第2話 糖質オフ・走り高跳び・鍾乳洞
文字数 1,356文字
塩山の洞窟には数々の伝説がある。
殺人鬼が住み着いているとか、埋蔵金が埋まっているとか、亡国の秘密兵器が隠されているとか、枚挙にいとまがない。
というのも、誰も中に入ったことがないので、創作し放題なのである。
塩山はその名の通り塩でできていて、人が登ろうとするとすぐに崩れてしまう。「山」というより、巨大な塩の柱といったほうがいいだろう。ほとんど垂直な崖の中腹、まるで白いポストの投函口のように、その洞窟はある。
実を言えば洞窟かどうかすらわからない。ただの窪みかもしれないのだ。それでも、塩山の洞窟はこの地域の一つのシンボルであり、特に子供たちにとって憧れの的だった。
脆い山肌を保護するため、塩山に登ることや、洞窟に何かを投げ込む遊びは厳重に禁止されている。禁じられた遊びほどやりたがるのが子供というものだが、こればかりは本気の厳戒態勢が敷かれていて、絶対にその遊びをさせないのがガキ大将の代々の使命として継承されている。
「あのさ、ゲン兄」
「なんだ、コウスケ」
「おれはいつか、あの塩山に……」
「何か投げ込んだらブッ殺すぞ!」
「違うよゲン兄。おれ、あの塩山の洞窟に入ってみたいんだ」
「入る、だと?」
「登っちゃダメで、何か投げ込むのもダメだけど、入っちゃダメとは言われてないよね」
「バカお前、登らずにどうやって入るんだ」
「ジャンプでいけないかな」
「はあ?」
一瞬の間の後、ゲンジロウは腹を抱えて笑い出した。しかしコウスケはいたって真面目である。
「本に書いてあったんだ。成長する木を毎日飛び越えていれば、少しずつ高く飛べるようになるって」
「そりゃお前、忍者の修行だろ」
「どこもおかしくないと思うけど」
「まぁ、せいぜい頑張れよ。でも、あの穴はこのあたりで一番高い木より上にあるんだぜ?」
「……」
「さすがにあの高さは無理だろ」
「無理かどうかは、僕が決める」
そして十年後。
コウスケは走り高跳びの選手として、塩山の洞窟へのジャンプ・インに挑もうとしていた。
助走路はきれいに掃き清められ、多くの報道陣が詰めかけている。
「意気込みをお願いします」
「ゲン兄のためにも、絶対に成功させます」
ゲンジロウは前年、急病のために他界していた。粗暴なところもあったが皆に慕われるいいガキ大将であった。
「じゃあ、いきます」
コウスケがスタートの姿勢を取ると、声援とカメラのフラッシュがピタリとやんだ。何人たりとも勇者の邪魔をしてはならないのである。
駆けた。
鍛え上げられた脚の筋肉が正しく駆動して、コウスケの体を聳え立つ塩山へ最速で運んでいく。
そして、跳んだ。
人々は思わず手を組み、祈る。
これ以上ないという見事な軌道を描いて、コウスケは塩山の洞窟に突入した。
わっと歓声が上がる。
だが、コウスケは表に姿を見せて手を振るどころではなかった。足元に「糖質オフ」の空き缶が転がっていたからである。
かつて誰かがここにいた。しかも、糖質オフ飲料が開発された以降となればごく最近である。
奥はかなり深いようだ。塩の氷柱が垂れ下がり、鍾乳洞のようになっている。
コウスケはごくりと唾を飲んで、腕時計のライトを点け、洞窟の奥へと歩き始めた。
(了)
殺人鬼が住み着いているとか、埋蔵金が埋まっているとか、亡国の秘密兵器が隠されているとか、枚挙にいとまがない。
というのも、誰も中に入ったことがないので、創作し放題なのである。
塩山はその名の通り塩でできていて、人が登ろうとするとすぐに崩れてしまう。「山」というより、巨大な塩の柱といったほうがいいだろう。ほとんど垂直な崖の中腹、まるで白いポストの投函口のように、その洞窟はある。
実を言えば洞窟かどうかすらわからない。ただの窪みかもしれないのだ。それでも、塩山の洞窟はこの地域の一つのシンボルであり、特に子供たちにとって憧れの的だった。
脆い山肌を保護するため、塩山に登ることや、洞窟に何かを投げ込む遊びは厳重に禁止されている。禁じられた遊びほどやりたがるのが子供というものだが、こればかりは本気の厳戒態勢が敷かれていて、絶対にその遊びをさせないのがガキ大将の代々の使命として継承されている。
「あのさ、ゲン兄」
「なんだ、コウスケ」
「おれはいつか、あの塩山に……」
「何か投げ込んだらブッ殺すぞ!」
「違うよゲン兄。おれ、あの塩山の洞窟に入ってみたいんだ」
「入る、だと?」
「登っちゃダメで、何か投げ込むのもダメだけど、入っちゃダメとは言われてないよね」
「バカお前、登らずにどうやって入るんだ」
「ジャンプでいけないかな」
「はあ?」
一瞬の間の後、ゲンジロウは腹を抱えて笑い出した。しかしコウスケはいたって真面目である。
「本に書いてあったんだ。成長する木を毎日飛び越えていれば、少しずつ高く飛べるようになるって」
「そりゃお前、忍者の修行だろ」
「どこもおかしくないと思うけど」
「まぁ、せいぜい頑張れよ。でも、あの穴はこのあたりで一番高い木より上にあるんだぜ?」
「……」
「さすがにあの高さは無理だろ」
「無理かどうかは、僕が決める」
そして十年後。
コウスケは走り高跳びの選手として、塩山の洞窟へのジャンプ・インに挑もうとしていた。
助走路はきれいに掃き清められ、多くの報道陣が詰めかけている。
「意気込みをお願いします」
「ゲン兄のためにも、絶対に成功させます」
ゲンジロウは前年、急病のために他界していた。粗暴なところもあったが皆に慕われるいいガキ大将であった。
「じゃあ、いきます」
コウスケがスタートの姿勢を取ると、声援とカメラのフラッシュがピタリとやんだ。何人たりとも勇者の邪魔をしてはならないのである。
駆けた。
鍛え上げられた脚の筋肉が正しく駆動して、コウスケの体を聳え立つ塩山へ最速で運んでいく。
そして、跳んだ。
人々は思わず手を組み、祈る。
これ以上ないという見事な軌道を描いて、コウスケは塩山の洞窟に突入した。
わっと歓声が上がる。
だが、コウスケは表に姿を見せて手を振るどころではなかった。足元に「糖質オフ」の空き缶が転がっていたからである。
かつて誰かがここにいた。しかも、糖質オフ飲料が開発された以降となればごく最近である。
奥はかなり深いようだ。塩の氷柱が垂れ下がり、鍾乳洞のようになっている。
コウスケはごくりと唾を飲んで、腕時計のライトを点け、洞窟の奥へと歩き始めた。
(了)