第8話 ひとり暮らし・石・雪

文字数 1,271文字

 かつては「ひとり暮らし」という概念があったのだそうだ。
 父と母と子、最低三人の家族で住むのが「普通」で、子が独立して新しい家庭を持つまでの一時期だけ「ひとり暮らし」をする。
 このあたりでは全員、ひとりで暮らしているが、それを誰も「ひとり暮らし」とは言わない。
 二人で暮らしたところで何になろう。子をなしたところで育てようがない。この不毛の、極寒の地で、途切れがちな配給に頼って細々と命を繋いでいる。
 出ていこうにも、船もヘリもない。歩いていこうとすれば半日で凍死体だ。
 何も好き好んでこの土地で生きているわけではない。ミミはただ、ここで生まれた。両親は開拓使だったそうだが、開拓事業がその後どうなったのか、知る者は誰もいない。
 ここにあるものは、石と雪。それだけ。雪のように冷たい石と、石のように固い雪。あとは、石ほどは固くない雪。何であれ生きる上で役には立たない。
 住民は皆、本能に従い、一応死ぬまでは生きている。そして、理性に従い、子孫を残そうとはしない。

「ひとりで住んでんのか」
 男の言った言葉の意味がわからず、ミミはぽかんと口を開けていた。
「ん、聞き取れなかったか? 悪いな、ニライ語はまだ慣れてなくて……」
「ううん、そうじゃなくて……」
「なんだ、通じてるのか」
「ひとりで、って、どういうこと?」
 ガイと名乗ったその男は、少し考えて、
「どうもこうもないさ。別に良くも悪くもない。おれもひとりだ」
 と言った。
 ガイのスクリュー船が桟橋に着いた時、たまたまミミがそこにいた。ミミは何かしていたわけではない。何もすることがなくてそこにいた。
 部外者を入れてはならないことや、部外者が押し入ってきた時は公安に通報すべきことは知っていたが、公安の連絡先をミミは知らない。
「あなたはこれから、どこへ行くの?」
「もっと北へ」
「北には何があるの?」
「さぁな」
「知らないのに行くの?」
「知らないから行くんだ。まぁ、たぶん何もないんだろう。でも行かなきゃ確かめられない」
「確かめて、どうするの?」
「どうもしない。そこで死ぬさ」
「死にに行くの?」
「質問が多いな、ミミ」
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。質問が多いのはいいことだ。俺も質問してるのさ、『北の果てには何がある?』って。誰も答えてくれないから、自分で見に行く」
「一緒に行っていい?」
 その言葉が口をついて出たことに、ミミはさほど驚いてはいなかった。
 ずっと自分を騙していたのだ。ここで生まれた運命を呪うしかない。どうにもならない。何もできない。受け入れて、音もなく消えていく。それが最良だと思っていた。
「構わない。俺も助かる」

 ガイはミミを抱いて眠ったが、この表現は交合を意味しない。字面通り、ただ抱いて眠った。ミミはガイにとって幼過ぎた。
 一方ミミは、人体の温かさに驚いていた。両親のぬくもりは記憶にない。長い間すきま風に震えていた。
 この日、ミミは物心ついてから初めて、夜明けまでぐっすりと眠った。

 (了)
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