第4話 明月・河童・缶詰め
文字数 1,318文字
サバ缶をクッカーに開け、オリーブオイルと鷹の爪、つぶしたニンニクを投入。ストーブに乗せて点火。じゅうじゅうと食欲をそそる音が鳴る。あっという間にサバのアヒージョの出来上がりだ。
城田がクッカーをのぞき込んできた。
「いい匂いっすね」
「食うか?」
「いただきます」
シェラカップにトリスを注ぎ、水で薄める。氷など不要。
「じゃ、乾杯」
「お疲れ様でした」
バゲットをナイフで切って、サバのアヒージョを乗せ、かじりつく。たまらん。疲れた体に滋養がしみていく。
「晴れますかね」
「どうだろうな」
この鳳明山は月の名所である。
有り体に言ってしまうと、月なんてどこの山で見たって美しいに決まっているのだが、松尾芭蕉だか誰かが(忘れてしまった)この山で月の句を(内容は忘れてしまった)詠んだということで、「月の名所」に指定されているのだ。
「日本百名山」みたいなものである。あれだって一人の文筆家の個人的なチョイスに過ぎない。
「世界の美しい顔」みたいなものでもある。あれだって自称映画評論家の個人的な好みに過ぎない。
鳳明山が月の名所だというのも、芭蕉だか誰かがたまたま晴れた夜に月を見ただけなのだ。
城田から鳳明山に誘われた時、そんな風にケチをつけてみたのだが、
「まぁいいじゃないですか」
そう一言、カラッと返された。
確かに、まぁいい。月の名所ということになっているのだから素直に月を見ればいい。間違っても汚いということはないのだし、楽しんだ者勝ちだ。
城田に山を教えたのは俺だが、城田からも色々と教わることがある。無論、照れ臭いので本人には言わない。
時計のアラームで仮眠から目覚めた。時刻は夕方五時。あたりはすっかり夕闇に染まっている。
この本郷山荘のテン場から鳳明山山頂までのコースタイムはおよそ三時間。ヘッドライト他、必要なものだけを持ち、テントはこのままにして山頂を目指す。
運よく晴れれば名物の月が拝める。天気予報では五分五分だが、とどのつまり時の運だ。景色に過度な期待をしないことが山を楽しむコツだと思っている。
「いやぁ、すごいっすね」
見えないだろうと思っていたせいだろうか。案外感動した。俳人ならきっと一句詠みたくなるのだろう。俺はそういった素養がないので、ただ眺めるだけだ。
「柴さん」
「どうした」
「おれ、ヅラかぶろうかと思うんですけど、どうですかね」
「……」
城田はいわゆる若ハゲである。
気にしていないと思っていた。小学校じゃあるまいし、社内にイジる奴もいない。
だが、本人はずっと気にしていたようだ。当たり前か。彼は俺より十も若い。
カツラをかぶれば周囲は最初「ああ……」と思うだろう。城田はきっとそれが怖いのだ。
「まぁいいんじゃないか」
努めて軽く、俺は言った。
「どっちですか」
と、城田は笑った。
「え?」
「だから、かぶったほうがいいのか、かぶらなくていいのか、どっちですか」
「かぶっとけ。そのほうが楽だろ」
「……わかりました」
月は煌々と輝き、城田の頭皮を目立たせている。しかし本人はもうまったく気にしていない様子であった。
(了)
城田がクッカーをのぞき込んできた。
「いい匂いっすね」
「食うか?」
「いただきます」
シェラカップにトリスを注ぎ、水で薄める。氷など不要。
「じゃ、乾杯」
「お疲れ様でした」
バゲットをナイフで切って、サバのアヒージョを乗せ、かじりつく。たまらん。疲れた体に滋養がしみていく。
「晴れますかね」
「どうだろうな」
この鳳明山は月の名所である。
有り体に言ってしまうと、月なんてどこの山で見たって美しいに決まっているのだが、松尾芭蕉だか誰かが(忘れてしまった)この山で月の句を(内容は忘れてしまった)詠んだということで、「月の名所」に指定されているのだ。
「日本百名山」みたいなものである。あれだって一人の文筆家の個人的なチョイスに過ぎない。
「世界の美しい顔」みたいなものでもある。あれだって自称映画評論家の個人的な好みに過ぎない。
鳳明山が月の名所だというのも、芭蕉だか誰かがたまたま晴れた夜に月を見ただけなのだ。
城田から鳳明山に誘われた時、そんな風にケチをつけてみたのだが、
「まぁいいじゃないですか」
そう一言、カラッと返された。
確かに、まぁいい。月の名所ということになっているのだから素直に月を見ればいい。間違っても汚いということはないのだし、楽しんだ者勝ちだ。
城田に山を教えたのは俺だが、城田からも色々と教わることがある。無論、照れ臭いので本人には言わない。
時計のアラームで仮眠から目覚めた。時刻は夕方五時。あたりはすっかり夕闇に染まっている。
この本郷山荘のテン場から鳳明山山頂までのコースタイムはおよそ三時間。ヘッドライト他、必要なものだけを持ち、テントはこのままにして山頂を目指す。
運よく晴れれば名物の月が拝める。天気予報では五分五分だが、とどのつまり時の運だ。景色に過度な期待をしないことが山を楽しむコツだと思っている。
「いやぁ、すごいっすね」
見えないだろうと思っていたせいだろうか。案外感動した。俳人ならきっと一句詠みたくなるのだろう。俺はそういった素養がないので、ただ眺めるだけだ。
「柴さん」
「どうした」
「おれ、ヅラかぶろうかと思うんですけど、どうですかね」
「……」
城田はいわゆる若ハゲである。
気にしていないと思っていた。小学校じゃあるまいし、社内にイジる奴もいない。
だが、本人はずっと気にしていたようだ。当たり前か。彼は俺より十も若い。
カツラをかぶれば周囲は最初「ああ……」と思うだろう。城田はきっとそれが怖いのだ。
「まぁいいんじゃないか」
努めて軽く、俺は言った。
「どっちですか」
と、城田は笑った。
「え?」
「だから、かぶったほうがいいのか、かぶらなくていいのか、どっちですか」
「かぶっとけ。そのほうが楽だろ」
「……わかりました」
月は煌々と輝き、城田の頭皮を目立たせている。しかし本人はもうまったく気にしていない様子であった。
(了)