第6話 借金・純喫茶・そうめん

文字数 1,238文字

「流しそうめん始めました」
 そのポスターには確かにインパクトがあった。純喫茶で流しそうめんなんて、誰だって何かの冗談だと思うだろう。
 だが、マスターは本気だった。
 借金返済のためには、今まで通りちまちまやっていてもダメだ。何か斬新なアイディアで一気に有名にならねばならない。
 無口で不愛想なくせに、彼はチャレンジャーであった。
「じゃあ、流しそうめん一つ」
 常連客が冗談半分で注文すると、マスターはまず氷を浮かべためんつゆを提供した。それから、カウンターに竹製の柱をドンと置き、半分に割った竹をカウンターと客の席の間に渡すと、ゆであがったそうめんを冷水と共に次々と流し始めた。
「ちょ、マスター! 早い早い!」
 テーブルはあっという間に水びたし且つそうめんまみれになった。受けるものを用意していなかったのだ。このマスター、行動力は十分なのだが、昔から詰めの甘いところがある。
 バケツを用意し、流すテンポを研究し、つゆと薬味にもこだわった。今度こそ完璧な流しそうめんを提供できる体制が整った。
 ところが、初日以降、注文はとんと来なかった。純喫茶で流しそうめんは確かに珍しいが、果たして純喫茶で流しそうめんが食べたいかというとまったくそんなことはなかったのである。
 マスターは落胆した。インフルエンサーがツイートしてバズって、テレビの取材が来て大フィーバーになるところを、年甲斐もなく夢想していた。
 だが、落ち込んでいても借金は減らない。初手が上手くいかなかったのなら、二の手、三の手を打つのみだ。

 竹が余っていたので、竹細工を作って売ってみた。しかし、売れなかった。美的センスがちょっと足りなかったのである。
 竹細工のコツを覚えたので、店内の椅子を全部手作りの竹製に変えてみた。しかし、客には不評だった。背もたれがなかったのである。
 もうこの際「竹推し」でいこうと考え、筍を使ったメニューを充実させてみた。特に筍ごはんのおにぎりには自信があった。しかし、売れなかった。和食に合う飲み物がなかったのである。
 しまいにはパンダを連れてきた。これは一瞬だけ話題になったが、管理が甘かったため脱走され、わずか三日目にして終了。あとにはパンダグッズと増えた借金だけが残った。

「周りには迷走しているようにしか見えなかったかもしれませんが、父はあれで、自分の人生を楽しんでいたように思います」
 父に代わって借金を返済した息子は、明るい表情で喪主を務めていた。
「何事もやってみなければ始まりません。父がやったことはことごとく上手くいきませんでしたが、それはただの結果に過ぎません。何かの弾みで上手くいっていた可能性もあるのです。あの歳で新しいことに挑戦し続けたのは本当にすごいと思います」
 列席には何人か、常連客の姿がある。彼らは皆、マスターの新しい試みを生ぬるく見守り、楽しんでいた。となれば、数々の失敗も多少は意味があったと言えるだろう。

 (了)
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