第13話 礼拝堂

文字数 4,984文字

「…ん?」
突然に意識が飛ばされた様な、そうとしか表現のしようの無い感覚を覚えた。それと同時に鼻腔を埃っぽい臭いが刺激してきて、どこか懐かしい気持ちにさせられた。それに気を取られていると、次に気付いたのは、どうやら自分が両膝を抱えて蹲っているという事だった。目の前が真っ暗なのも頷けた。
とまぁ、幼子の様に一々自分の事なのに一つ一つ確認していってる自分自身を客観的に観察した時、すぐに今の状況を把握した。
あぁ…あの夢か。
私はゆっくりと顔を上げて周りを見渡すと、どうやら自分は天井を支える大きな列柱の一つに寄り添って座っていたらしく、顔の正面には幾つかある内の一つ、縦に細長いステンドグラスがあり、弱い光がそこから室内に差し込んできていた。そしてもう一つ、大きな特徴であり、かつ気持ちを落ち込ませるのに貢献していた点、それは…自分の身体以外の、目に入るありとあらゆる物が灰色だった事だ。これも何も改善されていなかった。
ただ相変わらず手元のカンテラだけは、赤々と燃えて柔らかい光を発し続けており、それだけが目に入る色彩を帯びるものだったので、少しはホッと息が付けた心持ちになった。
「はぁ…」
私はそれでも拭い去れない陰鬱な気持ちのまま、やれやれと溜息をつきながら重たい腰を上げたが、この時急にハッとなった。何故なら、何でこんな柱の陰で蹲っていたのか、その理由を思い出したからだ。
覚えておられるだろうか?何度もこの夢を見ている訳だったが、前回にして初めて自分以外に動くモノを見掛けたのだった。
おさらいする様だが、ソレはとても不気味だった。全身を修道服のような物に身を包んでいたのだが、周りの景色と一緒で灰色一色だった。そのせいで見た目はパッと見人間に見えるのだが、見ていくうちに徐々に人に思えなくなり、終いには有機体にすら見えなくなって、でもそれが何かしらの意思を持つかの様にうごめく様は、繰り返しになるが、不気味としか表現のしようがなかった。
それで前回の最後は、その存在に対して恐怖を覚え、柱の陰に蹲って、そこで夢から覚めたのだった。

私は慌てて意識して柱の陰に身を細めて、そしてそっと前回の夢で見た方角をチラッと見た。
その不気味な修道服姿は、今いる私の位置から一番遠くの広場の奥、上り階段と、その脇にある、おそらく炊事をする所なのだろう、その大きな竃の辺りで箒で掃いていた様だったが、今見た限りではもう何者もいなくなっていた。
この時になって初めて気付いたが、考えてみればさっきから私の息遣いや動作音以外に、この広場で音のしてるモノが無かった。
冷静になればすぐに分かりそうなものだが、さっきも触れた様に、この夢の中にいる時は自分でも不思議に思うほどに思考が働かないのだ。…まぁそれ以前に、ただ単に気が動転しているっていうのが理由なのかも知れない。
とまぁ、それは置いといて、私はホッと一度息を吐くと、ゆっくりと柱の陰から外に出た。そして改めて今いるゴシック様式の大広間を眺め回しながら、前回には近寄れなかった階段と、竃の方へと近寄って行った。
近くまで来て見ると竃は石造りで、火をくべる口元は典型的なアーチ型をしていた。170近くある私が少し腰を屈めただけで中に入れる程の高さがあり、横幅も両腕を目一杯広げてもまだ余裕があるくらいで、正直初めてこの手の物を見たのだが、中々に大きな規模のものだと思われた。
先ほどの修道士姿がいた辺りを見てみた。何やら掃除してた風だったが、元がどの程度汚れていたのか知らないが、竃の中、そしてその口周りの床などを見ても、埃が積もるほどに溜まって”見えた”。
何故わざわざ”見えた”と言ったかというと、しつこい様だが何せ辺りが灰色一色で、精々他に違いが分かるとしたら明暗くらいだったので、正直よく分からないというのが感想だった。
「さてと…」
と私は口に出してから、すぐ脇にある、上への階に続いているであろう階段を見上げた。階段には窓がなく、そして灯りもないらしく、数段上辺りは暗闇に包まれていた。
まぁ暗闇に関しては、今更怖気付くことも無かった。何せ今いる広場に出るまで、手元のカンテラの明かりだけを頼りに、真っ暗闇の中をひたすらに歩いてきたのだ。だから暗いって理由のみで足が竦む様なことは無かった。
…無かったが、やはり先ほどの、得体の知れないナニカが上の階にいるのだろう事を想像すると、階段に足をかける勇気が中々湧いてこないのだった。
こういう時での習慣と化してしまったが、縋るように視線を手元のカンテラに落とした。
カンテラはいつだかの時の様に、少し不安げに中の炎が揺れて見えたが、それでも相変わらず、当然と言えば当然だが何も物を言わないにも関わらず、その無言の明かりからは、あからさまに私を励まそうという意志を感じられた。…これが夢でなかったら、とうとう頭がおかしくなったのかと思う所だろう。
私はカンテラに向かってコクっと一度頷くと、今度はキッと睨みつける様に階段の先を見据え、一段めに足をかけ、おっかなびっくりではあったが、ゆっくりと慎重に、しかし確実に一歩一歩、一段一段を登って行くのだった。
どれほど登っただろう。何せ以前にいた暗闇ほどではないにしろ、薄暗がりの中故に、一度立ち止まって階下を見てみても何も見えなくなってしまっていた。だが今いるのが階段のお陰か、一度立ち止まってキョロキョロと見渡しても、方向を見失う心配はなかった。
後、これは夢特権だろうか、いくら登っても疲れを一切感じなかった。そこを無駄にリアルにされていたら、恐らくこれ程までは登れなかっただろう。
そうして登り続けていたその時、ふと何か鼻腔を刺激してくる香りに気づいた。実はもっと前から何となく異変には気付いていたのだが、それは意識的に嗅ごうとしてやっと感知できるレベルだったが、今いる階段を一段、また一段と登るたびに、その香りが強くなっていくのを感じた。
何の匂いだろう…?
私は一度立ち止まって、誰も見てないのを良いことに、犬の様に色んな方向に鼻を向けると、スンスンと音を鳴らして匂いの出所を含めて探し当てようとしてみた。
だが結局見つけられないと分かると、また一段一段と階段を登っていった。
結局また、以前の様に中々進展が見られないとウンザリしているだろうと思われたかも知れない。だが実際は、気分で言えば、先程の灰色一色の世界だった大広間にいる時よりも、何というか…とても清々しく、そしてとてもリラックス出来ていた。
その理由はやはり、言うまでもなくこの香りのせいだろう。この夢を見はじめてから、初めて遭遇した違う匂いだった。
何のことかと言うと、これまでもずっと五感の一つ、嗅覚もキチンと働いてはいたのだが、その鼻で感知してきていたのは、埃っぽい臭いその一種類のみだったからだ。むしろ途中から、ある意味で嗅覚も制限されているんじゃないかと疑ったほどに、ずっと同じ臭いしか感じてこなかった。これも憂鬱にさせる大きな要因であったのは間違いない。
それがここにきて、急に新たな匂い、それも少し具体的に表現すれば、まるで森林の中にいると錯覚させる様な、爽やかで清涼感のある香りで、心なしか前向きな気持ちにさせてくれる様な効果があった。それと同時に、何も知らないくせに知ったかぶって言えば、何だかとても厳かな匂い…?といった印象を漠然と持ったのも付け加えさせて頂く。
とまぁそんな新たな事象が起きて、視界は相変わらず薄暗いままだったが、足取りも軽くまた暫く歩いていると、急に目の前の階段の段差が消えた。危うく踏み外しそうになったが、どうやら階上まで来たらしい。
私は体勢を整えてから、改めて手元のカンテラを顔の高さまで掲げつつ周りを見渡した。すると、また今までとはまたガラッと違った趣きが現れたので、少しばかり驚いた。
軽く触れてみよう。まず広さだ。階下の大広間は以前にも話した様に、身内ネタで恐縮だが、私の通う学園の体育館程もの床面積があったが、今出た場所は、比べ物にならない程に狭かった。…いや、大広間が広すぎただけで、今いる所も実際は教室程の広さは”ありそう”だった。
…何故”ありそう”と強調したかと言うと、ある物のせいで広さが分かり辛かったのだ。それは何か。それは…これこそがこの場所の特徴的な点だったが、今まで現実世界でも見たことのない様な太い柱が、ズラッと所狭しに並んで立っていたのだ。これを見て私は真っ先に少し驚いたのだった。
そのうちの一つに近寄って、一瞬躊躇ったが思い切って抱きついてみた。恐らく石柱なのだろう、とても冷んやりとしていて、表面も磨きあげられているのかスベスベで、変な言い方だが抱いた感触は良かった。…良かったのだが、何せあまりにも太いので、しがみ付いているのに疲れてしまった。総合面では、それほど抱き心地の良いものではなかった。
…コホン、まぁそんな下らない話はこの辺で終わりにして、後はこの場所…まぁ部屋と言っても良いのか、この部屋を大広間よりも薄暗くしている原因としては、窓の数が圧倒的に少ないせいだろう。ここにもいくつか窓があるにはあるのだが、数が少ないのと同時に、パッと見では大広間のと同じ縦細のステンドグラスなのだが、一回りも二回りも小さいミニチュア版って趣きだったのだ。
とまぁ色々と違いを述べてきたが、それでも相変わらず、見渡す限り、明暗による濃淡の差こそあれど、灰色一色の世界なのには変わりなかった。
それから私は一つ一つの太柱の表面をさすりつつ、丁寧に一本一本観察していたが、ふと何処からか足音が聞こえてきた。その足音は音から察するに、階段を降りて来てるらしい。まだこの部屋に来て今きた階段以外を見つけれてなかったが、この推測は確かの様だ。…前回の夢と同じ調子だったので、それを覚えていた私はお陰ですぐに気付けた。
…いや、一つ…いや、二つばかり前回と違う点があった。まずは、前回は足音が一つだけだったのに、今回は幾つもの足音が聞こえて来ていた。微妙に音がズレていたのだ。
それに気づいて当然ドキッとしたが、もう一つというのは、さっきから私を落ち着かせてくれていた例の香りが、足音が大きくなる度に、香りも強まっているといった点だ。どうもこの香りを漂わせている主が近づいて来ているらしい。
とまぁそんな風に、緊張していると言いながら呑気にこうして思考を巡らせていたが、ふと我に帰り、前回の様に何処かに隠れなくちゃと、身を隠せそうな所を探した。
辺りは太柱ばかりだから、そんな場所は選り取り見取りだと思われそうだが、漠然と前回と同じ様に柱の陰に隠れるのには抵抗があった。それ以外で何かないかと、徐々に大きくなる足音に急かされる様に必死に辺りを見渡すと、ある壁の一部に、薄暗い部屋の中でも一際暗さの目立つ窪みがあるのを見つけた。近寄ってみると、腰を大きく屈めば入れるほどのスペースがあった。
階下にあった竃とは比べられない程に小さかった。今は使われていない様だが、どうやら暖炉らしい。見ると消し炭の様なものがチラホラと見えた。
…悩んでいる暇はないか
私は意を決して中に入った次の瞬間、視界の隅でパッと光が灯るのが見えた。…まぁ、灯りが見えたといっても、私のカンテラの発する光と違って、向こうのは白に近い灰色って具合だったが。
まぁどうやら、今この部屋に来た者共の中の一人が、私の様に何かしらの光源を手にしているらしかった。
私はこの時、なるべく息を潜めてその光の動きを注視していたのだが、ふと何かの拍子に視線が逸れたその時、目の前の太柱の側面上部に、一メートルほどの真っ黒な像が掛けられているのに気づいた。
本当はそれどころではなく、光の行方を気にしていなければならないとは思っていたのだが、不思議とその像から目が離せなかった。
無心のままその像をジッと見つめていると、今いる場所特有の薄暗さに、今になって目が慣れてきたのか、ようやくその像がなんなのか分かった。と、同時に、また少し驚いてしまい、息をひそめるのも忘れてボソッと思わず呟いた。
「え…?もしかして…聖母マリア…様?」
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