチです。
それが例えば、ホラーっぽく書いてあって、読むと
「この踏まれた人これからどうなるんだろう?」
ってわくわくするんですが、そこは、ないんです。

うーん。「ものがたり」になってたら、もっとよかったのになあ。



と思って、図書館に返して、
数日後。

次のページにつづきます。


【参考】
『文体練習』(レーモン・クノー・コレクション 7)
レーモン・クノー/著 松島征・原野葉子・福田裕大・河田学/訳
水声社 2012年

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
神田桂一・菊池良/著
宝島社 2017年(2018年発行の文庫版もあります)
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